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H.V.S通信 vol.42 2001年(平成13年)1月



vol.42-21
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 2000年度(平成12年度)碧水ホール十大ニュース
 
2000年度(平成12年度)碧水ホール十大ニュース ※掲載順は、順位ではありません
 

@きっと会えると思ってた
 本当に実現した
 矢野顕子出前コンサート
 初の滋賀公演

(6月17日)
 矢野さんの出前復活祈願から5年目に、ほんとに実現しました。別に今世紀最後の年をねらっていたわけではなくて、ご縁がたまたまそんな年になったということです。このコンサートは、碧水ホール有史でチケット最短売り切れ記録を更新しました。計画を進める段階からすべてが終るまで、矢野さんのスタッフのプロフェッショナルなお仕事ぶりにも感動しました。ボランティアスタッフの女性達は、音響オペレーターとして来館された新居(にい)さんの物腰に感激しまくっておりました。本番終了直後に演奏曲目(元ネタ付)リストを玄関へ張り出しましたが、あれは事前に知らされていたものではなく、本番中にメモっていたものです。曲名の正確さを期するために、インターネットも活用しました。サーチエンジンはとても便利ですね。

(撮影 吉田智美・HVS 2000.6.173)

@矢野さんも参加してくれた
 FAXペーパー展

(9月9日〜9月23日。出品受付は8月)
 その矢野さん、本番中に「わたしも送ろうっと」とつぶやかれたFAXペーパー展。彼女はリップ・サービスではなく、本当に描いた絵をFAXで送ってくださいました。やっぱり偉大な方です。地球上に居るなら誰でもどこからでも参加できる本展は、2001年はさらに日常化へとシフトしようと計画中です。

@オリンピックのサッカー準々決勝の日、
 詩人ななおさかきは水口にいた

(9月23日)
 FAXペーパー展の最終日に、ななおさかき詩の朗読会(ポエトリー・リィーディング)を開催。これもねらったわけではなく、たまたま彼が日本に居る時期と展覧会の開催がぴたりと重なり急遽決まったものです。ところが、お客さんのキャンセルが当日になって続出。原因はおそらくオリンピックのサッカー準々決勝でしょう。本番終了後、展示されているFAXペーパーに囲まれての打ち上げには、ほとんどのお客さんが残りました。ななおさんを送迎してくださった三重県亀山市「月の庭」のマスター岡田昌さん、ありがとう。ななおさんは10月にはイタリアへ朗読ツアーに出かけるとのことでしたが、無事帰って来られたのだろうか。

(撮影 吉田智美・HVS 2000.9.23)

@天はしばしば味方する、こともある
 水口薪能
(9月10日)
 台風の三つ巴と秋雨前線のハサミ打ち。迷いを誘う降水確率60%。午後には雨と雷がちらほらという絶体絶命の中、数日前からネット上のアメダス、彦根気象台、TVの天気予報とにらめっこしたあげくの野外決行は、一部から無謀とさえ言われたわけですが、本番中は会場の上空だけがぽっかりとその数字を吹き飛ばしてくれました。遠くでは稲妻が閃光、近くでは月と虫の音が会場を演出していました。舞台では、なんといっても中学一年生の子方、田中義人さんの存在が光っていました。これからも要注目です。接客ではガールスカウトの方々の応援があり、舞台裏ではノラ猫を追いかけるボランティアスタッフがいました。

@最長6時間の映画有り 
 フレデリック・ワイズマンに
 どっぷり浸かる7日間

(7月20日〜22日、7月29日〜30日、 8月5日〜6日)
 日本ではまだ無名に等しかったワイズマン監督。最新作『メイン州ベルファスト』の西日本初公開を含め、彼のほぼ半数の映画を上映。長編が多いにもかかわらず、期待以上の入場者数でした。ハイライトは6時間の超長編『臨死』。映画3本分の上映時間、しかもこの題名。果たして観に来てくださる方がおられるのか不安におののく日々でしたが、会場にかけつける方々の足取りに意気込みがみなぎっていました。6時間の映画にスライドで日本語字幕を付ける難問もありましたが、水口町在住の陶芸家ガーリー・モーラさん、HVS1年生の中谷さんの連携プレイでなんとか完了。

@9回裏の逆転劇
 水口ロケの市川雷蔵主演映画『続 忍びの者』ニュープリントで蘇る
 雷蔵 in 水口

(10月29日)
 前売が伸びず厳しい戦いでしたが、当日券で盛り返し、ゲストの内藤昭映画美術監督の映画人生半世紀というメモリアルな年に花を添えられました。雷蔵ファンクラブ「朗雷会」からは石川よし子会長をはじめ、事務局長がアメリカから来日するなど会員の方々が各地から泊りがけで水口を訪れました。石川会長は、来場のみなさまにプレゼントしたいと書籍「忍びの達人」を送ってくださり、アンケート回答者から抽選でプレゼントしました。また、会場には田中徳三監督(『眠狂四郎』第一作などを監督)、撮影当時にセット制作を手伝ったという大工さん、エキストラで出ていたものの、当時はお金がなかったので見られなかったと場内を沸かせた人など、様々な思い出をかかえた方々も来場。映画の始まりに「出演市川雷蔵」の文字が出た時と終映の時に場内から拍手が起こった(HVS尾道のリポートより)ことも、メモリアルな日として記されるでしょう。この日から約一月後、水口にもシネコン「水口アレックスシネマ」がオープンしました。

