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H.V.S通信 1996年(平成8年)11月
ハムザ・エルディン独占インタビュー
平成8年(1996年)11月19日土曜日、碧水ホール練習室にて
....本当のことを言いますと、演奏しているときは自分も聴衆の一人なんですね。自分の楽器を聴いているという感じ。いま自分が弾いていると感じたら、たぶんミスがでると思うんですよね。
(ハムザ・エルディン)
インタビュー 上村秀裕(碧水ホール学芸員)
通訳 ハムザ・エルディーン夫人 直子さん
今の日本滞在の時にずっとコンピュータを持ち歩いておられたということですけれども、コンピュータで仕事に、つまり音楽にどのように使われていますか。
コンピュータと音楽は、私のパーソナリティで別々ですね。コンピュータは今新しい言葉みたいだから、若いミュージシャンの楽器です。コンピュータは今の言葉だから、そう、私も少し習いましたから、コンピュータを持って来ました。
ワープロ打ちで詩とか書かれるんですか。今まではたぶん手書きだったと思うんですけど、作品の詩を。
ワードプロセッサーはコンピュータが一番易しいですね。私は本を買いましたから、アラブ語とか英語とかで時々手紙を書きますからいいです。もうひとつEメールとか自分のページとかいいです。
インターネットやっておられるのですか。ホームページもっておられるのですか。
はい、ホームページは。インターネットはアメリカ・オン・ラインで。
全部英語で
英語ですけれども、インターネットはなんでも言葉からですね。私のは英語、あなたは日本語で書いて、奥さまからわかります。(笑い)
インターネットの話しがでましたけれど、編集長なにか突っ込みはないですか。
中村道男編集長:去年から碧水ホールでホームページ出しているんですが、
(直子夫人ハムザさんにむかって:あ〜そうですか。ここのホールもホームページつくりました。)
本当、教えてください。
ハムザさんのアドレスもあとで教えてください。じゃコンピュータのことはこれぐらいにして、いまアメリカの何処にお住まいでしょうか。
サンフランシスコですね。
今年の2月でしたか。・・・まで日本に。
4月まで。4月まで15年位住んでいました。
長かったんですね。
はい。長かったですけれど、言葉はまだ子どもの言葉みたい。(笑い)はずかしいです。
今回アメリカで住まわれているんですけれど、きっかけはどういうことでアメリカへ行かれたのでしょうか。
(直子夫人:どうしてアメリカに住むようになりましたか)
日本へ帰る前に、アメリカで住んでいました。アメリカで二番の家みたい、アメリカから日本へ行ったり来たり。いまもアメリカは世界のセンターみたいですね。アメリカから行ったり来たりは安いし、もうひとつは、アメリカでいま映画の音楽の仕事がきましたから、そうしました。
(直子夫人:アメリカに長く住んでいたので、アメリカが第二の故郷ですし、あといま映画の仕事をしているんです。映画の音楽、で、やっぱりアメリカにいた方が便利なのでということです。)
映画音楽といえば、プロフィールにもコッポラの作品の音楽を担当されたりとか、たしか日本の映画監督山本政志さんの「ロビンソンの庭」も担当されていたと思うんですが、映画音楽はたくさん依頼とかあるんですか。
そうたくさんじゃなくてですけれど、私の音楽の近くのフィーリングは詩を作ったりします。(以下、直子夫人の通訳を交えてインタビューは続く)私の音楽はミステリアスですから。(笑い)その映画向きのものでないですから、例えば自分の音楽とフィーリングがあった映画だと頼まれればやります。ただ「ロビンソンの庭」はやっぱり少しミステリアスな不思議な感じがあって、自分もやってみようかなと思ったのでやりました。あの、コッポラ監督の「黒い雌馬と少年」という映画があったんですけれど、黒い雌馬というんですか、それはアラビアの馬と子どもとの交流を描いたものだったんで、(アラビアンの馬だから、そう私の楽器もアラビアンだから)その部分では作曲をしました。
普段映画をよく観られますか。映画は好きですか。
私ですか。はい、たくさん観ます。よくでなくても、時間があれば。
