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H.V.S通信 vol.25 1998年(平成10年)11月




「アメーバー的強さ」




 僕の小さい頃、日曜洋画劇場かなんかでたまにアメーバーの映画をやっていた。アメーバーが突然変異で異常に増殖して人間を襲って食べ始め、町は大パニックっていうのが筋だったと思う。確か最後はアメーバーが火に弱いのがわかって、それでめでたしだった。映画はそれで終わったんだけど、僕の親は意図的に、僕のまわりのどこかにはちゃんとアメーバーがいるって事を教えてくれたので、しばらくはそれが映画みたいに突然変異を起こして襲ってくるかもしれないって、かなりびびってたの覚えている。
 そのアメーバーだったかどうか忘れたけれど、分裂して殖える生物って人間でいうところの「死」ってものがないそうですね。常に同じ性質をもったものが分裂していくから。そこにいくと人間は一回きりの存在だから「悟り」とかない僕には、死んじゃって自分という存在がなくなるのってすごく恐いんだけど、彼らの場合不死みたいなものだから、そういう恐怖はもちろんない。感じようがないともいえるけれど。
 こういってるからといって、別にアメーバーが羨ましい訳ではない。ただ僕は彼らの存在にとても引っかかるところがある。どうして、彼らは進化しなかったのか。
 彼らみたいな微生物が始まりでそこから今いる生き物に複雑化したのがいわゆる進化論ですよね。それに文句はないのだけれど、じゃあどうしてあるアメーバーの系統は太古の昔とくらべてほとんどかわりなく暮らしているのに、他の系統はわざわざ姿形を変えて、陸に上がったり空を飛んだり、脳味噌を増やさなくてはいけなかったんですかね。進化の要因(環境への適応、遺伝子の突然変異)はわかるけれど、進化しなくてよかったヤツもいる一方でわざわざ進化しなくてはいけなかったヤツもいたっていうのがわからない。
 専門に勉強している人ならこれに対する答えをちゃんともっているのかもしれないけれど、そういう知識がどうも、僕みたいな一般の方まで降りてこない。だから科学もどきの説明が氾濫してしまう。それはそれで仕方ないとは思う。今日の僕の疑問のようにくだらない事に限らず、生きてる限り世の中の事に対して、最終的にはそれぞれが自分で頑張って考えて、解釈して、動いていくしか仕方ないし。
 という訳で自分の疑問に対する僕の答え。微生物以上に進化しちゃったヤツって、もとは生き物の機能の面で弱かったんじゃないかなって思う。勝手に名付けて「弱者進化論」。其の場所にいたら、強いヤツに餌をばんばんとられて、今までいったことのないような環境に移り住むしか生きていくことが出来なくなって、必要に迫られて新しい場所に合うように変わっていったんじゃないかな。魚だって海で泳いでた方がラクチンだったのを追いやられて、陸に上がったとか。弱いヤツがどんどん新しい場所に追いやられていって、そこで終わっちゃうのもいたけど、何とか適応して「進化」したのではないだろうか。そうなると人間なんか一番性質の弱かったヤツのその後になってくる。それもなんだかなあと思うけれど。
 こんな事を考えるのも、あの映画のせいだろうか。
 (こさかよしのり/在伊賀上野/投稿)


HVS通信10号(1996年10月)で「ニュージーランドで坂口安吾」していた人




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