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H.V.S通信 vol.28 1999年(平成11年)8月



一枚の絵が私に針と糸をもたせた。


 『力太郎』という童話を読んだ。子供のいないおじいさん、おばあさんが(やはり、なぜかビンボーである。)自分達の身体からでたアカで小さな人形を作って『こんび太郎』と名づけてかわいがる。だんだん大きくなって力太郎と名はかわり、いろんなできごとを経て、めでたしめでたしで終わる。
 話しの筋はさておき、その童話のページをめくった時、『こんび太郎』を見た時に、これと同じ物(私、流の)を作りたいと思ったのだ。強く、作るゾと思い、知らず知らずのうちに『コンビ太郎』をうす紙に写している自分に驚きながら....もうひとりの自分が「何か変だよ」と言っているのを聞き流し、「できないよ」と、はっきり聞こえるのを無視して...その驚きもおさまらない間にもう布地をさがして、縫い始めている。  縫い始めて半分くらいのところでハタと気が付いた。ぬいぐるみ、みたいなものだから型紙の裏と裏とをあわせて縫って、ひっくり返して、つめものをするのが普通のやり方だと。それくらいは知っていたはずなのに、私はやはり、とりつかれたように作りだしたものだから、表・表で縫ってしまった。でも、これでいい、着色するのだから、まわりのヒラヒラは白く残すんだと。そのまま、つめものをする箇所を残し、縫い終わった。
 さて、着色の段になって、クレヨンの色が選べない。困った。しかたがないので私より絵心のある主人に頼んだ。何色も色を重ねていい出来になった。「自分でやりや」とのお言葉もいただいた。敬意を表して素直に「ハイ!」と言っておいた。あとはつめるだけ。
 つめた。つめた。できた。「ヤッター」着色も自分がやったような気になり、すごい、私ってなんてすごいんだろうと思ってしまっている。

 次の日の朝、息子に「これ、母さんが作ったんや。色は父さんにつけてもろたけど、どうや。学校、もって行き。」というと、「ウン!」と素直に通学カバンに入れてくれた。帰宅した息子は「10人ぐらい作りたい言うてたで」と言い、担任の先生からも「作り方を教えて下さい。」との伝言があり、正直な話、すごくうれしくて、もう、気分は人形作家になって、『つくり方』を、また一生懸命書いて、10枚程コピーして、また次の日、学校に持たせた。『つくり方』を書いたとき、原寸大を子供用に少し拡張したので、調子にのってもう一体作ってしまった。息子も色づけを喜んでやった。結局はまた主人に頼ってしまったけれど..... 。
 私は針と糸を持つ作業が苦手だった。嫌いだ、できないと思っていた。でも、『こんび太郎』は確かに私に針と糸とを持たせたのだ。
(畑山静子・HVS)
 

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