H.V.S通信 vol.72
2004年(平成16年)10月
home<
![]() HVS通信 vol.72 2004年(平成16年)10月 甲賀市誕生...1 『ハンサムガール』を観てきました(大野溶子)...1 である(ように・・(岸田幸治).2 タイ・バンコク(上原秀格)....2 碧水ホール秋後半の催し...3 仮称 『甲賀映画祭』設立準備メンバー募集...3 あまりに遅すぎる(井上陽平)...4 編集・発行 碧水ホールボランティアスタッフ 滋賀県甲賀市水口町水口5671 郵便番号 528-0005 電話 0748-63-2006 ファックス 0748-63-0752 e-mail michio@jungle.or.jp ホームページ http://www.jungle.or.jp/hvs/ 碧水ホールの公式ホームページ http://www.city.koka.siga.jp/hekisuihall/
シタールの巨匠 モニラル・ナグ来日公演 go→ 2004年10月23日(土)午後4:00開演 前売2000円 当日2500円 インド古典音楽は季節、時間帯などで楽曲が選ばれ、様々な法則を守りながら即興で創造される音楽、古典を重んじながら新しさに満ちた音楽です。テレビやCDではなく生でインド音楽のすばらしさを体験する機会を作りたいと、碧水ホールでは、インド音楽界の名演奏家を招いた演奏会をこれまで5回開催してきました。 今年は、シタールの巨匠モニラル・ナグが来日します。年に一人だけ選ばれるインドの文化勲章を2002年に受賞し、まさに円熟の期にさしかかったモニラル・ナグ。甘くきらびやかなシタールの音を聴けば、「あぁ、これがインドだ」と感じてしまいます。そしてタブラ奏者(インドの打楽器)のサンディープ・バナジーの演奏にもご注目を。優雅で情熱的なドラミングと称されるサンディープは今回が初来日です。本格的なインド音楽の演奏に、ぜひご期待ください。 |
2004年10月1日 甲賀市誕生 さて、8月1日の「音楽ノ未来・野村誠の世界」につづくガムラン企画は9月11日「ガムランコンサート桃太郎第三場、第四場」でした。 伝統曲と舞踊、ガムラン楽舞劇「桃太郎」でそれぞれ一つのコンサート。注目のマルガサリ+野村誠の第四場初演もありました。コンサートの間の時間帯では碧水ホールのガムラングループが「テンペ」とビールを出店、人気を集めました。 9月18日(土)、「ロビーライブハウス化計画」のひとつ「音楽を楽しもう」(企画:ミューズ)の第一回。 合併を5日後に控えた9月26日「サザナミ記念アンサンブル定期演奏会4°2004」は、その前日から、ホール主催の「室内楽ワークショップ」、サザナミ記念アンサンブル主催のオーケストラアンサンブルつるがとの交流会の企画もあるもりだくさんな内容でした。出演され た皆さん、エキストラでご協力いただいた方々、いずれも、この催しを心の底から楽しんでおられる様子でした。 - - - - - - - - - - - - - - - 一夜あければ、甲賀市(こうかし)になってました。 これから碧水ホールはどこへ行くのだろうと感慨に浸る間もなく、アンデスの写真が持ち込まれてきました。甲賀市最初のコンサートは10月2日(土)、「碧水ホールロビーライブハウス化計画」のひとつ「アンデスからの贈り物」(企画:ディスコアンディーノ)に始まりました。その関連の催しで写真展も。 3日は「三日月孝サクソフォーンコンサート」、9日は「いやしのゴスペルコンサート」、ピアノ弾き歌いなど小規模ながら、心に残るコンサートが続いています。 合併を機により広がりを持った企画をと、「(仮称)甲賀映画祭」のミーティングを始めています。 合併によって少しづつ変わっていく部分もあると思います。 ホールはみんなの思いを集めて、新しい感動と出会っていく場であって欲しいと願っています。 変わらず、皆さんのご支援をお願いします。 (中村道男・碧水ホール館長) ![]() 【合併後のボランティアについて】 心境としては現状維持がいいかなと思いますね。 「HVS」という名に対する愛着もありますし。 プロ野球の合併問題と同じです。 他のホールの活動を手伝ったり、流動的な活動できるようなスタイルが望ま しいかと思いますね。 (上原 秀格 ・HVS)
|
「…である (ように私には思えた)。 フレデリック・ワイズマン監督 『ミサイル』評 ![]() 原稿をお寄せください。 自分の活動やイベントの紹介も可。 HVS通信はためぐち感覚、投稿はファックス、 E-メール、チラシ裏の手書きやフロッピーを郵送、 どれでも結構です。 若干の編集を加えてインターネットホームページにも 掲出されます。 |