30年以上もプロの演奏家として活動されてこられまして、日本とかアメリカじゃなしに、いろんな国で演奏されてきたと思いますが。で、いろんな分野のミュージシャンたちとコンサートを共演されてきたと思うんですが、たくさんありすぎてどれとは言わないですが、とくに印象に残っている、心に残っているコンサートがあれば、どういうコンサートだったかお教え頂きたいんですが。
日本語では難しいです。ちょっと待ってください。いろんな国で、いろんなアーティストとやってきましたけれど、それぞれ持っていらっしゃるっていう方は、伝えたいというものがそれぞれあると思いますので、それぞれ持ち味がありますね。例えばクロノス弦楽四重奏団とやったときと、例えば日本の鼓童とやったとき、クロノス弦楽四重奏団はメロディーにやっぱり持ち味があるし、鼓童はやっぱりリズムにその特色があると思います。例えば鼓童とやったとき、鼓童は太鼓を演奏するんじゃなくて、太鼓が彼等を演奏させているという感じをすごく強く持ちました。自分としては、何というんですか、世界中を旅する音楽家といいますか、そうしますとその国その国とてもいいもの、特色がありますから、それらを吸収して、それをまた他の人たちに伝えるのが、仕事だと思っています。だから、いまのはすごくいい質問だと思ったんですが、たぶんぜんぶお話しするには本を書くくらいながい時間が必要だと思います。
是非書いてください。自伝はだいぶ前に読ませていただきました。また、書いてください。
60年代から音楽を始められて、すごく長い音楽家生活ですけれども、ずっと同じテンションで過ごすというのはなかなか難しいと思うんです。やっぱりそのいろんなアーティストだけと違って、人間煮つまったりとか、考え込んだりすることがあると思うんですが、そういうときはどうやって切り抜けてこられたのか。
その質問もまた面白いと思うんですけど、自分としては人生は川の流れみたいなものだと思うんです。例えば、水滴が落ちてきて、川に吸い込まれて、その時々って速く進んだり、流れが、幅が広くなったりしますけど、できるだけそれにあわせて生きてきたってのがあります。その中でたぶん流れがあって自分の気持だけを通していくと、たぶんすごく大変だと、生きていくのは大変だと思いますが、ある程度自然に、その中に身を任せるという方法をとってきたのでよかったんじゃないかと思います。
自然体でいるというのは、わりと難しいと思うんですが、それが、どう、音楽でもムーブメントとか、いろんな流行とかあったんですけれども、そういうところを独自に音楽をやってこられたというのが、なかなかいろいろ見回してもいらっしゃらないと思うんですが、そういう音楽のさまざまな流れ、ムーブメントとかどのように感じておられたんでしょうか。
例えば、自分がやっている音楽というのは、まず自分が祖先から受け継いだものをやっていこうということが一つある。例えば自分がインド音楽とか、日本の音楽をやっても分かって貰えないだろうし、そうすると自分にやる必要があるのかどうか疑問だと思うんですね。そうすると例えば、自分がバックグランドで持ってきた音楽、祖先の音楽をやるってこと、例えばその地域でとくに忘れられた砂漠の地域のことであるとするならば、やっぱり意義があるなと思いました。それで一度、ハーバード大学の心理学部で演奏したときにですね、実際にじぶんが演奏しているときに、ものを考えているのか考えていないのか皆さんにちょっと調べられたんですね。そうしたらやっぱり何も考えてなくって、心が無の状態で演奏していました。例えばアメリカで砂漠というと少しは木があったり、人がちょっといたりしますが、私が生まれ育った砂漠というのは、本当に何もなくて、砂だけの世界なんですね。やっぱり自分の演奏するときは、やっぱり無の状態で演奏してるっていうことを、皆さんに言われました。
じゃ、演奏してるときはもう何も考えていない、それさえわからない。
本当のことを言いますと、演奏しているときは自分も聴衆の一人なんですね。自分の楽器を聴いているという感じ。いま自分が弾いていると感じたら、たぶんミスがでると思うんですよね。
オリジナル曲をたくさん作っておられますけれども、よい曲というのはどのように作ったらできるのか、よい曲がつくれる秘訣というかそういうもの。で、詩とメロディーというのは同時にできるのでしょうか。それとも詩があってまずメロディーとかができてくるんでしょうか。
