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H.V.S通信 vol.27 1999年(平成11年)4月



市町村の文化ってなぁ〜に?#5
都市と田舎
〜そして水口町の芸術文化悲観論〜
(その一)


             


「京に田舎あり、田舎に京あり」という言い古された言葉がある。日本社会ではいわゆる田舎というのは、本来、別に地方のことだけを指して言っているのではない。古代の都市から近代の都市までを含めて、都市景観や都市文化の中に、田舎的要素を多く含んでいた。それが侘やさびという精神的心理的な文化的要素になって、日本文化の重要な核になっていた。

 ところが現代では田舎というと、都市に対しての地方、田舎=生活一般に便利なところに対して不便なところというイメージだけが強調されてしまっている。たしかに、そこの住民も田舎根性というか、不便さを強調したり、無意味に都市部と比較したり、自分たちより不便なところに住んでいる地域をより田舎視したりすることが多い。芸術文化では「田舎でこんなもんやっても客入らんで」なんて、しょっちゅう言われている。

 それでは現代日本の中で、芸術文化の立場から見た場合の田舎とはどうであろうか。基本的には都市と田舎はそんなに違わないと思う。マスメディアの発達した中で、あるいは都市とほとんど変わらない生活形態、通信手段、情報化、どれだけ違うというのであろうか。

 見た目上は、たしかに都市はせわしい喧騒の中にあり、すごい活動ぶりを見せている。ホールや会館、ライブハウス、文化施設は連日連夜あらゆる種類のコンサートやライブをやり、演劇、舞踏、映画、美術、古典芸能をやっている。それはいわゆる田舎では考えられない圧倒的差がある。でも、その差が都市住民と田舎住民の芸術文化関心度の中で、圧倒的差となっているんだろうか。そこではやっぱり有名タレントやよくマスコミに登場するものには人は集まるが、そうではないが本当によいものへの関心はさほど高くはない。この点では日本国中一緒である。ただし、比較的著名でないアーティストであっても、徐々に知られ、理解されてきた人は、都市でやれば客席は埋るが、田舎ではまったく関心を呼ばないということもある。

 こうした原因にひとつには、アートに関心が向く若者が少ないということがある。これはしょうがないことかもわからない。だが、都市からの若者が碧水ホールへ音楽を聴きに、映画を観に来て貰えるのはありがたい。さらに同じ企画をするにも、田舎の場合、手取り足取りして住民に情報を流さなければ情報をキャッチしない(水口では町内だけでも、町広報紙・おしらせ版という名の情報紙・地元の有線テレビ・チラシ・ポスター類、さらにダイレクトメールというように、あらゆる手段をとって親切に情報を流しているが、これでも広報不足という)。自分から情報を求めて、会場へ行くということが余りにも少ない。だから、主催者はすぐに動員というチケットの無理売りしか考えない。先ほどの都市からわざわざ田舎の碧水ホールへのお客は、おそらく情報誌「ぴあ」あるいはチラシで知った人が多いと思う。勿論ダイレクトメールも有力な情報源だが。いずれにしても極めて少ない情報源、それでも「ぴあ」の膨大な量の情報の中から碧水ホールの企画を見つけて自発的に来館されるのである。これに比して地元へはいたれりつくせり情報を提供しているのに、広報不足では何をか言わんやであろう。

 私の知っている比較的生活に余裕(時間的にだが)のある生活をしているある中年のおばさんが、有名歌手やタレントの出ていない碧水ホールのイベントは「しょうむない」、有名なものだけが一流だという。だから、5,000円払っても、6,000円払っても守山市民ホールなどはよく行くという。碧水ホールもそうなったら家から近いし行くけどなぁと言っていた(でも、この人はいつも情報見てくれているもんなぁ。「ネーネーズ」や「浄土声明×インド音楽」「南の唄北の歌」のときも来てくれて、これは安いと言っていた)。もしそうなったら、本当に満席になるだろうか。私は疑問に思う(勿論そんなタレントや外タレを呼ぼうとすれば、今の5倍程度の自主企画予算でないとダメだし、キャパが3倍はほしい)。

    私がいまこの地域で疑問に思うのはそんなことではなくて、入場料がネックになりはしないかということである。今までのところ(今後もだろうが)町行政のやるイベントは、ほとんど無料であり、JAなども無料招待(商品は買わされているが)であり、有料イベントに慣れていない人々が、1,500円でも買わないのに年間数本のイベントに一万円以上も出して、チケットを買ってまで来るとは考えられない。

 こんな論議をしなくてはならないこと自体、極めて田舎的である。しかし、それは今日的日本の共通課題「どうしたら客が入るか」にも繋がる大事な問題である。公私を問わず、どこのホールでもよく言われる「客を入れろ」「客入りのいい企画をせよ」、これの犠牲が神戸某大手音響メーカー設立の先進的ホールのような方向転換(本当に残念だが)なら、日本の芸術文化環境の重大な退潮の始まりであり、田舎に多くある中小公立ホールなら地域の芸術文化環境の未成熟と文化振興担当部局(文化ホール側も含めて)の芸術文化意識の未成熟さを天下に知らしめる事である。『文化〜、』と地域内外に謳っているキャッチコピーも絵空事に過ぎないだろう。(以下続く)
(竹山靖玄/館長)

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