ブッシュ米大統領がアホであることぐらい、マイケル・ムーアに教えてもらわなくても、テレビのニュース映像を見ていればわかる。では、マイケル・ムーアよりも脳味噌のしわが多そうな空軍大佐が、大陸間弾道弾の打ち上げ管理センターの訓練生たちを相手にした講義で、ベトナム戦争で起こったミライ事件(米軍による非武装のベトナム人の虐殺事件)をあげ、命令に対する倫理的判断について語るのを聞くとき、私たちはどう受け止めればいいのだろうか? ワイズマン監督のドキュメンタリー『ミサイル』において、大陸間弾道弾=核ミサイルの管理をめぐって映し出されるのは、敵国、製作された1987年当時でいえばソ連ではなく、もっぱら自国内に対する恐怖である。承伏できかねる上官の命令についての意見を求められる訓練生、「教官が窓越しにボタンを押すように視線を送ったように思えた」からミサイル発射ボタンを押してしまった訓練生、ダイナマイトを体に巻き付けてミサイル基地を襲うと脅迫電話をかけてきた男への対処法を練習する訓練生。 それらは、使われてはならない兵器を「持て余している」姿である(ように私には見えた)。 最後に置かれている、訓練生の卒業式におけるスピーチの場面で、自らも40年にわたる軍務を終えたばかりの空軍司令官は、「私はいつもソ連にいる私と同じような立場の男のことを考えずにはおれなかった。『あぁ、今日じゃなかったよ。明日でもないだろう。来月でもないだろう』彼も私と同じことを考えていたと思う。」と語る。 そして、彼の「私たちは神を信じる者たちである。」という言葉で、映画は終わる。 途中、大きな転換がない限り現状の核抑止力、国民を守るために我々の存在は必要だということももちろん語られていたが、これは立場上言葉を選びながらも反戦の意志を述べたスピーチだろう(ように私には思えた)。 (ように私には見えた)、(ように私には思えた)と書き添えてきたのは、上映時に配られた粗筋をまとめた資料によると、どうやらそういう映画ではないようだからである。私は上映後にこれに目を通した。 その資料というのは、昨年11月に立命館大学先端総合学術研究科というところで、『ミサイル』が日本語訳なしで上映された際に配られたのと同じもので、主なシーンの内容がまとめられている。 「Text by Sulk with the assistance of Greg Cromwell」と文末にあるそれ(本文の方は日本語に訳してある)は、初めのところで全体を評して、「印象的なのは後半に進むにつれ対象が批判的に捉えられていく事で、それは最後のスピーチのシーンにおいて頂点に達する」としている。 そうなんですか? 最後の空軍司令官のスピーチについては、「彼ら(訓練卒業生)に対するはなむけの言葉であるべきはずが、半分以上は自分の担ってきた職務の話である」。 そうなのか、司令官は嫌味な奴だったのか? 冒頭で、最初はパラシュート兵で…と、次々経歴を語っていくのは、自分はエリートではなく、ぺーぺーからの叩き上げであるということが言いたかったんだとばかり思っていた。それにこの経歴は、ソ連の同じような立場にいる人物を想像する際にも、ソ連のパラシュート兵、ソ連の○○というふうに列挙されて具体性を出すのに効果を上げていたのではないのか。 資料は言う。「(自分たち軍の職務の重要性を強調した後)最後に彼が『我々はまた神を信じる人々である。』と言ったところで、『それまで!』と言わんばかりにシーンはカットされ、エンドロールへと移る」。 そうだったのか、最後は皮肉をきかして終わっていたのか! あれは「(ミサイルが発射されるかされないかは)神のみぞ知る」といった悲壮さも含みはすれ、語り手の真摯な言葉としてワイズマン監督は最後に持ってきたのだろう(ように私には思えた)。 『ミサイル』の直前に上映された『適応と仕事』は視覚障害者や聴覚障害者が苦しい訓練を経て、仕事(多くは工場の生産ライン)につく姿を題材にしている。その最後に近いシーンは、視覚障害者専門に雇用している工場の管理職らを集めたミーティングのようすである。経営者は、社員の病気による欠勤(ずる休みも含む)が多く生産ノルマを達成できていない現状をどうすればいいだろうと切り出す。この場面でも、ワイズマンは、経営者を効率優先の金儲け主義者として批判的に映し出そうとしたわけではなく、欠勤者の側の事情も承知したうえで放置するわけにもいかない現状に彼なりに思い悩んだ人物として映し出している(ように私には見えた)。 