ドイツ1919〜1931映画回顧展(1995年11月)
■寵姫ズムルン■■■■■■■
Sumurun
1920年/白黒サイレント/42分
スライド日本語字幕付
脚本:ハンス・クレーリ、エルンスト・ルビッチ(フリードリヒ・フレクザのオリエンタル風パントマイムによる)
撮影:テオドール・シュパールクール、技術指導:クルト・ヴァシュネック
美術:クルト・リヒター
製作:ウニオン=ウーファ
監督:エルンスト・ルビッチ
出演:ポーラ・ネグリ、イェニ・ハッセルクヴィスト、アウト・エーイェゼ・ニッセン、パウル・ヴェーゲナー、ハリー・リートケ、カール・クレーヴィング、エルンスト・ルビッチ、マルガレーテ・クップフアー、ヤーコプ・ティートケ、パウル・グレーツ、マックス・クローネルト、パウル・ビーンスフェルト
【あらすじ】
場所は9世紀のバグダット。旅興行の一団が町へやってくる。舞姫(ポーラ・ネグリ)、せむしの道化師(エルンスト・ルビッチ)、老婆(マルガレーテ・クップフアー)といった面々である。せむしは踊り子を愛しているが、舞姫は彼の嫉妬心をかき立てて、面白がっているだけである。そして舞姫は、老族長(パウル・ヴェーゲナー)のために新しい寵姫を探している奴隷商人アクメド(パウル・ヴィーンフェルト)の後について行く。現在の寵姫ズムルン(イェニ・ハッセルクヴィスト)は、若い織物商人ヌル・アル・ディン(ハリー・リートケ)を愛しているので、族長から自由になりたいと望んで、奴隷商人のアクメドに、新しい寵姫探しを頼んだのである。
ところが舞姫がまだ族長の宮殿につかないうちに、族長の息子(カール・クレーヴィング)と出会ってしまう。族長の息子は一目見てすぐにこの舞姫に惚れ込み、ヌル・アル・ディンを通じて、彼女に高価な贈り物をする。しかし舞姫はこの贈物より、それを持参したヌル・アル・ディンのほうに関心を示す。だが彼は言い寄った彼女から逃れ、それによってせむしから感謝される。一方老族長は、寵姫のズムルンに不貞の疑いをかけ、死刑の判決を下す。すると族長の息子が、ズムルンに言い寄ったのは自分だったが、彼女は自分をはねつけたと誓言して、彼女を救う。
ところが、老族長は舞姫の踊りを見ると、すっかり気に入ってしまい、彼女を新しい寵姫にしてしまう。彼女を失って絶望したせむしは、丸薬を飲んで仮死状態に陥る。老婆が彼を見つけて、「死骸」を袋に詰め込む。それをヌル・アル・ディンの雇人立ちが、何か金目のものが入ってるものと思い込んで、盗んで行ってしまう。この袋はヌル・アル・ディンの倉庫から、老族長のための大きな納品の箱と一緒に、宮殿に運び込まれる。更にもう一つ別の箱には、愛するズムルンのいる後宮に忍び込むために、ヌル・アル・ディン自身がひそんでいる。
老族長が夜眠り込んでしまうと、彼の息子が今や父の寵姫となった舞姫のところへ忍んでくる。2人が抱擁し、愛し合っていると、その現場を押さえた老族長は、怒り狂って2人を殺してしまう。それを、仮死状態から目覚めたせむしが、なすすべもなく眺めている。そのすぐ後で老族長は、今度はズムルンとヌル・アル・ディンが抱き合っているのを見つけて愕然とする。彼はヌル・アル・ディンを襲って殺そうとする。その瞬間、背後からせむしの匕首が彼を刺す。せむしは愛する舞姫の殺害に復讐したのである。暴君は死んだ。ズムルンとヌル・アル・ディンは、永遠に結ばれる。一方せむしは宮殿の門を開いて、ハレムの女性たちを解放し、自らは再び放浪の旅芸人の生活に戻っていく。
【解説】
