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H.V.S通信 vol.22 1998年(平成10年)7月

「みなくちノスタルジア」インタビュー


ライオンが
逃げた

 私は水口生まれで小学校頃の思い出は、昔は映画のことを活動写真といつた。その頃今の大徳寺下に芝居小屋があつた。取壊し後サーカスもあつた事も覚えている。その後今の神明町に水口劇場活動写真。
 その頃活動写真は手で回しておられ、チンドン屋が町々回を回り芝居の呼び込み(天然の美)。劇場では二階の窓を開け呼び込みしておられた。スクリーンの後ろで映画に合わせ楽団で太鼓、サックス、ヴァイオリン、三味線、当下手では活弁。
 その頃石倉に遊郭があり今の京都の都おどりのようで大変よくはやりました。回り舞台付で珍しい劇場でした。楽屋もありました。少し変わったことは連鎖劇映画という演劇と映画のミックス。今の割引券のことをビラ下といい、町角にはポスターが張ってました。
 その後今の坂町に衆楽座という劇場が出来た。その後水口劇場出来た。終戦後、水口映画館[水映]になった。その後本町に銀映出来た。サーカスは、甲賀病院東に昔空地あつて農業祭も開かれた。水口神社北、今の児童公園、綾野小学校では、木下、コグレサーカス。ライオンが逃げた事も覚えている。
 今の滋賀銀行には昔水口町か村役場、その北空地に露天芝居があったこと、覚えている。
分からないことは口頭で聞いて下さい。

  津田春吉/つだ はるきち
   大正13(1924)年生まれ

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*「田町のうらの松元寺、まだも高いは秋葉さん.....」手鞠歌の歌いだしのようなのですが、そこから先がわかりません。(編集)


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e-mail michio@jungle.or.jp(中村道男)