『ミサイル』資料の書き手は、社会の悪を批判するのがドキュメンタリーといった定式に凝り固まっているのではないだろうか。ワイズマンの映画は、そんな単純な構図では成り立っていない。複雑な、結論はでないままの現状をそのまま私たちに見せる。ナレーション(状況説明)もなしだから、観客はとにかく耳をそばだてるしかない。 私の見方にしたところで、出演者の口から次々くり出される膨大な言葉(上映時には碧水ホールスタッフの配慮で同時通訳音声がついたわけだが、そうすると字幕以上の言葉の洪水であった)の中からたまたま覚えていた部分を抜き出し、解釈を加えただけだ。だから、とんでもない勘違いかをしているかもしれない。 (投稿:岸田幸治・湖北町) |
|
タイ・バンコク ![]() |
ここはバンコク カオサン通り。
学生時代からの憧れであったアジア一人旅はここから始まった。 世界有数の安宿街として名高いここカオサン通りは、大柄な欧米人のバックパッカーが所狭しと闊歩する。さながらニューヨークの下町を歩いているかのようだ。 ロックミュージックが鳴り響き、焼きそばや南国のフルーツを売る屋台が建ち並ぶ。 夏の日差しを浴びながら今日泊まる宿をガイドブック片手に捜し歩いていると、まるで映画のワンシーンが映し出されたスクリーンをおぼろげに見つめているような気分になる。 今自分がバンコクの地を踏んでいるという実感がまったく沸かないのだ。 昼食は、客の少ない落ち着けそうな食堂を選んだ。 天井には大きな扇風機が回り、奥のテレビ画面には最新のハリウッド映画が映されている。 人目を避けて隅っこの席に座っていると、まだあどけなさの残るウェイトレスの女の子が僕の向かいに座った。 僕は間違って従業員が休憩する席に座ってしまったのだろうかと戸惑ったが、女の子はまったく僕の存在を気にする様子もない。 女の子は気だるそうな表情でじっと外を歩く旅行者を眺めていた。退屈なのか疲れているのか、子供らしからぬ諦めきった表情にも見える。 そして、客が入ってくると彼女はすくっと立ち上がり、 "Hello! Sit down please" と言って席を離れた。 外の喧噪とは裏腹なその女の子の表情が印象的で、僕は毎日その食堂に通った。 ある日、女の子はまた僕の席に座って、"Too hot" と外の暑さに呆れるような表情で話しかけてきた。 まさか話せるとは思ってなかったので、あわてて片言の英語でこちらも話しかけた。話といってもほんとに些細なこと。お互いの名前や歳、バンコクの印象など・・・。僕は30歳だというと、「おやじだね」と言わんばかりに女の子は笑った。 なんだか普通に日本人と話している感覚とあまり変わらないので僕は一気に親しみを感じた。 女の子は、日本語を少し知っているよと「オハヨウ」「コンニチワ」「アリガトゴザイマシタ」と指で数えながら嬉しそうに言った。 彼女の名は「ヒアオー」。タイ東北部コーンケーン出身で、毎日この食堂で働いているという。 タイでは貧しい家庭の子供たちは学校にも行けず、働くために都会へ送り出される。彼女もそんな子供たちのひとりなのかもしれない。 勘定を済ませ帰ろうとすると奥からヒアオーが、"Thank you!" と大きく手を振りながら送ってくれた。 相も変わらず旅行者でひしめくカオサン通りを歩いた。異国の地にひとりで降りたって、誰も知らないはずの自分を知ってくれている人がいることに、思いのほか勇気づけられた。 この日初めてバンコクの地に降り立ったと実感出来たように思う。 - - - - - - - - - - 久々の投稿です。 4年前に東南アジアを3ヶ月間ひとり旅したときの旅行記です。 何回かシリーズで「小出し」に投稿します。 (上原 秀格・HVS) |
仮称 『甲賀映画祭』 設立準備メンバー募集 | ||
滋賀県甲賀市水口町の碧水ホールでは、14年間にわたり、映画の企画上映事業が行われてきました。
映画は人の心を豊かにし、創造力を高めてくれます。 映画の父”リュミエール”兄弟による世界最初の映画に始まり、サイレント(無声)映画を含む戦前の映画から生まれたばかりの新しい映画まで各国問わず、また劇映画とドキュメンタリー、自主制作の映画、フィルムとビデオ、有名無名等々にとらわれずに「上映すべし」として選んだ映画達。その数は32企画、378本にのぼりました。 2004年10月1日、新市甲賀市が誕生しました。その節目をよきタイミングとし、市民が今まで以上に参画でき、協同する「仮称・甲賀映画祭」へと発展させるべく準備をすすめています。現在有志で集まったメンバーは甲賀市内外から15名。