この映画は、1910年にマックス・ラインハルトがベルリンの「カンマーシュピーレ」で創始したパントマイム・バレー「ズムルン」に基づいている。このバレーは「騒々しくて、風格のないダラダラした見世物」と酷評されたにもかかわらず、観客にはおお受けに受けて、大成功を収め、国の内外ではしばしば模倣されて上演された。繰り返された上演の配役には、せむしに扮したルビッチも入っていた。さらにラインハルトの演出は、それを正確に模倣しようとする内外の舞台の要望で、舞台そのままに撮影された。それゆえS・クラカウアーが、「1910年の夏に、ラインハルトのパントマイム『ズムルン』が映画化されたが、それは2000メートルの長さにわたって、元の舞台での上演の正確な複製を与えることによって観客を退屈させた」と書いてあるのはいささか的外れである。
ところでワルシャワの大劇場での上演では、アポローニア・カルペッツが舞姫に扮して、熱狂的な拍手喝采を浴びた。彼女に注目したラインハルトは、彼女をベルリンに呼んで、自分のオリジナルの舞台に登場させた。そしてこのポーランド女性は、ドイツではポーラ・ネグリの名で大スターとなった。つまりこの映画は、舞台の「ズムルン」での2人のスターが、一人は監督兼俳優として、一人は魅惑の舞姫として、舞台をスクリーンに移した映画である。元来醜男であったルビッチが俳優志願した時、二枚目役は無理だと最初から釘をさされていた。そして与えられた一番の大役が、「ズムルン」のこのせむし男だった。ルビッチとしては因縁があったわけである。
一方、映画俳優としてのポーラ・ネグリは、ルビッチ映画に起用されたことで、スターとなった。『カルメン』(1918年)、『呪いの眼』(1918年)、『パッション』(1919年)に続いて、この映画に起用された彼女は、さらに『山猫リシュカ』(1921年)にも主演し、すっかり人気女優となった。その結果、彼女は1923年にルビッチともどもアメリカに招かれ、ハリウッドでも大スターとして大いにもてはやされることになった。
映画自体はもちろんラインハルトの舞台を基礎としているが、ルビッチのコスチューム・プレイ風の味付けによって、当時の観客の心をとらえるニヒルな気分の漂うものとなった。ラインハルトからは彼は、「おどけた着想、色彩豊かな大舞踏、光の技巧、官能を喜ばせる法外な幻想の氾濫などへの偏愛」を受け継いだ。しかし完全な映画作家だったルビッチは、映画的直感と彼独自の魅惑力を備えた視線で、人物や画像をとらえた。ヘルベルト・イェーリングは『ベルゼン・クリール』紙にこう書いた。「ルビッチは動きや移行を強化し、エスカレートさせ、そして個々の流れを中断する。大群衆のうごめく姿。そこでは彼は完璧であり、あふれるばかりの濫費と即興である。個々の点ではルビッチは、喜劇映画監督としてきわめて着想に富んでいる。彼が宦官や召使いや奴隷女を処理するときには、まことに機敏であり、楽しい。」
実際この映画の核心は、ショーとしての面白さであり、その点では今日でもいろあせていない。思想的な意味になると、問うだけ野暮というものであるが、S・クラカウアは真正面からこう言っている。「ルビッチの映画の真の意義を窺わせる一つのヒントが「寵姫ズムルン」の中で、ルビッチがせむしを演じている事実のうちに与えられている。当時の彼としては、彼自身が一役かって出演するのは、まったく例外的なことであった。族長を刺し殺してそしてハレムの女たちをすべて解放したあとで、せむしは、大殺戮の場面から盛り場の見世物小屋へ帰って来る。<彼はまた踊ったり跳ねたりしなければならない。民衆は笑いを求めているから>と、ウーファの解説書は述べている。恐怖を冗談にまぎらわしてしまう手品師を、自分と同一化することによって、ルビッチは、彼も一役かって創り出したこの流行が、冷笑とメロドラマ的な感傷性の配合から発しているという印象を無意識のうちに深めている。メロドラマの味付けは、映画に含まれたシニシズムの口当りをよくするのに役立っている。その根源をなしているのは、世の中の出来事に対する虚無的な観点である。それは、ルビッチの映画やその亜流が、貧欲な支配者を殺してしまうばかりでなく、人生において価値を持つすべてを代表する若い恋人たちをも破滅させてしまうような、厳しい結末を与えていることからも知ることができる。」
