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H.V.S通信 vol.25 1998年(平成10年)11月

なかむら ななえ/HVS
「これからも滋賀県のアマチュア劇団は
がんばります!観てやってください!」
こんにちは。
今回は、舞台芸術2本立てとなっております。
『びわ湖ホールへ
行ってきたの巻』
滋賀県の舞台芸術ニュースというと、やはり最近は「びわ湖ホール」に注目が集っています。で、そのオープニングの目玉、ボローニャ歌劇場公演に行ってきました(9/25)。
あまりのチケット料金の高さに「行くはずない!」と思っていましたが、公演日が近づくと気になってきて。公演そのものよりも、素晴らしい幕開けの瞬間に立ち会いたい、という気持ちですね。そして、知人のB席29,000円のチケットを買い受け、いざびわ湖ホールへ。
ハードうんぬんはともかく。予想していても驚いたこと、それは観客の服装です。スーツ、ワンピースはもちろん、着物、イヴニングドレスなどなど。そして、観客の年齢層が比較的高い、男性も多い。
そして、3時間以上のオペラのためではなく、「列」で疲れてしまいました。「ごはんを食べよう」・・・列、列。「幕間にジュースでも」・・・列、列。他のホールでも幕間にはバーカウンターに観客が集中し、一時に列になります。しかし、もっと早くさばいているぞ。
それから、チケット代以外の出費もばかになりません。パンフレット2,500円(高い!)、リゾット&唐揚げ1,000円(味はよし)、紅茶400円、オペラグラスレンタル500円、駐車場代1,000円、というのが私の+αでした。
それで肝心のオペラはというと。確かに素晴らしかった! いわゆる喜劇と悲劇の2本立てだったのですが、どちらも上手とかきれいとかだけでなく、情感を感じることの出来る舞台でした。
終演後、素晴らしすぎたため? 拍手が止まず、カーテンコールが続き・・・。すると、観客がアイドルや歌謡スターのコンサートのように徐々にステージに近寄り、そのうえ、客席のあちこちからフラッシュが光り続けました。カーテンコールのときは許可か? 出演者はどう思ったのでしょう。それだけの人がカメラを持ってきていたこと自体に、私はびっくりしてしまいました。
なにはともあれ。私の初びわ湖ホール体験は無事終了しました。その後、『マクベス』を2回(ゲネプロ、本番)観て初めて中ホール体験をし、『音楽物語ぞうのババール』に行って初めて小ホール体験をすることになります。そのほかにも、中ホールの公演は必ず観るだろうし、佐渡裕指揮も見逃せないし、フォーサイスは言うまでもないし、創作オペラも気になるし・・・。
県立のホールとして、もっと期待されていることもあるでしょう。運営の問題も指摘されています。ただ、近くで(私は比較的近い)いいものを適正な値段で観ることが出来たら、とりあえずそれで私はいいかなー、とのーんびり考えています。
だって観ることが好きなんですもの。
『演劇フェスティバルに
参加したの巻』
10/24,25の両日、私は碧水ホールの『ロシア・ソビエト映画祭』に行けませんでした。映画に詳しくないからこそ、年1〜2回の出会いの機会を楽しみにしているのですが。碧水のみなさん、お手伝い出来なくてごめんなさい。
その2日間私がいたのは、大津市なぎさ公園サンシャインビーチ。釣りでも、バーベキューでもなく、野外テント公演のためでした。これは『滋賀県演劇フェスティバル98』といい、滋賀県が主催し、各地域にある文化芸術会館が事務局となり、県内のアマチュア劇団合同公演と中高校演劇部公演を行うもの。今年で2回目となり、野外公演は初めてです。
この公演の作・演出(主演も)は宮沢十馬(劇団異国幻燈舎座長)。関ケ原の決戦前の滋賀が舞台である『眩の都』という作品に、手を加え上演。中心となったのは、実行委員長である水戸裕と劇団異国幻燈舎の劇団員ですが、しかし、ほかの劇団から参加した人、個人で参加した人、そのひとりひとりがいなければ成り立たなかった舞台だと、終ってしみじみ感じました。
4月頃から今年の体制に入り、私が情宣などのお手伝いをしようかな、と言っていたのが8月末ごろ。9月中旬にチラシ・ポスターが納品された頃、配役なども決まりつつあったようです。公演1週間前、テントを建て仕込みを行う予定の土日に台風が来たりもしました。野外であり、かつ、出演者も多いので、裏方さん(大道具、小道具、衣装など)の苦労は大変なものでした。もちろん、役者も、役者として、また裏方さんとしても大活躍です。私は、受付、場内案内など(いつもしていることしか出来ないのです・・・)。
2回公演で、参加者の知人だけでなく、通りがかりだという方まで、501人の入場者。まさに大入り! テントとは言え、舞台上の襖が開けば、そこはもう湖。2時間以上、本当に寒かったようです。
初日の終演後のあいさつ。宮沢十馬のガッツポーズを見て、私も本当に強い強い拍手を贈りました。私自身、本当にこの舞台があってよかった、関わることが出来て良かった、と思ったからです。最初から彼が言っていたこと。それは「みんな集ってやりました、やったことに価値があります、ということでお茶を濁さないこと。滋賀県で本当に面白く、力のある舞台をたちあげられるかどうかだ。」ということです。確かにその手応えがあったからこそ、あのガッツポーズとなったのでしょう。「これからも滋賀県のアマチュア劇団はがんばります!観てやってください!」と叫んだ彼の言葉は、みんなの気持ちでもあります。
公演が終って、やってよかった、関わった人たちの気持ちが通い合った、と思えるのは、誰もが手を抜かず、自分自身の出来ることをがんばったからに違いありません。滋賀県で様々な劇団が活動していること、この合同公演があることを多くの人に知ってほしくて情宣もがんばったつもりですが、どうだったでしょうか。公演の様子などを新聞記事とかに取り上げてもらえると良かったのですが、力不足だったかな。
こんな舞台があったこと、これからの滋賀県の演劇史を変えるであろう舞台のことを、やっぱりひとりでも多くの人に伝えたくて、ちょっと熱く書いてしまいました。HVSでありながら碧水ホールにいなくて、なおかつ、こんな原稿をHVS通信に書いてしまう私はいけない子でしょうか・・・。だって、芝居が好きなんですもの。
(なかむらななえ/HVS)
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