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H.V.S通信 vol.21 1998年(平成10年)5月
「居場所のない場所」
齢三十にしてやっと分かりました。私はスポーツが好きじゃなかったんです。数年ほど前からそうじゃないかそうじゃないかとは思っていたのですが、今年やっと分かりました。私はスポーツが好きじゃないんです。あぁなんかほっとしますね。こういうのがひとつクリアできると。
実は私は小学生の頃から高校生の頃まで野球部にいて、それなりの地位を築いていました。そのほか水泳もやりましたし、陸上競技大会や駅伝大会にかりだされたこともありました。つまりスポーツマンだったわけです。また自分もスポーツマンであることを自負していましたから、野球をやめたあともジョギングやウェイトトレーニングをしてました。しかしどうもちがうんです。なんかこうスカッとしない。なにかただしんどいだけでちっとも楽しくなかったんです。
またスポーツマンの典型である「前向きで積極的、うじうじしない、さわやか、自分にきびしく、他人にやさしい」という性格と自分の性格は天と地との差があることもうすうす感じていました。まぁもっともスポーツの世界というのは本当はそんなさわやかなものではなくて、実は弱肉強食の冷酷な世界、ジェラシーと気の強いものが勝つ世界だと気付いてはいるものの、それでもやっぱりあまりにも差がありすぎました。
しかし一番いけなかったことは「自分はスポーツマンであらなければならない」という脅迫観念にとらわれていたことでした。なんとなく世間にも「スポーツマンであれ!」というムードがありますしね。きっとそれに押されちゃってたんですね。でもなれんもんはなれんのです。よって宣言します。私はスポーツの世界から引退します!まぁといってもなにかやってるわけでもないんですけどね。
恥ずかしながら最近になって、世の中には私が活躍できない分野がもうゴマンとあることがわかってきました。その分野では私は何のアイデアも沸かず、わずかなやる気さえ出ず、性格まで変わってくることに気付きました。そんな分野の中では、能力のある人には私の無能と無気力が迷惑になるのに加え、能力のある人を支える周辺の人までを怒らせる結果になり、そしてまたそのことが私の無能と無気力をさらに加速させるという悪循環が生まれます。こんなのちっともおもしろいことではありませんし、お互いに不幸なことになります。もちろんそこで一発逆転する人もいるのでしょうが、他に何もないのならともかく、がんばりたいことがたくさんあるのにそっちにまで力を回すのもなぁと思います。私にとってスポーツはそんな活躍できない分野だったのでしょう。
実は仕事が絡んでいたこともあってかなり考えたのですが、なにせ根がのんきものの私ゆえ「自分の居場所がないという分野をたくさん見つける」というのもいいなぁなんて脳天気な結論を出してしまいました。「居場所がない」分野がわかるということを積み重ねていけばいつか「居場所のある」分野がはっきりしてきますよね。私はぐうたらであまり前向きでも積極的でもない人なんですが、それでもこうすれば自分がなにものかがわかる可能性があるんですよね。
なんか、これもスポーツマン信仰から来てるんでしょうが、前向きでも積極的でもない人は自分の世界に閉じ込もりがちだといわれるんですが、むしろそんな「スポーツマン」の人の方がどの世界でもどの分野でも「さわやか&前向き」を基準にものを考えるので、その枠の中に閉じ込もっているようにみえることがあります。自分の存在にいち早く自信をもってあとはその世界を高速回転するひとより、自分の存在を「自分とはちがう存在」の確認の中からゆっくりとあぶりだしていくことの方が私には魅力的だし、第一それしかできません。これからも私は「自分がいるべきではない分野」をたくさん見つけて自分をあぶりだしたいと思っています。
現在スポーツを含めて、いくつかの「居場所のない場所」を発見しました。でもきっとまだまだあるはずです。まだまだ「マルチ人間志向」が私の中に残っています。
うーんいらいらしますね。こんな時は誰かに100本ノックでも打ってもらいたくなりますね。誰か打ってくれませんか。これはいいんです。ノックというスポーツはありませんから。
(井上陽平/HVS)
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