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○この記事は碧水ホール学芸員上村さん提供です。
<<<神戸100年映画祭レポート>>>
1997.1.31 上村秀裕
エジソンのキネトスコープが日本で初公開されたのが1896年の神戸、つまり今から100年前であったこと。映画史の生き証人のひとり、淀川長治氏が神戸出身であること。もともと神戸国際映画祭が毎年開かれていた土壌。神戸という多国籍な土地柄。震災からの復興祈願。
11月1日のプレイベント「アンジェイ・ワイダ・スペシャル」で幕を開け、12月1日の神戸映画宣言の日までの約1ヵ月間、70本を超える映画が上映された神戸100年映画祭。世界中で今年の神戸だけが実現できるこの映画祭に、4日間(うち1日は公式記者会見)出かけてきた。
なお、神戸100年映画祭は「国際リレー・トーク」、「淀川長治セレクション」、「アジア・フィルム・フェア」、「ヒューマニズム映画祭」の4つの部門の集合体といった形がとられており、そのうち「淀川長治セレクション」と「アジア・フィルム・フェア」には一度も行けなかった。
●11月4日(月・祝)会場:神戸朝日ホール
<国際リレートーク>:ウェイン・ワン スペシャル
観た映画:『ブルー・イン・ザ・フェイス』BLUE IN THE FACE(1995年/アメリカ+日本/監督:ウェイン・ワン&ポール・オールスター)
ゲスト:ウェイン・ワン Wayne Wang
コーディネーター:川本三郎
案内地図とにらめっこしながら同じところをグルグル歩く。やっと見つけた会場は何度も目にしていた巨大なビルの中にあった。
早めに三ノ宮に到着していたはずなのに、ヒット作『スモーク』の開映には残念ながら間に合わず、2本目に上映される『ブルー・イン・ザ・フェイス』を観て、それからウェイン・ワンのお話しを聞くことにする。
早めに神戸入りして街を散歩していたというウェイン・ワンが、『ブルー・イン・ザ・フェイス』上映前に急遽舞台挨拶に現われる。写真よりも若く見え、穏やか。とってもお洒落な人だ。
実はウェイン・ワンの映画を観るのは今回が初めて。『ブルー・イン・ザ・フェイス』はドキュメンタリーのようなフィクション。内容は、『スモーク』の舞台となったニューヨーク下町の煙草屋に集まる人々の会話が何の脈絡もなく進行していくだけ。マドンナが歌いながら電報を届ける郵便局員だったり、マイケル・J・フォックスが半ズボンを履いた学者でちょっとだけ出たり、ジム・ジャームッシュが煙草をやめようとするヘビースモーカーだったり(ウェイン・ワンによると、歌手のトム・ウェイツは、睡眠中でもたばこを吸うために起き上がるほどのヘビー・スモーカーらしい)。主演は『ピアノ・レッスン』などに出演し、『スモーク』でも主演だった、渋めで人気のハーヴェイ・カイテル。でもこの映画はルー・リードにつきる、と思う。ヴェルヴェッド・アンダーグラウンド(注1)のころから現在に至るまでのニューヨークの顔といってもいいだろう。彼は、インタビューに応える形で合間に顔を覗かせる。本当にインタビューに応えているのか、あるいは台本があったのかはわからない。だが、固定カメラに向かってただダラダラしゃべってるだけで映画になる人だし、しゃべる言葉ががそのまんま詩になってしまうひとりだ。ヘビーなギターがうなるルー・リードのエンディングの曲もかっこいい。
上映後、休憩時間がかなりあってからウェイン・ワンのトークが始まった。ウェイン・ワンという名前は父親がジョン・ウェインの大ファンだったからだという。
アジア出身のシネアストがアメリカで成功することは難しいが、香港出身のウェイン・ワンは商業的にも成功している数少ないひとりである。日本からアメリカへ渡って成功している映画人っていたっけ?と考えてみたら、すぐに思いついたのが早川雪舟ぐらい。
さて、評論家の川本三郎氏によるインタビュー形式で進行。川本氏はなんとも舞台慣れしていないというか、あがっているのだろうかと疑ってみたくなるくらいスレてない人だ。川本氏の他、インタビュアーには、長いアメリカ滞在ののち今は日本で仕事しているという韓国出身の女性(関西のFMのDJをやっている人。名前は忘れてしまった)が参加した。
トークは『スモーク』や『ブルー・イン・ザ・フェイス』の舞台になっているニューヨークのことを中心に、そこで暮らすこと、仕事をすること、言葉のことなどに話題が広がる。川本氏がウェイン・ワンの映画のことを「アメリカ映画らしくないアメリカ映画」と言っていた。われわれはハリウッド産のものをアメリカ映画とイメージしやすいが、ニューヨーク産の映画は、たとえばジム・ジャームッシュなどのように無国籍な感触がある。
ウェイン・ワンは尊敬する監督に小津とサタジット・レイを挙げていた。
