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H.V.S通信 vol.49 2001年(平成13年)12月



vol.49-31
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ジョージ、おやすみなさい
 
 
Subject: [hvs 170] ジョージ・ハリスン死去
(井上陽平)
Date: Fri, 30 Nov 2001 23:49:58 +0900
From: "yohei" <*****@******>
Reply-To: hvs@ml.asahi-net.or.jp

ごめんなさい。またまた長い文です。携帯の人は読めないんですよね。パソコン用になってしまいました。とにかくジョージハリスンさん、安らかに、ということです。

やはり書かねばならんでしょう。仕事いっぱいあるけど。
ジョージ・ハリスンさんありがとう。安らかにお眠りください。
天国ではジョンが待っている。でもあまり仲良くなさそうやなぁ。ジョンはLET IT BE のセッション中にジョージがスタジオ出たときに、「クラプトン入れようぜ」と言ったことをあやまれよ!
んで、ジョージは『I ME MINE』でジョンのことをボロクソに書いたことをあやまれ!そんでそれからは、「やぁやぁ」なんて言い合う関係になって欲しいなぁと思う。大きなお世話か。

でも、多分ジョージが死んだことで涙を流す人ってやっぱりジョンよりはるかに少ないのではないかと思う。私もやたらと冷静だ。でもしみじみとさびしい。
ジョンのように生き方とロックをつなげたタイプではないし、ポールのように徹底したポップ感覚を持っていたわけでもない。つまり「思い入れがしにくい」という人だと思う。きっとジョージはそういう生き方を望んでいたんだろう。
「ぼくはぼくでやってるから、心配しなくていいよ。ちゃんと家族だっているし。幸せにやってる。キミもそうなら、それでいいじゃないか」と言いそうな人なのではないかな。
そして、その生き方に相応した才能と運を神様は授けたような気がする。たまのヒット曲と、ライブをしなくても文句もなく見守るだけのファンと仲間。

大のビートルズマニアを自負する私も彼のアルバムってほんとにほとんど聞いたことがない。
『オール・シング・マスト・パス』のみ。大傑作といわれるあの作品も今ではほとんど聴かない。あのアルバムは生き方を変えるアルバムではないから。問題提起でも、なにかの宣言でもない。ついつい音楽にそのようなものを求めてしまう私のようなタイプには物足りないアルバムだった。
でもそれがジョージなのだ、という気がする。
「そんなことくらい音楽から得ずにあんたでなんとかしてくれよ」と言われそうだ。で、きっとその通りなのだ。ジョージは大人だな。きっとジョンよりずっと。

今は『イエローサブマリン』に収録されていた「It's All Too Much」という作品がお気に入り。
これってすんごいグランジ(死語!)だ!
ニルヴァーナあたりがカバーしたら絶対無敵の
ライブ曲になるだろうという気がする。ジョージってあまりロック曲がなくて、それがいまいち入りきれない理由にもなっているのだけれど、この曲と「Taxman」「Savoy Truffle」は最高!だれかライブでやりませんか?
ギターガンガンならしてください!フィードバック連発で!

そういえば『イエローサブマリン』のリマスタートラックってジョージが中心になってしたんやったなぁ。
彼は生き方がしなやかな分、ビートルズに対してもジョンみたいに狂ったように攻撃して忘れようとしたり、ポールみたいに勲章としてやたら誇ったりするわけでなく、わりと冷静に「人生の一部分」として考えているフシがある。
だからサウンドに手を入れることに抵抗がなかったんだろう。インタビューで「これですごい音になったんだよ!」ってまるで他人事のように興奮してしゃべったりしていたなぁ。
だからビートルズの新曲!と騒がれた「Free as a Bird」で、一番サウンド面で活躍できたのも納得。多分冷静に「この曲をどうやったら映えさせるか」と考えたのがあのイントロのスライドギターだったのだ。(あの曲でのポールの力みようったらなかった!)
そしてだからこそ、「人生の一部分」を越えてきたビートルズの活動に誰よりもはやく嫌気がさしたのも納得。ライブ停止の主張、インド訪問、解散大賛成、「元ビートルズ」といわれることを誰よりもいやがったこと、全部納得がいくような気がする。
「俺の人生のじゃまをするな!それがたとえビートルズでも!」というところなんだろうな。


58歳かぁ。若いなぁ。
でも彼の人生って、ほんとうに人生をしっかり全うした感じ。ただ人よりそのサイクルが早かったということだろう。
狂ったように邁進した時代は、ふつう30前後でくるけど、彼は17歳からそうなってしまった。ビートルズに入って。
で、28歳でそんな生活をやめて、ゆっくりと(きっとわざと)フェードアウトしていき、40歳くらいにはほとんど隠居と言っていいほどの生活になっていた。で、ふとひらめいたように大ヒット曲「All Those years ago」と「Set on you」出して、でも今さらはしゃぐわけもなく、ゆったりした世界に帰っていった。で、58歳で没。死ぬことへの恐れが彼にはなかったのかもしれない。
いや、家族を大事にする人だったから、人以上に死にたくなかったのかもしれない。
でも、こと「自分」に関しては、すべてやり終えた、って感じだったのは間違いないような気がする。

彼はきっとテラスあたりでたまにギターを弾いて過ごしている。そこが現世であるか天国であるかの違いだけ。
で、きっと私もふだんと変わらない日々を過ごす。彼が死のうと死ななかろうと、彼のことを忘れず、でもいつも考えるわけでもなく、というスタンスを取りながら。
それはジョージが望んでいたことだと信じている。
2001年の11月30日。私は風邪をひいて仕事を早退した。
それ以外は何の変哲もない一日だった。
ジョージ、おやすみなさい。




(井上陽平・HVS)
ジョージ、おやすみなさい



 碧水ホールボランティアスタッフの間で、メーリングリストを試している。一つのメールアドレスにメールを送ると、そのメーリングリストに参加している人全員に自動的にメールが送信される仕組みで、インターネットの初期の頃から(マックとか、ウインドウズとか、パソコンとか携帯とかが現れる以前から)使われている仕組みだ。今時だから、携帯メールで参加している人もある。
陽平さんが長文を送ってくれた。本来はインフォーマルなメーリングリストなのだが、ここに掲載してしまおう。もちろんご本人の了解を得て。そして、何人かからの返信のメールがあったことも添えて。
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