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H.V.S通信 vol.26 1998年(平成10年)12月
「話をしようよ。」

めっきり秋になりました。ほんでなんでか分からんけど必然的にさみしくなりました。最近「自分のさみしい度」というものが素直にわかるようになりました。これも秋という季節のなせる技なのかなんなのか分かりませんけど。
小学生の時は、「親友」という言葉をよく使ってたような気がするんだけどもいつの間にやら大人になると言う方も聴く方も活字としても全然使われなくなっちゃいました。みなさんも気が付けばそんなことはないですか?でもね、私この言葉を最近久しぶりに使えたんですよ。頭の中で、ですけどね。なんかちょっとなんとなく落ち込むことがあって、ふだんはあんまり友達に相談することはないんだけど言ってみたところ見えなかった自分の気持ちをあまりにもストレートに「〜〜やなあ」って代弁してきやはってすっごく気持ちが落ち着いたんですよ。まるで手の中の大事なものを「せーのーで!」で見せ合いっこしたときに全くおなじものがふたつのてのひらにのっていたような不思議な気分になってスーッと楽になりました。その時に目の前にいた人を見て「ああ、親友ってこういうのを言うんだった。」と記憶が戻ったようにこの言葉の意味がわかったんです。その人が言ったのは本当に簡単な一言だったんだけどそれはまるで自分の分身に言われたように聞こえました。
うまくは言えませんけど自分のことや自分が今まで通って来た道を誰かが知ってていてくれるってことは、もうそれだけで百人力です。もういいかげん忘れてほしい恥ずかしい過去もありますが、人間とは忘れる動物ですからそれもそのうち忘れてくれるでしょう。新しい友達もいいですが、今は私のhistoryを知っててくれる友達と話してる時が一番心地いいです。 彼ら彼女らの代わりはほかの友達にも家族にも務まりません。 だからふとさみしくなった時心細くなった時そんな友達と話がしたくなるのです。悩みとか何かを話すのではなくて、つまらないなんでもない話をできるだけたくさん、時間をかけて。電話より手紙より直接会って。だってそろそろさぶくなってきてるでしょ。会った方が体温が感じられる。「言わなくても分かる」なんて当てにしてたらダメ。やっぱり言わなきゃ。無口な人も「うん。」「そやな。」でいいからじっくり話をしようよ。読書の秋、食欲の秋、いろんな秋があるけれど、私は好きな音楽でも聴きながら旧い友達とくだらないおしゃべりをして過ごしたいです。くだらない話をしてお互いのhistoryを知ってもらいましょう。 そうして今日も秋の夜長がふけてゆきます。
(みなみ/HVS)
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