今後の予定として、1997年7月の香港の中国返還にあわせて映画を撮ること、フランシス.F.コッポラと仕事をしていることが報告された。
会場にはウェイン・ワンの奥様が姿を見せていた。エドワード・ヤン監督の最新作『カップルズ』にも出演している女優である。
(注1)ルー・リード、ジョン・ケイル等による伝説的ロック・グループ。アンディ・ウォーホルの映画『チェルシー・ガールズ』に出演していたニコが加わり、1966年のウォーホルのプロデュースによるアルバム(バナナのジャケットで有名)など4枚発表。1970年解散後に日本に紹介される。
●11月6日(水)会場:神戸朝日ホール
<国際リレートーク>:キアロスタミ スペシャル
ゲスト:アッバス・キアロスタミ Abbas Kiarostami
コーディネーター:川本三郎
映画は1本も見ることができず、最終回のキアロスタミのトークにぎりぎり間に合う。この日はジグザグ三部作(『友だちのうちはどこ?』『そして人生はつづく』『オリーブの林をぬけて』)が先に上映されていたが、この時点では、映画祭がスタートしてから最高の入りだったそうだ。ジグザグ三部作はこれまでに関西でも何回も上映されているし、テレビでも放映済みなのに。何度でも観てみたくなる映画ということなのだろうか。それとも『そして人生はつづく』がウリになっているのだろうか。キアロスタミのトークを聞きに来ている観客は若い女性が多かった。目の前の客席には高野悦子氏(岩波ホール総支配人、この映画祭の実行委員長)が座っていて、さかんに写真を撮っていた。
キアロスタミは来日前に大きな事故に遭って、まだ肋骨にヒビが入っているそうで、本人は「笑うとひびくから笑わせないでくれ」とまず観客を笑わせてくれる。一瞬にして場内がリラックスしたムードになる。
観客からの質問コーナーも含めて、話の中心が『そして人生はつづく』のことになった。『そして人生はつづく』は、『友だちのうちはどこ?』の主役だった男の子の住む村が大震災に遭い、監督が息子とともにその現場に出かける、といったロードムービーである。自分は阪神淡路大震災がおこるちょうど1年前に初めてこの作品を観ている。その時、最初の10分ぐらいは、映画に出ている監督がキアロスタミ本人だと思っていた。事実イランの震災直後にキアロスタミは現地に走ってはいるのだが、実はこの映画は震災がおこってからかなり時間を置いてつくられたものなのだ。そして、この映画はドキュメンタリーではなく、完全にフィクションだとキアロスタミは言った。
イランではこの映画に批判的な声が多く、そのおもな理由として、「死体がひとつも見あたらない」、「被災した人間の顔があんなに生き生きしているはずがない」よって「真実味にかける」というものがあったらしい。しかし、たとえば、サッカーの試合を観たくてTVアンテナを立てている人などのように、映画に出てくる様々なエピソードは、実際にキアロスタミが出会ったものだという。お涙頂戴映画をつくるよりも、そうした人々の表情を映画にすることをキアロスタミは選んだ。そのほうが重要だし、しかも現実的なのだ。だからキアロスタミの映画は素晴しい、というのではない。今まで観たこともないような真新しい映画の興奮がいつもあるから素晴しいのだ。
『そして人生はつづく』は地震を主題にした映画ではない。
●11月8日(金)会場:ホテルオークラ神戸
<公式記者会見>
#1:アッバス・キアロスタミ Abbas Kiarostami
#2:陳凱歌(チェン・カイコー)
初めての公式記者会見参加、しかも今をときめくアッバス・キアロスタミ監督と陳凱歌監督である。会場となったホテルオークラ神戸のゴージャスさが、更に緊張感を煽りたててくれた。
まず最初にキアロスタミ監督が現われる。1日おいて再びキアロスタミ本人を目の前にして話が聞ける興奮を抑えようとつとめる。
今、イランの映画は人気が高いが、制作本数は年間60本程度で、そのうち10%は国がつくる映画なのだそうだ。それらはイランとイラクの微妙な関係を反映したもので、いわゆるプロパガンダ的映画である。複雑なイランの国情を考えれば、映画どころではないはずだということは容易に想像できる。だが、そのような環境の中で撮りたい映画を撮るハマリ具合はちょっと想像し難い。キアロスタミはそのハマリ具合のことを「みんな愛情で撮っている」と表現していた。愛情か・・・、そいえば巨人ゴダールも「これからは愛だ」なんてこと言ってたなぁ。
「イランでは他の国の映画は観る機会があるのか」という質問があった。アメリカ映画は輸入禁止らしい。日本の映画はまだ見る機会が多いほうで、たとえば黒澤などは人気があるらしく、キアロスタミの息子さんは上映時間1時間ほどの『乱』を観たそうだ。『乱』といえば3時間ぐらいの映画だが、「繰り返し上映されて短くなっていったのだろう」とキアロスタミは笑っていた。だが、ほんとうに理由はそれだけだろうか?