【エピソード】
「ルビッチは数年来、もう芝居をやっていない。彼は、店員モーリッツも、もう演じていない。何といっても、ルビッチは、それを演じるには少々歳をとりすぎている。ということはとにかく、ウーファの監督がこの役をまだ演じるというのは、実際まずいことでもあるだろう。彼はもちろんまだ30歳にはなっていないが、しかし、もう若者でもない。彼は、いつも太い葉巻を吸っている、太った紳士である。彼は今や、大監督になった。彼は、どのように演じなければならないかを俳優たちに示して見せる術を、誰にもひけをとらないほどよく心得ている。なぜ彼はまた演じないのか?俳優たちに演じ方を毎日見せている彼が、なぜ大観衆に、また何かを見せないのか?そこで彼は、せむし男の役を演じる。そしてそれは失敗する。
どのように役を演じなければならないかをよく知っている彼、俳優からすべてを取り除く彼が、自分自身からはまったく何も取り去らず、まったく何も除去しない。彼は、思う存分暴れる。彼は、一人の嫉妬深いせむし男を演じる。彼は、目をぎょろぎょろさせる。彼は手真似で話す。彼は撮影装置の中を走り回る。彼の俳優たちは、それをけげんな面持ちで観察する。偉大な小男ルビッチは、彼らに禁じていることを自分がすべてやっていることが、いったいわからないのだろうか?彼が無節制に、まさにあつかましく誇張して演じていることが?彼はとにかく、映写室でフィルムを見るのだ!しかし、彼はたぶん、ほかの俳優を見るようには、自分を見ないのであろう。彼はネグリに言う。<ぼくはぜひまた映画に出よう…本当は、その方がぼくには監督するよりも面白いんだ!>
ネグリは彼を仰天してみつめる。エルンスト・ルビッチは、あらゆる時代を通して最大の映画監督であると、彼女は確信している…この確信を彼女は、30年たってもなお抱き続けている…。彼はある俳優の中に何が潜んでいるか、その俳優自身よりもよく知っている。ただ自分に対してだけは、彼はいつも無批判なのだ。ルビッチは続ける、<ねえ、本当はぼくはいつも俳優になりたいと思っていたんだ。本当にそうなんだ。監督するのは面白い、確かにぼくはそれが好きだ。しかし自分で演じる、これは全く別ものだからね!>
ウーファ・パラスト・アム・ツォーでの封切りは、すべての人々にとって、大成功である。とりわけエルンスト・ルビッチが、アンコールを受ける。俳優たちは互いに顔を見合わせる。信じられるか?いったい観客にはわからないのか?観客が、あのような田舎くさい、大げさな演技にだまされるとしたら、全霊を傾けて演技することにまだ意味があるのだろうか?<ルビッチ!ルビッチ!>と人々は叫ぶ。そして何度も何度も、ポーラ・ネグリとハリー・リートケがカーテンの前へ現われる。ルビッチは、わきに立っている。<さあ、出て行けよ、きみたち!>リートケは言う。<だけど、彼らはきみを呼んでいるんだ!>ルビッチは真っ青である。<きみたちにそう思えるだけさ><ルビッチ!ルビッチ!><いったい、あなたにはあれが聞こえないの?>とネグリは呼ぶ、<あなたは、一緒に出なければいけないわ>。ルビッチはつぶやく、<そのつもりはない…それは無意味だ…>。そして突然、彼は怒りを爆発させる、<君たちはいったい、ぼくがどんなにひどかったか、わからなかったのかね?>カーテンのうしろの彼らは、沈黙している。
<ルビッチ!ルビッチ!>と、観客は熱狂して呼ぶ。ルビッチはみじめな気持ちである。なるほど、ぼくの俳優たちはこうだったのか?彼は額の汗を拭く…。彼は、2度と役を演じなかった!」(クルト・リース、『ドイツ映画の偉大な時代』)。

ドイツ1919〜1931映画回顧展(1995年11月)