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H.V.S通信 vol.28 1999年(平成11年)6月
清経が入水した理由が
わかる部分に
傍線をつけよ。
能を観る人
能は演劇、音楽、文学を横断する極めて抽象的なパフォーマンスだ。舞台はただの方形の空間でその動きは約束事に満ちていて記号の連続のようでさえある。こんなものを「楽しめる」人がいるのかと思っていた。
昨年の碧水ホールでの催しで数人の若い人達が来ているので声をかけたら、「今日出演している人が大学の授業の先生です。」という。学生達にもなかなか人気の講座だそうだ。能はまだ良くわからないけれどその先生を観に来たとのこと。
考えて見ると「野球」というものを見ているわけではない。長島監督や野村監督や選手達のプレーを見ている。
京都というのはすごい町で、町内会に能楽師が、それも人間国宝やらその一歩手前やらが住んでいたりする。そんな所に住んでいると多分お能の楽しみ方ももっと身近なのだろう。
オーケストラだって、中に一人、話をしたことがある程度でよい、知っている演奏家がいれば随分近く感じる。
そんなことを考えてたら小暮さん*1から「『清経』観ました。」のメールとファックスがとどいた。滋賀県は「能の濃いところ。」とのこと。
「清経」が入水した理由の書かれている部分に傍線をつけよ...という楽しみ方があってもいいかも知れない。
実際、図書館から本を借りてテキストを読んでみたけれど、なぜ清経が死んだのか良くわからない。答えは「所詮消えねばならぬ露のようにはかない身なのに、いつまでも生きていたいかの如くに、浮草さながらに波のまにまに舟に乗って漂流し、いつまでつらい目を見ようか。いっそ水に沈み果てようと。*2」ということになるのだろうけれど。もしかすると言葉にしなくても皆わかっているのかも知れない。「はかない身」を処する美しい方法というものがあって、それに殉じた人がいる。そのことが哀しく美しい物語になった。
大分県宇佐市に清経の墓と石碑がある。高橋さん*3の説明によると「横笛の名手で、平家の若武者。小松内府重盛の子。清経は、平家没落を悲しみこの地で入水自殺したという哀話が伝えられている。」
近くに八幡宮の総本社宇佐神社がある。
水口神社で薪能。秋の夜に月を仰ぎ、かがり火を焚いて、虫の声をバックに静かな笛の音。女性のうらみごとと、男性のいいわけを聴く。とにかく自分の目で見てみよう。
HVSも宣言している。基本はミーハーとため口感覚だ。
(中村道男・碧水ホール館長)
*1小暮宣雄さんはHVS通信10号で登場、毎年、碧水ホールアートフォーラムの講師として来ていただいている人。お仕事の流れからか趣味からか関西のアーツを集中的に観ている。そのハンドメイドな記録「小暮日記」は関係者につとに有名。許可を得てその「清経」の部分を掲載させてもらう。
*2(岩波書店刊行日本古典文学大系40謡曲集上頭注)
*3高橋さんhttp://www.interweb.ne.jp/~takahasi/は新邪馬台国の初代総裁で奥さんは卑弥呼だった人。私はミニ独立国ブームをおこした人のホームページを偶然見つけてしまった。ここから別の話しが長くなる。
●「小暮日記」から
1997.10.4.土 大阪駅から10分ぐらいの大阪能楽会館、正午から始まって午後6時42分まで。舞囃子が4つ終わったときには補助席も入れてぎっしり、私は初め青葉会に電話したところ、補助席しかないが、返券があればという配慮で結果脇正面3列目のいいところ。橋懸かりからシテ登場を観るために首が疲れた(これは気配だけを感じて囃子方に耳を澄ましていればいいのかも知れない)が、心配したほどの囃子の音が地謡より小さいと言うことはなく、この野口傳之輔主催の笛方森田流の研究会「能と囃子の会」にずぼり浸った。シテ浦田保利が誘う2時間以上の幽境「姨捨(オバステ)」の状況を本当に自己のものと感じ入るまでにはあと40年やそこら生きていなくてはなあ、更級の月がしみじみと見えてくるまで、と、ひよっこな観能初心者は恐れ入り。
(中略)
さて能楽「清経/恋の音取」、何で若武者が笛吹いて戦を儚んで入水してしまったんだろうか、妻(ツレ山本博通)は納得できない。その問いかけの清冽さが、清経(シテ梅若六郎)が生前愛した笛(野口傳之輔)の音になって、亡霊を呼び出す。
長くなるがニフティサーブの会議室「伝統芸能フォーラム」ぬえさんの解説。<常は「手向け返して夜もすがら」の地謡を聞きながらシテが登場するのが、この部分を地謡が非常にシッカリと謡い、この間に笛方はいつもの座からいざり出て地謡の前まで進み、幕の方を向く。地謡は次第に音程を下げていき、最後は後列だけが声を出し前列は黙る。静寂の中で笛は眼目の「恋の音取」を独奏してこれに引かれる心にてシテが現れる>・・囃子方が移動する所を観たのは初めて、シテとツレとの間に音楽が入り込む特別な構図。清経の面から生身の首が見えず髪の毛に覆われていることもあり、若く繊細な、夢に見る男そのもの。山本哲也の太鼓が渋くてなんか好き。
(小暮宣雄・芸術環境研究家)
水口薪能『清経』他
平成11年9月18日土曜日夕刻
催しは午後5頃から始り解説、火入れ式、仕舞、狂言なども含まれます。
能楽解説 観世流職分 河村禎二
狂言『棒縛』 茂山千三郎
能 『清経』 河村和茂 山本博通
村山弘 笛 相原一彦
会場 水口神社(碧水ホールとなり)
雨天の場合は碧水ホール
入場料前売2000円当日2500円
碧水ホール、チケットぴあ、KEIBUN、平和堂水口店などで7月3日から発売
主催・水口町教育委員会
企画協力・観世流河村能舞台
有限会社サクシード
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