ところで、「これからの映画はどうなっていくとお考えか」という質問が必ずある。キアロスタミはこれまでにも同じような質問を何度も受けてきたことだろう。今回のこの質問に、キアロスタミは予測ではなく、願望に置き換えてイタリア人(名前が聞き取れなかった)の言葉を次のように引用して答えた。「最初のジェネレーションはチャップリンや小津(と、確かに聞こえたのだが)のように人生を見て映画をつくった。次のジェネレーションは、それらの映画と人生の両方を見て映画をつくった。そして今はその両方を忘れて技術をみせるようになった。これからの映画は、もっとも忘れてしまっている初期のころにもどる必要がある。」。
さて、休憩をはさんで陳凱歌監督が現われる。テレビで見た時よりも若く見える。日本で中国の映画が観られる環境は、今はもう珍しくもなんともないが、本格的に中国映画に眼が向けられるきっかけとなったのは陳凱歌の『黄色い大地』だろう。2年前公開された『さらば、わが愛〜覇王別姫』の大ヒットは記憶に新しい。
今回の映画祭に、陳凱歌は新作『花の影』とともにやってきた。話題はやはり、新作のことに向けられた。撮影がクリストファー・ドイルということも話題の一つ。クリストファー・ドイルもこの映画祭のために来日していたが、その人気ぶりはかなりのもので、映画上映の他に写真展も行われたりしている。ドイルのトーク・ショーは大盛況だったそうだ。監督でも俳優でもなく、キャメラマンがアイドルっぽく注目されるのは今までにあまりなかった現象だ。記者会見中の質問で、誰かが思わず「ドイル監督の・・・」と口走ってしまうくらい。
陳凱歌の映画は本国ではあまり評判がよくない。大ヒット作『さらば、わが愛〜覇王別姫』は政治的な理由で上映禁止になってしまった。で、新作『花の影』ではその辺に気を付けたのに、今度は道徳的理由で上映禁止なのだそうである。自分の国よりも他の国での評価が圧倒的に高いことは、何も陳凱歌に限ったことではない。世界的に活躍するシネアストはいつでもその運命にある。
●11月29日(金)会場:神戸市産業振興センター
<ヒューマニズム映画祭>
観た映画:『書かれた顔』THE WRITTEN FACE(1995年/スイス+日本/監督:ダニエル・シュミット)
ゲスト:ダニエル・シュミット Daniel schmid
コーディネーター:因幡新平(神戸100年映画祭総合プロデュサー)
開場10分前に会場に到着するとロビーはすごい人手で、しかも50〜60代だと思える女性が圧倒的。ダニエル・シュミットではなく、玉三郎が目当てであることはあきらかで、映画ファンばかりが集まるのとはまた違った趣がある。南座に迷い込んだみたいだ。観客が多数集まるときは、やはり一部の層に片寄るものだとあらためて確認した次第。またもや客席からスクリーンを見つめる高野悦子氏を発見。
好きな日本の映画監督の名前を「ミゾグチ」と一言で答え、「自分は境界線に生きている人間」であり、自分の映画はどこの国にも属しないというシュミット監督。ずっと観る機会を逃してきた『書かれた顔』は、虚構と現実を行き来するダニエル・シュミットの世界が展開されていた。そして、前述のキアロスタミ同様、この作品は全くのフィクションですとシュミットはいう。
主演は坂東玉三郎。素顔の玉三郎が、化粧を塗りたくり舞台で舞う虚構の玉三郎に出会う構造になっている。しかも、素顔の玉三郎がインタビュー形式で自分を語ってしまうシーンが紛れ込んでいたりする。さらに素顔の玉三郎は自分以外の様々な虚構に点々と出会う。武原はん(芸者)、杉村春子(女優)、そして大野一雄(舞踏家)。いずれも高齢。この人達がそれぞれ登場する最初の場面で、名前と年齢が字幕で紹介される。「伝説」と冠した字幕付で。もちろん誰もが存命中なのだが・・・。
シュミットの映画には、高齢者がよく出てくる。養老院で生活している元オペラ俳優をとらえた『トスカの接吻』(実はシュミット監督は有名なオペラ演出家でもある)、映画を撮らなくなった大監督ダグラス・サークをとらえた『人生の幻影』等々。シュミットは失われゆくもの(シュミットは「トワイライト」という言葉をさかんに使っていた)に惹かれるという。そして『書かれた顔』に出演する人々(玉三郎も含めて)はそれぞれの世界の最後の人だともいう。
会場から「トワイライトの後には何がやってくると思うか」との質問があった。シュミットは、「トワイライトの後には暗闇があり、そこで夢を見て、しばらくすれば新しい日の出が見られるだろう。その時にはもう、武原はんさんはいない。」と答えた。
帰りは、会場に来ていた「びわ湖シネマフェスタ」実行委員の林さんと一緒だった。びわ湖シネマフェスタも開催中だった。映画祭期間中でも、当然映画館で映画は上映され続けている。映画祭がひとつ終わってしまっても、映画も映画館も、そしてまた別の映画祭もある。この日見た映画のことやシュミット監督のことよりも、映画館以外で、こうやって映画が見られるということ、そしてそういう現場に関わっていくことの意義を考えながら帰った。
上村秀裕(文・撮影/碧水ホール学芸員)
E-mail kamimura@jungle.or.jp
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