ドイツ1919〜1931映画回顧展(1995年11月)
■■デセプション■■■■■■■
Anna Boleyn
1920年/白黒サイレント/90分
スライド日本語字幕付
脚本:フレート・オルビング(ノルベルト・ファルク)、ハンス・クレーリ
撮影:テーオドール・シュパールクール
美術:クルト・リヒター
製作:メスター映画社およびウニオン映画社
監督:エルンスト・ルビッチ
出演:ヘニー・ポルテン、エーミール・ヤニングス、パウル・ハルトマン、ルートヴィヒ・ハルタウ、アウド・エーイエゼ・ニッセン、ヘートヴィヒ・パウリ、ヒルデ・ミュラー、マリア・ライゼンホーファー、フェルディナント・フォン・アルテン、アドルフ・クライン、ヴィルヘルム・ディーゲルマン、フリードリヒ・クューネ、パウル・ビーンスフェルト、カール・プラーテン、エールリング・ハンゾン、ゾフィー・パガイ、ヨーゼフ・クライン
【あらすじ】
英国王ヘンリー8世(エーミール・ヤニングス)は道楽者で大食漢、女に眼がなかった。ノーフォーク公の姪アン・ブーリン(ヘニー・ポルテン)は、ヘンリー・ノリス卿(パウル・ハルトマン)と愛し合っていたが、ある日、偶然ヘンリー8世の眼にとまる。一目でアンが気に入った王は、以来機会ある毎に自分の恋情を示すようになる。アンは応じなかったが、恋人のノリス卿が王とアンの関係を邪推して彼女をうとんじたので、止むを得ず彼女は王の求愛に応ずることにした。
しかしヘンリー8世にはすでに王妃キャサリンと王女メアリーがいた。アンと結婚するために王妃を離婚した王は、それを認めないローマ法王に反抗して、アングリカン・チャーチを創設して、自らその主長となった。そしてウェストミンスター寺院で、王はアンと華やかな結婚式を挙げた。式に向かう2人を見に集まって歓呼する群衆の波。こうしてアンは王妃となったが、幸福は長続きしなかった。王には男子がいなかったので、世継ぎの王子を生むことが期待されていた。アンの懐妊を喜んだ王は、生まれたのが女子だったため、すっかり失望してしまった。そこへ女官のジェーン・シーモア(アウド・エーイェゼ・ニッセン)がアンに対抗するように姿を現わし、王の寵はアンを離れてジェーンに移って行く。更に比武で重傷を追ったノリス卿とアンとの道ならぬ関係を誹謗する声が王の耳に達した。怒った王はアンをロンドン塔に幽閉して、裁判にかけさせる。ノリス卿は彼女の無実を証言する前に死ぬ。彼女の叔父であるノーフォーク公を長として開かれた法廷は、彼女に不定の罪で死刑の判決を下す。こうして槿花一朝の夢ののち、アンは断頭台の露と消える。
【解説】
ドタバタ喜劇映画の人気コメディアンとして出発したエルンスト・ルビッチは、第一次大戦後、敗戦と飢餓の中で苦しい生活を送っている国民に、豪華絢爛たる夢を送ることで成功をねらったウーファ社のダーフィトゾンに起用されて、フランス革命を背景に、フランス王の寵姫デュバリー夫人の栄華と没落を描いた歴史物の超特作『パッション』を作った。当時としては破天荒の金額と破天荒の数のエキストラと豪華な衣装やセットを使って作られたこの作品は、国内だけでなく国外でも大ヒットした。ねらいが当たったダーフィトゾンは、柳の下のどじょうをねらって、フランス王の宮廷をイギリス王の宮廷に変えてもう1本歴史物の超特作を作ることを提案した。こうして出来上がったのが『デセプション』である。ルビッチは1921年に『ファラオの恋』を作り、これが一般にルビッチの史劇3部作と言われている。この3作においてルイ15世、ヘンリー8世、ファラオを演じた主演男優はエミール・ヤニングス1人だったが、主演女優はいずれも違っていた。デュバリー夫人を演じた妖艶なポーラ・ネグリは、スタートして日の出の勢いだった。そこで『デセプション』のアン・ブーリンには、ヘニー・ポルテンが起用され、いわばイギリスという違った舞台で、ポーラ・ネグリのデュバリー夫人と競うことになった。
