ドイツ1919〜1931映画回顧展(1995年11月)
■ジークフリート
 〜ニーベルンゲンの第1部〜■■
Die Nibelungen-Siegfrieds Tod
1921年/白黒サイレント/100分
スライド日本語字幕付
脚本:テア・フォン・ハルボウ
撮影:カール・ホフマン、ギュンター・リッタウ、アニメーション》鷹の夢《担当ヴァルター・ルットマン
美術:オットー・フンテ、エーリヒ・ケッテルフート、カール・フォルブレヒト
衣装:パウル・ゲルト・グデリアン、エンネ・ヴィルコム、ハインリヒ・ウムラウフ(フン族の衣装、甲、武器担当)
音楽:ゴットフリート・フッペルツ
製作:デークラ・ビオスコープ
出演:パウル・リヒター(ジークフリート)、マルガレーテ・シェーン(クリムヒルト)、ハナ・ラルフ(ブルンヒルト)、ハンス・アーダルベルト・シュレットウ(ハーゲン・フォン・トロンイェ)、ルードルフ・クライン・ロッゲ(エッツェル王)、テーオドール・ロース(グンター王)、ゲルトルート・アルノルト(ウテ母后)、ハンス・カール・ミュラー(ゲルノート)、エルヴィン・ビスヴァンガー(ギーゼルヘル)、ベルンハルト・ゲツケ(フォルカー・フォン・アルツァイ)、ハルディ・フォン・フランソワ(ダンクヴァルト)、ゲオルク・ヨーン(鍛冶屋のミーメ/侏儒王アルベリヒ/ブラオデル)、フリーダ・リヒャルト(ルーネの乙女)、ルードルフ・リットナー(リューディガー・フォン・ベヒラルン)、ゲオルク・ユロフスキー(神官)、イリス・ローベルツ(小姓)、フーベルト・ハインリヒ(ヴェルベル)、フリッツ・アルベルティ(ディートリヒ・フォン・ベルン)、ゲオルグ・アウグスト・コッホ(ヒルデブラント)
【あらすじ】
ネーデルランド王ジークムントは、公子ジークフリートを稀代の名剣を鍛えることを学ばせるために、鍛冶の誉高いニーベルハイムの族長ミーメの住む、深い森の奥の洞穴におくった。日夜剣を鍛える仕事にいそしんだジークフリートは、いつしかたくましい若者に育った。今や彼はミーメに別れを告げ、白馬にまたがって、噂に聞く美姫クリエムヒルトの住むブルグントのグンター王の宮廷を訪ねるために出発する。やがてヴォルムスの深い谷にたどり着いたジークフリートは、毒煙をふく巨大な火龍に道をはばまれる。
彼は激しい戦いの後、名剣バルムンクをふるって龍を殺す。ほとばしった血を唇に当てると、不思議にも囀る鳥の声が理解できた。「血を浴びたまえ、龍の血を、鎧の如く身を守り、刃も通らぬ身となし給え」。ジークフリートは喜んで裸になり血を浴びたが、その時菩提樹の葉が1枚彼の背中に落ちかかる。その場所だけが不死身のジークフリートの弱点となる。
さてライン川に近いブルグントの国のヴォルムスの城では、クリムヒルトが兄のグンター王、ウテ母后そして謀臣ハーゲン・フォン・トロンイェ等と共に、遍歴の楽人フォルカーの語る物語を聞く。それは勇士ジークフリートが火龍を退治した上、諸国で武技を競って勝ち、今や12人の家臣をひきいていることから、霧の国に住むニーベルンゲン族の侏儒王アルベリヒが彼を殺そうとしたのをこらしめ、ニーベルンゲン族の計り知れないほどの宝と、アルベリヒの隠れみのを手にいれたという物語だった。
その時城壁の彼方から角笛の音が響き、12名の家臣を連れたジークフリートの到着を告げる。彼は歓迎され、クリムヒルトを妃に迎えたいと申し出る。クリムヒルトもジークフリートを憎からず思うが、夢の中で2羽のワシが手飼いのタカを襲って殺したことに不安を感じて、ウテ母后に打ち明ける。グンター王はハーゲンの言によって、かねてから慕っているアイスランドの女王ブルンヒルトを妃に迎えるための手助けをしてくれるならという条件で、妹のクリムヒルトをジークフリートに与えることを承知する。ジークフリートはクリムヒルトの捧げる盃によって、王に誓う。そして王のお供をしてアイスランドに行く。
