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H.V.S通信 vol.29 1999年(平成11年)8月

「ちょっとは仕事せーっ!」

 忙しい。予想はしていたけど、いつものことだけれど、やっぱりお仕事というのは忙しい。もう忙しすぎて、自分が何に忙しいのか分からないくらい忙しいです。
 でもどの職場の中にも非常にひょうひょうと仕事している人っていますよね。その人はすでに仕事というものに向上心がないように見えて(ほんとにないのかも知れない)、ただ時間内をできるだけ楽にすごそうとします。当然地位もない、信用もない。でもだからといってクビになるほどはさぼってないし、性格もまあまあ。そんな人。早い時間に「では失礼しまーす」といいながら去っていくその人の声を聞きながら、残業のあふれる私は何度も心で叫びました。「ちょっとは仕事せーっ!」
 でも最近その考えが変わってきました。なんで自分はこんなに仕事してるんや?ただの自己満足ちゃうんか?別にせんかったらせんかったで何も変わらへんで。そんな考えがよぎる中、あの人の「では失礼しまーす」の声を聞きながら最近はこう思っています。
「うーん、あのひとはもう『覚悟』を決めたのかもしれんなぁ・・・」

 私はその人のことをなんにも知りませんが、勝手にこんな予想をしています。
 あの人はもう仕事よりずっと大切な何かを見つけ、そしてそれを中心に生活していく覚悟を固めたんだろう。それは家族なのかも知れないし、趣味なのかも知れない。好きな人やものが出来てしまえば、生活の他の部分はもはや「おまけ」みたいなものなのだから、できるだけ神経や体力を使わずに過ごせばいい。自分の神経や体力、そしてお金は好きなものや好きな人のために出来るだけたくさんつぎ込もうと思ってるんだろう。もちろん仕事ではあの人は役立たずだし、多くの人から嫌われたり馬鹿にされたりするだろう。でも「それでいい、その人達のために自分は生きているんじゃないから」とあの人は『覚悟』したんだろう・・・

私はやっぱりそういう人がうらやましいんだと思います。それが最高の生き方だと思っています。
 私はやっぱり仕事に対しても野心があります。アイデアだってそれなりに出ます。好きな人もいるし好きなものもあるけれど、やっぱり仕事でもほめられたいし、それなりのことをしているという自負もあります。でもやっぱり仕事のためにあきらめることも多すぎる。少しの時間なら好きなことをする前にまず休んでしまうこともしょっちゅうです。しかも最近ではそれがあたりまえになってきました。さらにそれを「仕方がない。仕事があるんだから...」とあきらめてしまう自分がいます。
 「失礼しまーす」という声はそんな自分に「それでいいのかい?そんな大人になりたかったのかい?そんな大人にだけはなりたくないって言ってたんじゃないのかい?」と問いかけている気がします。「社会は変わらない。あとはその社会と自分との距離の取り方だけだ」...そんな言葉がもっともらしく聞こえてくるのは、やっぱり私は年を取ったのでしょうか。
などといろいろ考えていますが、これはあくまで週末のことです。日々の忙しさではやっぱりそんな悠長なことを考えている間はありません。だから結局来週からも私は言ってしまうでしょう。
「ちょっとは仕事せーっ!」
(井上陽平・HVS)

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