市内を巡回してミーティングを始めたばかりです。 私たちは、様々な形で映画祭を盛り上げるメンバーを求めています。見たい映画は、私たちで引っ張ってくるのです。映画祭を通じて儲けようというスタンスもOK。映画祭をまちづくりに役立てたい…もちろんOKです。埋もれているアイデアがたくさんあるはずです。そして多くの力が集まれば集まるほど、おもしろいことが起こるはずです。皆様のご参加をお待ちしています。 ●メンバー参加申込方法 随時募集しています。所定のメンバー登録申込書をご提出ください。 メールまたはFAXで申込書様式の送信をご希望の方はその旨ご連絡ください。 メールの場合、データはテキストまたはエクセル(windows版)でお送りします。 ●メンバー参加資格 映画祭に興味を持たれた方。甲賀市の方以外の方もOKです。基本的にボランティア参加です。 【申し込み・お問い合わせ先】 碧水ホール 〒528-0005 滋賀県甲賀市水口町水口5671番地 TEL.0748-63-2006 FAX.0748-63-0752 hekisuih@city.koka.shiga.jp http://www.city.koka.shiga.jp/hekisuihall/ |
あまりに遅すぎる映画感想文〜 『千と千尋の神隠し』 |
碧水ホール秋の催し(後半) 碧水ホールロビーライブハウス化計画 10月16日(土)14:00開演 音楽を楽しもう go→ vol.2 秋を感じて 高井典子(声楽)浅木美穂(ピアノ)中浜さとみ(ピアノ)安部千佳子(マリンバ) 1回券1000円2回券1800円4回券3000円 未就学児、障害のある方は無料 企画:ミューズ電話/fax 0748-33-3060杉 10月21日(木)19:00開演 復活!サザナミ小さなコンサート(25) go→ バッハ:チェンバロとヴァイオリンの 為のソナタ第1番ロ短調 鈴木博詞(ヴァイオリン)林聖子(ピアノ)500円(当日のみ) 主催:サザナミ記念アンサンブル
10月30日(土) 19:00開演 デュオ・ヴォルフィ ヴァイオリンとピアノのコンサート go→ 碧水ホールロビーライブハウス化計画 11月23日(火・祝) 14:00開演 音楽を楽しもう go→ vol.3味覚の音楽!? 企画:ミューズ 出演者などは10/16に同じ 11月25日(木)19:00開演 復活!サザナミ小さなコンサート(25) go→ 500円(当日のみ) 河本学(ヴァイオリン)高村明代(ビオラ) モーツァルト:ケーゲルシュタットトリオ 主催:サザナミ記念アンサンブル 碧水ホールロビーライブハウス化計画 12月4日(土) 1 6:00開演 Piano & Celloによる 坂本龍一の音楽 go→ 高橋隼人(ピアノ)田中賢治(チェロ) 500円(当日共)小学生以下無料 企画:音楽室 Ktanaka_sk@yahoo.co.jp 碧水ホールロビーライブハウス化計画 12月12日(日) 14:00開演 音楽を楽しもう go→ vol.4 クリスマスファンタジー 企画:ミューズ 出演者などは10/16に同じ 12月23日(日) 時間未定 復活!サザナミ小さなコンサート(25) go→ +サザナミクリスマス会 企画:サザナミ記念アンサンブル |
||
今や世界的な評価が確立したアニメ界の巨匠、宮崎駿さんが発表する『ハウルの動く城』の発表に沸いている中、私は恥ずかしながら前作『千と千尋の神隠し』を初めて通しで見て、しかも今週だけで6回も見てしまい、6度とも涙を流した...という生活をしていました。今日はその理由と感想を少し書こうと思います。『千と千尋』をまだ観ていない人にとってはわかりにくい場所も多数ありますが、そこは許して頂きたいと思います。
なんで今になって6度も見ることになったのかの理由は、宮崎さんのこの作品に関するインタビューが今さらながら気になってしょうがなくなったからでした。 あの作品について宮崎さんは、何度もくじけそうになる千尋を助けるハクのような、苦しいときに助けてくれる人は実際にもいるのであって、ただ気がついてないだけだ、というような発言をしていました。そこから映画自体を見てもないのに、『助ける』がこの映画のキーワードになるんやろな、などと考えてたんですが、まぁその時は別に「助けてもらわんでも何とかやっていける」という気分だったので放っておきました。しかし最近にっちもさっちも行かないことが多くなり、改めてあの発言が気になりだしたのです。ということでDVDを購入(音楽以外のジャンルを買ったのは初!)。