アイスランドに君臨する猛く美しい乙女ブルンヒルトはグンター王に武技試合を挑むが、隠れみのを着けたジークフリートに助けられたグンター王は、ついに彼女を屈服させる。王は彼女をヴォルムスに連れてくる。そして宮殿でグンターとブルンヒルト、ジークフリートとクリムヒルトの2つの結婚式が、華やかに挙行される。グンター王は再び隠れみのを着たジークフリートの助けを借りて、「虜囚とはなるが妃とはならぬ」というブルンヒルトを、名実ともに妃とする。他方ジークフリートはクリムヒルトとの幸福な初夜の後で、隠れみのの秘密と、さらに体の傷つく箇所の秘密を打ち明ける。
それを知ったクリムヒルトはブルンヒルトと張り合った時、大変思い上がった言辞をする。怒ったブルンヒルトは自分の敗北の真因を感づき、ふくしゅうのためハーゲン・フォン・トロンイェに近づく。ハーゲンはジークフリートの名声がグンター王を凌ぐようになったのを憂慮していたので、王の暗黙の了解のもとに、ジークフリートの殺害を計画する。そして夫を気遣うクリムヒルトの心配を逆用し、ジークフリートを守るためと称して、彼の体の急所を聞き出し、オーデンヴァルトでの狩猟の際、そこを投げやりで刺し貫いて殺す。
ジークフリートの遺体は炬火をかざした一隊に守られて城に運ばれる。グンター王がブルンヒルトに復讐の成功を告げると、彼女は王をさげすむように見る。ハーゲンがジークフリートの遺体にちかづくと、傷口から血が噴き出す。それを見たクリムヒルトはハーゲンに対する疑念が確認されたと思い、グンター王にハーゲンを罪せよと迫るが、王は、「ハーゲンは世の忠臣じゃ」とはねつける。他の兄弟ゲールノートとギーゼルヘルや他の家臣たちも、誰一人としてクリムヒルトの味方ではなかった。彼女は恨みを一身に抱いてむせび泣き、復讐の念を抱く。ブルンヒルトはジークフリートに寄せた想いと復讐を遂げた思いの愛憎のなかで、自ら死に就く。
【解説】
『死滅の谷』、『ドクトル・マブゼ』の次にフリッツ・ラングが取り上げたのは、ゲルマンの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』だった。ラングの名を世界的に有名にしたこの映画は、しかし英雄叙事詩の映画化ではなかった。それは伝説をもとにして書いたテア・フォン・ハルボウの、通俗的に現代化された新しい神話の映像化だった。「巨大なテーマを好んだテア・フォン・ハルボウは、古い資料によって自由に台本を構成し、それに現代的な意味をしみこませようと意図した。こうして北欧神話は、プリミティブな情熱にとらわれた伝説上の人物を描く、陰うつな物語となってしまった」。この現代化された、キッチュとしてのニーベルンゲン物語は、フリッツ・ラングの映像によって、映画的には傑作となった。ここに「映画」という媒体の奇妙な性格がある。「キッチュ」を土台とした傑作……当然「物語」としては「英雄叙事詩」と違って、アイロニカルな二重性を持つこととなった。ラング自身の言うところでは、この映画で彼が意図したのは、4つの異なった世界を描くことだった。ブルグントの王国の「爛熟した文化」、わかいジークフリートの「幽霊じみた妖精のような」世界、ブルンヒルトのアイスランドの「青ざめ、氷りついた空気」、そして「アジア人」エッツェルの世界である。そしてその世界のイメージを表現するために、アイスランドとヴォルムスには極度に装飾的に様式化されたセットを使った。その結果オットー・フンテらの作った巨大なセットがスクリーンを支配し、人間の群像までが様式化された。これがこの映画の達成したユニークな成果であり、それをめぐる多様な解釈は、すべてこの「様式化」に対する意味づけである。例えばロッテ・アイスナーは『フリッツ・ラング』のなかで、こう書いている。