ルビッチは『パッション』をしのぐ大掛りなセットをこしらえ、「850万マルクを費やして、ヘンリー8世の性生活を精細に描写し、宮廷の陰謀、ロンドン塔、2千人のエキストラ、その他いくつかの歴史上のエピソードなどを織りこんだ華やかな背景によって、それを飾りたてた」。そして『パッション』と違って、「あたえられた史実をあまり歪めることなく、歴史を先制君主の私生活の欲望の断片のようにみせることができた。ここでも、やはり、先制君主の欲望がやさしい愛情をめちゃめちゃにしてしまう。…雇われた騎士がアン・ブーリンの愛人を殺す。そして最後には、彼女自ら断頭台にのぼってゆく。凄惨な雰囲気を強めるために、拷問のエピソードが挿入されてくるが、それをある昔の批評家は、<中世の恐怖と無常な死の刑罰の簡素な表現>であると呼んだ」。一般に批評家は、『パッション』と『デセプション』を比較した場合、『パッション』のほうに軍配を挙げる。しかしヤニングスはフランス王よりイギリス王の方がぴったりしていた。そして豪華な衣装と洗練された映像のコンポジションの点では、『デセプション』はまことに目を奪うものがあった。良くも悪くも、そこに映画の眼目があった。ロッテ・アイスナーは『デモーニッシュなスクリーン』の中で、こう書いている。「ルビッチにとって歴史は、その時代の豪華な衣装で映画を撮るための絶好の機会以外の何物でもない。絹、ビロード、豊かな刺繍が、以前既成服店員だったルビッチの肥えた目を有頂天にしたのである。その上この生まれつきのショーマンは時代劇において、センチメンタルな恋愛物語を、メロドラマ風の群衆の動きやねじ曲げられた歴史事件と混ぜ合わせる結構な可能性を感じた」。つまり有名な戴冠式の行列の場の群衆シーンも、こうした可能性を最大限に発揮させるために設定された目玉だったのである。それゆえ『パッション』あるいは『デセプション』は、旧敵国英仏をひそかに誹謗するものだという、封切当時の国外の反応は、ルビッチに関する限り、およそ的外れだったと言える。この問題については、イェルツィ・テルプリッツがその『映画史』の中でこう書いている。「真実は中間にある。<ウニオン・ウーファ>社が映画『パッション』を企画した時、チーフのパウル・ダーフィトゾンは、この映画が全世界で上映されることを、つまりフランスや戦時中反ドイツ同盟に属していた他の国々でも上映されることを、計算に入れていた。この予想は当たった。ウーファの金融ボスである仏頂面のアルフレート・フーゲンベルグは、この映画を巧妙な反仏プロパガンダと評した。そしてフランスがすでに不利な光を当てられている時に、どうしてイギリスも同じように扱っていけないわけがあろう。こうしてテューダー王朝の生活を扱った映画『デセプション』を撮るというアイデアが生まれた」。
【エピソード】
「2千人のエキストラは、2千人の失業者である。今はよい時代ではない。敗戦のもたらした結果は、誰の目にも明らかである。人々は空腹で、職がない。その結果賃金は安い。二度とウーファは、このような安いエキストラを決して雇うことはないだろう。そしてルビッチは彼らを、ますますたくさん必要とする。戴冠式の行列のために彼は、ヤニングスとヘニー・ポルテンに歓呼をおくる5千人の男女さえも、要求する。戴冠式の行列は壮大な見ものなので、ウーファの宣伝担当者は、政府のメンバーを数人、この撮影の見物に招待した。大臣らは、よくあるように少々遅れ、こちらは待たなければならない。やっと紳士たちを見物席に座らせた。そしてルビッチは開始の合図を送る。ところが行列は動かない。何が起こったのか?失業者たちは、大臣たちに気がついた。これが彼らには、まさしくデモ行進に理想的な機会と思われる。戴冠式の行列を組む代わりに、彼らは槍を構えて、ライヒ政府に向かって進む。ヤニングスとヘニー・ポルテンに向かって歓呼する代わりに、彼らは、政府のメンバーに口笛を吹いてやじをとばす。それからシュプレヒコール、「仕事をよこせ!仕事をよこせ!」。
政府の紳士たちは、それを違うふうに考えた。彼らは、見物席からあたふたと逃げ去る。その後すぐ、彼らの車がスタートするのが聞こえる。もう行ってしまった。ほかの人々も去ってしまった。ルビッチと彼の助手たち、ヤニングスとヘニー・ポルテンのもすそを持っている8人のお小姓たち。ヘニー・ポルテンは動けないので、逃げられない。彼女の着ている服は、非常に重い金らんでできている。それは、彼女自身よりも重い。彼女は8人のお小姓たちなしには一歩も動けない。そこで彼女は立っている。<民衆>は彼女に向かって殺到するだろうか?彼女は膝ががくがくする。ぐるりに怒った顔、威嚇的に振り上げられたこぶし。彼女は目を閉じる。見てはいけない!そのとき、数本の手が彼女の肩におかれる。<こわがらんでヘニー。あんたには何もせん。あんたは、かわいい、ちっちゃな女の子だ!>。何人かの傭兵たちが、地面から彼女のすそを持ち上げたので、ヘニー・ポルテンはようやくのことで、自分の楽屋へたどり着くことができる」(クルト・リース『ドイツ映画の偉大な時代』、フィルムアート社)。
ドイツ1919〜1931映画回顧展(1995年11月)