まず曲の作り方ですけれど、モヘー・エディさん(エジプトの詩人)と一緒に作ることがあるんですけど、その人とまず最初に詩を作ってそれからやっていくときと、自分が曲を作って彼に見せて詩を付けて貰うときと、あと共同で作業する。同時進行ということもあります。映画の仕事と同じような感じですかね。イメージがあれば、そこから始めます。
僕からばかりでなくて、他のスタッフからも何かあれば、いいですか。
はい。よろしくお願いします
井上陽平:失礼な質問ですが、そのオリジナル曲を作るときに、自分の一番始めのフィーリングが、一体どれくらい形となっているのかという、フィーリングがそのまま・・・・どういうたらいいの。(笑い)
上村:彼も音楽、自分のオリジナル曲作っているんで、
井上:たぶん曲を作るときには、はじめにヒラメキがあると思うんですけど、そのヒラメキと実際に曲が出来上がったときに、これはちょっと違うなということを感じることはありますか。
あの、最初に答えからいいますと、例えば実際に思ったものとできたものがどうですかということですが、いい曲だと、自分がいい曲だと思ったらずっと演奏し続けます。しかし、うまくいかなかったら、やっぱりその曲は演奏しないでしょうね。ちょっとその前に(直子さんと)話していたのは、例えば曲を作るというのは、彫刻家が海岸に行って石を見つけてそれを削ったりしてものを作っていきますよね。で、音楽もそれと同じだと思うんですね。最初メロディー見つけて、いろいろ探しながらものを作っていく。ただ彫刻家と音楽家のちがうところは、彫刻家は削っちゃたらそこにもう足すことはできないんですが、音楽は何度でも、もう少し変えることはできますし、あと例えば演奏していて変わっていくってこともありますよね。聴衆の方とか、その弾いている場面とか雰囲気によってまた変わって行くってことがすごくあります。
例えばある曲があるとして、弾く度に違ってくるんです。満足できないので、だから出だしとか何度も変えてますし、あと「アラファ」はわりと早くできたんですよね。(これはながい・・)この曲はすごく時間がかかって、まだ変わりつつあります。そして、あと「エスカレー」という曲があるんですけど、その曲はもう本当に30分くらいできちゃって、それ以降は余り変えていないです。いいですか。
楽器は何ですか。
楽器はギターなんですけど。
ギターですか。
そんなに上手じゃないですが、
私も上手じゃなくて、(笑い)まだまだですけど。
(直子夫人:ハムザはずっとクラシックギターをイタリアで勉強していたので、ギターは上手ですよね。)
大変あれなんですけど、リハーサルの時間が迫っておりますので、最後の一つの質問にさせていただきます。どなたか。
なかむらみちお:自分の音楽っていうものが、非常に失礼な言い方ですが、需要はありますか。ということと、自分の音楽が求められていると思いますか。例えば今日恐らく始めての人たち、たぶん始めての種類の音楽で、始めての人たちの前で演奏する...このホールはそういうことが多いんですが、(笑い)そういうことについて、どういう風にお感じになるでしょうか。
たぶん自分が演奏しているよりは、人に受け入れられていると思っているんですね。いろんなところでコンサートもしてますし。例えば、自分の音楽を人が使うということも結構あるんですね。クロノス弦楽四重奏団、すごく世界的に有名なんですけども、彼たちも演奏していますし、いろんなダンサー、踊りを踊る人たちも自分の音楽を使ってくれて。まあ、CDもかなりの数出してますし、その点ではある程度は受け入れられているんじゃないかとは思っています。
例えば、クロノス四重奏団という名前、カテゴリーとしてはクラシックの部分に入りますね、その他にクラシック部分じゃなくて、ロックグループでたとえば、グレイトフル・デットという人たちも、いまでも自分の音楽を演奏しています。ロックをやっていても自分の音楽が好きだというのはすごくうれしいですよね。
ありがとうございます。じゃ一応リハーサルが、リハーサルをお待ちだということですので、これで。
もしもまだいろいろと質問がありましたら、またあとで何時でもどうぞ。
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