「アーケードや壁がんが幅をきかせ、人物像は実際に、それに合わせて、その枠の中にはめ込まれている。人物像はしばしば装置の一部となる。例えば兵士の列は前景の柱に似ており、みな同じ幾何学的な飾りを身につけている。そして片手に剣のつかを、他方の手に楯を掴んでいる。そしてこの肉体の柵の背後を、王や英雄たちの行列がゆっくりと大伽藍に近づいていく。ラングはここで兵士たちを、ブルグント一族の絶対的な力を象徴するために使っている」。衣装も含めて人物像がシンメトリカルな建築的構図の中へ、完全に幾何学的に装飾された結果生じた、まことに壮大な記念碑的映像は、それに合致する限り、あらゆる解釈を許す。それ以上の意味はない。だからと言って無制約ではない。テア・フォン・ハルボウ自身がつけたモットー「ドイツ国民のために」という、国家主義的解釈や、クラカウアーの与えた人間的なものに対する装飾的なものの完全な勝利、権威主義に屈服する装飾としての大衆という解釈、あるいは神話に対するアイロニーと嘲笑という今日流の解釈…そうした多様な解釈の根底にある現代の諸潮流の葛藤、ハルボウ・ラングはそれに対する彼等の感覚を、このように印象的に様式化したのである。
だが封切当時のドイツでは題材が題材だけに、そうした様式化の精巧さを評価するよりは、もっぱら愛国主義的使命をになった映画として賞賛する声が、圧倒的だった。例えば「フィルムヴォッヘ」誌はこう書いている。
「かつてニーベルンゲンの歌を広い世界に広めるためにフィーデルを奏でた吟遊詩人、フォルカー・フォン・アルツァイのように、今日フリッツ・ラングは世界の目に、予感に満ちた過去の暗い胎内に休んでいたものを示すために、映画という沈黙の弦を取った。彼はドイツの英雄叙事詩を蘇生させる。敗戦国民がその尚武の英雄たちのために、世界が今日までまだほとんど見たことのないような叙事詩を、映像で創作する…これは一つの偉業である!フリッツ・ラングがそれを作った。そして一民族全体が彼を助ける。一民族全体。なぜならラングがこの民族のもっとも内奥の心を掴んでいるからである…われわれは再び英雄を必要としている!」
このような民族主義的態度は、今日では流行らない。だからと言ってそれを時代遅れと片付けるだけでは済まない。第2次大戦後と違って、ナショナリズムはまだプラスの価値イメージを失っていなかった。そういう時代だったのだということを認識する必要がある。
それゆえこの映画の封切のとき、ちょうど『王の日々』というフリードリヒ大王を扱った本を出版したばかりのブルーノ・フランクが、ポツダムの守備隊教会の墓所を訪れた。そしてフリードリヒ大王の墓に、巨大なリボンをつけた巨大な花輪が捧げられているのを見た。リボンには「ニーベルンゲン映画の封切に当たって、フリッツ・ラング」と記されていた。実際にはこの花輪を捧げたのは、テア・フォン・ハルボウだったと推測されている。何しろ多幸症的生活を送っていた通俗的台本作成の名手ハルボウは、肉欲的で陶酔的な傾向と同じくらい民族的で荘重な傾向を好んでいたのだから。それゆえフリッツ・ラング−テア・フォン・ハルボウのコンビは、ラング映画の複合構造の魅惑力といかがわしさの両方を生み出す独特の混合存在だった。ハルボウは1933年のヒトラーの政権獲得以前に、すでにファシズムに傾いていた。そのためヒトラーのドイツを逃れるラングはハルボウと離婚することになるが、それまではこの奇妙にねじれた二人三脚は、ワイマール時代のドイツ映画を代表する作品を作り続けていく。アルフレート・ポルガーは映画「ニーベルンゲン」を、「誠実のために不実を犯す古代ゲルマンの風習に対する荘重な雅歌」と呼んだが、それはそのままハルボウ−ラングの性格規定でもある。

ドイツ1919〜1931映画回顧展(1995年11月)