あいの土山斎王群行 概要


斎王制度

斎王制度は、今から約1,300年前の第40代、天武天皇の御代に制定されたもので、歴代天皇が御即位されるたびごとに、未婚の皇女または女王の中から占いによって選び出された斎王を 天皇の御名代、天照大神の御杖代として、伊勢の斎宮御所へ遣わせ、天照大神をはじめ、115座の多くの神々をお祭りさせる制度であった。斎王になられた女性の方は、3年間精進潔斎の生活を送った後、皇居より斎宮御所に遣わされ、年3回の三節祭の時だけ伊勢神宮へ行き、お祭りを行うことになっていた。この制度は、第96代の後醍醐天皇の御代まで続けられていた。



斎王群行

斎王禊の儀

精進潔斎を終えられた斎王は、御所へ行き天皇のお膝もとで、御櫛の儀、発遣の式を行い、伊勢の斎宮御所へ旅立つのである。この旅には、数百人のお供の人達が付添う大集団の旅であるので、斎王群行と言われている。
 平安時代になり、京都と伊勢を結ぶ阿須波道という大道ができると、斎王群行は平安京から、5泊6日をかけて斎宮へ行くことになり、斎王は腰輿という輿に乗られて、長い旅をされたのである。京都の葵祭の斎院群行とは違い、5泊6日の群行であるので、付添う人々の服装もかなり違っていたと思うが、平安時代の雅やかな、この行列を当時沿道近くに住んでいた人達はどのような想いで見たことであろうか。斎王の宿泊された所は近江の国で、勢多・甲賀・垂水、伊勢の国で鈴鹿・壱志の5ヶ所である。


童女による『お発ち舞』

女別当、内侍、女嬬による『道中舞』

垂水頓宮

斎王が宿泊された所を頓宮といい、頓宮は仮の宮とか、にわかの宮とも言われており、斎王群行が行われるたびごとに建造され、群行が終わると解体された。ここ土山の垂水の頓宮は、群行が平安京を出て、3日目に泊まられたところであるが、皇室の一大行事であり、また数百人のお供の人達が宿泊される所であったので、立派な建物が、幾棟も建っていたものと思われる。
 この垂水の頓宮跡は、昭和10年に、当時、内務省から派遣された学者達がこの現地を調査した結果、頓宮跡地であることが実証され、昭和19年には文部省より国の史蹟に指定された。5ヶ所の頓宮地の中で、国の指定を受けている所は、現在この垂水頓宮だけである。

 

 




禊ぎ式



斎王の舞

お発ち舞


道中舞


お着き舞