@ミレニアム企画の本命
 浄土声明+インド音楽+ダンス

(11月18日)
 1997年、台風の最中でありながらも多くの聴衆が感動を共有した「浄土声明×インド音楽」。今回はダンスのダヤ・トミコさんが加わり、ラストに全員が出演する中川博志さんのオリジナル曲もバージョン・アップ。そして7月に海外公演を成功させた声明の七聲会(しちせいかい)、シタールの名手アミット・ロイのシャープな演奏がパワー・アップして碧水ホールへ再登場。ステージは今年一番の手間ひまのかけようで、演出上、裸火がステージに必要だと本番前日に判明し、慌てて消防署へ禁止行為解除申請に走ったり、お寺で借りた太鼓が年代物で不安定だったりなど、先行き不安な当日でしたが、そうした諸々を押してあまりある伝説的なライブとなりました。
@京都チェンバーとすごした2000年
(通年)
 前年度に引き続き、京都チェンバーオーケストラ関係の方々との共同作業が多数展開されました。オーケストラとすごす夏休み、ヴァイオリンやピアノのワークショップ、コンサート・ミストレスの塩見裕子さんのソロ・リサイタルなど。新たな展開で注目されるのは、指導者にオーケストラの音楽監督である鈴木博詞さんと同オーケストラの事務局長でもある河本学さんを迎えている「さざなみアンサンブル・バイオリン教室」が誕生したことでしょう。稽古だけでなく、月1回は稽古前にプロの演奏を20分間聴く短篇型コンサートも開かれています。初めてバイオリンを手にする人が音楽をまず楽しむというごく自然な眼目の奥には、10年後にベルリン・デビューという遠大な夢が潜んでいます。

@ライブ怒涛月間
(9月と10月)
 ロビー・ライブハウス化計画採用企画が今年は9月と10月に集中し、さらにロビーの手ごろさが口コミとなって、まさにライブハウスなシーズンとなりました。内容も、伝統音楽から現代音楽までジャンルも個性も多彩。「聖なるヒマラヤの調べ」(9月2日)や「ヤムナ日本・ヨーロッパツアー」(10月12日)などの来日公演もありましたし、タイから来た「アドゥーン」などの逸材を発見する場ともなりました。また、KAZUROO KING STATESのように、ロビーライブを地道に積み重ね、とうとう初のホール単独公演(9月16日)、しかもその模様をCDにする人も出てきました。

@チラシ・コーナーの試行錯誤
(通年)
 「碧水ホールに置いてほしい」とのご依頼で届くチラシや冊子は年々増え続ける一方。でも設置場所は限り有り。現在はチラシにパンチで穴をあけて金具を通して展示ボードへ作品のように展示しています。すっきりして探しやすくなったのですが、穴をあけるのはチラシ作成者に失礼な気もするし、コレクターには不評かも、と思いつつ現在も模索中です。良いアイデアを思いつかれた方、ご一報を!


(取りまとめと文:上村秀裕・碧水ホール学芸員)




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スライド字幕投影の舞台裏


スライド字幕投影の舞台裏
■フレデリックワイズマン映画祭


 上映した15作品の中で、映画『臨死』だけ日本語字幕がついていませんでした。英語でしかも6時間の映画ですから、やはり日本語字幕がほしい。ということで映画提供元のエース・ジャパンさんから日本語字幕のスライドと日英両方の台本を事前に送っていただき、まず試写用ビデオでリハーサルを行いました。
 ただ、スライドの枚数が約1200枚もあり、そのスライドを収納するためのトレーが最低14本は必要でした。ところが碧水ホールにはトレーが4本しかなく、1本消化する毎にスライドを差し替える作業が必要になってきました。この役割を担当したのがHVSの中谷さんです。
 所有していたスライド映写機にも問題がありました。もともと遠距離対応型ではないので、映写室からスライドを投影するにはルクスが低く、また字幕をスクリーン・サイズに収めるために必要なズームレンズがたいへん高価であるため、ズームレンズの購入をあきらめなければならなかったからです。この問題を克服するためのアイデアはいくつか提案され、最終的に次の方法をとりました。まず映写室に白い壁を設け、そこにスライド字幕を投影→投影された字幕をビデオカメラで撮影→撮影している字幕映像を客席に設置したビデオプロジェクターへ配信しスクリーンへ投影。これで遠隔地からのスライド映写が可能となりましたが、厳密なセッティングとリハーサルが必要だったことは言うまでもありません。
 あともうひとつ、最大の問題がありました。スライドの操作を担当する碧水ホール・上村の英語の語学力に問題があったのです。ここで、水口に長く住んでいるアメリカ出身の陶芸家、ガーリー・モーラさんにご登場いただき、スライド字幕が映画とうまくリンクしているかの指揮官になってもらいました。映画のテンポに字幕を合わせるには、日本語と英語の両方が堪能、そしてもちろん映画好きでなければなりません。またジャズもお好きなガーリーさんなので、セッションのようなこれらの作業にうまく反応していただけたのかもしれません。
 以上のようなシステムとチームで本編6時間を乗り切りました。


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