しばらく寝かせた先週、一度目を無条件で見た後、一体この映画には一体いくつの「助ける」シーンがあるんだろうと数えてみました。 そしたら、おぉ!あるある!「千尋にハクが体が消えるのを止める薬を飲ませる」シーンを皮切りに、「つぶれたススワタリの炭を千尋が代わりに運ぶ」、「釜爺が千尋を働かせてもらえるように取りはからう」、「見つかりそうになる千尋をリンがエレベーターに押し込んで隠す」、「大根の神様が屋上に向かう千尋につきあっていく」などなど、私が発見できたシーンだけで34カ所!うち千尋が助けられたシーンが23カ所、千尋が誰かを助けたシーンが11カ所。当然後半は千尋が助けるシーンが増え、助けるスケールがどんどんでかくなり、ついに自分の親を助けるというラストにつながっていきます。時間が120分ですから4分弱に一回『助ける』シーンが溢れている、ということになりました。 特に象徴的だったのはカオナシが何枚もの札を千尋に渡したことが、その後のオクサレ神(本当は川の神)に湯をかけるシーンで生かされているところでした。千尋は一枚目の札を手が滑って落としてしまうのですが、すぐに二枚目を取り出す。すなわちカオナシが何枚もの札を渡していたことが生きる(千尋は一枚でいい、と言ったのに!)。その間にリンは釜爺にありったけの湯を出すよう伝えに走り、また釜爺もそれに応えて溢れる湯を提供する。そして泥にはまった千尋をオクサレ神が助け、その手の中で千尋は何かが刺さっていることに気づき、みんながそれを抜くために協力し、川の神はそのお礼にニガダンゴを千尋に渡す....たたみ込まれる『助ける』シーンの連続!息を飲む、とはこういうことをいうのですねぇ。 また印象的だったのは、銭婆のところにいる千尋を元気になったハクが迎えにくるシーンでした。たしか釜爺は「行きはいいんだが、帰りがな...」と言っていたはず。ということは帰ることは大変なむずかしいことだったのでしょう。でもハクが迎えに来たので千尋は難なく帰ることが出来た。さて、千尋は釜爺の言っていたことを覚えていたのだろうか?そう思うと先ほどのオクサレ様のシーンも、果たして千尋はカオナシが何枚も札をくれたことを覚えていたのか?ましてやあのシーンでは、残りの札は溢れる湯に流されてその存在は忘れられ、大喜びする人々の影でカオナシがすっと現れてそして消えていった。宮崎さんは『本人も気づかないところで実は助けられている』ということをもメッセージとして織り込んでいたのかも。そうすると「苦しいときに助けてくれる人は実際にもいるのであってただ気がついてないだけだ」という発言が、さらに重みを持ってくる。すごいなぁ、映画。すごいなぁ、宮崎さん。 さぁ、この映画を見終わって改めて自分の生活を見直してみると、確かに誰かに助けられている実感がある。もちろん話を聞いてくれたハク的な存在もいるけれど、むしろ多くの場合、その人たちは別に私を助けようなんて思っていないのに結果的に助けてくれた、ということが多い。そして決してそれが人間であったとも限らない。太陽とか、虫とか、花とか。ブルースの曲にNobody loves you when you down and outというフレーズがあるけれど、あながちそんなこともない。けっこう助けてもらいながらやってるやん、って思える。 それにどれだけ気づけたのかを反芻し、これからはもっと気づけるようにしなきゃな、と思う。宮崎さんは「子どものための映画です」と言い切っておられたけど、なんのなんの、大人だから考えられる、ってことも振りまいてくれている。今さら言ってもしょうがないけれど、すごい映画でした。 この見方が正しいのかはわかりません。単純に「ああいう絵を作って見たかった」という面も充分にあると思うし、「ハクと千尋のラブストーリー」として捉えることも出来る。そういう面で見ても充分に感心できてしまうのもこの作品のものすごさです。6回見る中で多くのことに感心し、また次見たときには別の発見があるかもしれないと思わせる作品で、映画を見る習慣のない私 にとって、数少ない“永遠の名作”になるはずです。 でも結論は最終的にここにたどり着く。名作映画ってこんなにすごいの?それをいちいち消化する力は自分にはない。年間100本見る人や三本立てを見る人は、一体どんな消化力しとるんだ?私は現時点で、今年見た映画は『華氏911』とこれ、あとは碧水でやった『裁かるるジャンヌ』だけです。これで充分です。たぶん『千と千尋』の余韻で年越しができるはずなので、『ハウル』を見るのは来年以降になりそうです。だから、HVSの方々からの『ハウル』評、楽しみにしています。 (井上陽平・HVS) |