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H.V.S通信 vol.80  2006年(平成18年)2月 home




HVS通信 vol.80  
2006年(平成18年)2月


編集・発行
碧水ホールボランティアスタッフ
   滋賀県甲賀市水口町水口5671 碧水ホール
郵便番号 528-0005
電話 0748-63-2006
ファックス 0748-63-0752
e-mail michio@jungle.or.jp
ホームページ http://www.jungle.or.jp/hvs/
碧水ホールの公式ホームページ
http://www.city.koka.shiga.jp/hekisuihall/


ラ・ビッシュ・コンサート...
室内楽カフェ、音楽の作りかた...
「さあトーマス」を碧水ホールで(中村道男).2
磨け!(MINAMI).2
「さきらの指定管理者制度に..」(上村秀裕)...3
山古志村へ(甲賀シネマパーティー)...3
ライブハウス化計画企画募集...3
ロックよ私をやさしくいじめて!(井上陽平).....5
本日のお客様コーナー...6



京都市交響楽団メンバーによる
ラ・ビッシュ・
アンサンブル
コンサート

期日2006年2月28日(火) 19:00開演(18:30開場)
会場 碧水ホール

 サザナミ記念アンサンブルの活動がご縁となって実現したコンサートです。素晴らしい演奏を、市内で、低価格で、お楽しみいただけます。

チケット 前売 2000円(当日2500円)
     12月24日発売開始
     碧水ホール他で取扱
プログラム
 チェコの作曲家特集
  ドヴォルザーク ヴァイオリンソロ
  マルティーヌ 九重奏曲
  他
出演
ラ・ビッシュ・アンサンブル
 2002年、京都市交響楽団のメンバーを中心に発足し、京都で年一回の主催公演をはじめ、様々な室内楽活動を行っています。2003年から「ラ・ビッシュ・アンサンブル」として活動、2004年には鳥取公演や会食付き演奏会「マチネ」を開催するなど、「室内楽の楽しさをより多くの人達に伝えたい」をコンセプトに、ジャンルや編成にとらわれないレパートリーに挑戦しています。
メンバー
田村安祐美(ヴァイオリン)
片山千津子(ヴァイオリン)
高村明代(ビオラ)
渡辺正和(チェロ)
神吉正(コントラバス)
鈴木祐子(クラリネット)
仙崎和男(バスーン)
清水信貴(フルート)
高山郁子(オーボエ)
小椋順二(ホルン)

主催 サザナミ記念アンサンブル
協力 碧水ホール


〜国、そして音楽。〜

 報道を覗いてみると、いま日本では特に外交面において、国民の「国」に対す る姿勢があらためて問われるニュースが多いようです。「靖国問題」もその一つ でしょう。
 時には感情的になるほどの議論がされているようですが、たとえ意見が正反対 の人でも、実は「国に対する想い」という点だけを見れば、同じ深さにいるとは 言えないでしょうか。両者とも「国の為を想」っているわけです。  反面、そのような報道には全く無関心な人々も多くいます。しかしその中でも、 オリンピックが開かれれば日本人選手の活躍に一喜一憂してしまう人は多いよう です。種類や程度は違っていても、「国を想う」ことが、私たちには本質的に存 在しているわけです。
 さてこの度の演奏会では、ドウ゛ォルザークなど「祖国を想い続けた」チェコ の作曲家の特集をお送りします。彼らの作品は日本人が聴いても、たまらなく 「郷愁」といえるような、懐かしさに胸を打たれます。全く離れた国の音楽であ るのに、どうしてなのでしょうか。その訳の一つに「フォークロア」があります。  「フォークロア」とは「民間伝承」のことです。長い間帝国の支配を受けたチェ コの民族は、チェコ語を禁止されたりなど、独自の文化を喪失してしまう危機に ありました。そこで地方の農村で民謡を歌い継いでいくことにより、言葉と音楽 を守り育て、民族意識を保っていったのです。時代が変わり、チェコ独立の流れ になると、近現代のチェコの作曲家はその「フォークロア音楽」をもとにチェコ の為の「国民音楽」を創っていきました。
 チェコの作品と対するとき、そうした民衆、作曲家など全ての人達の「国への 想い」が大きく一つにまとまります。そして、私たちの身体の奥深くに存在する、 「私たちの国への想い」を響かせてくれるのです。
(投稿:神吉正・コントラバス奏者) 

第7期碧水ホールロビーライブハウス化計画
2006年3月4日(土)
@碧水ホールロビー
13:30開場/14:00開演
入場料 1500円/高校生以下無料

・G.フォーレ(1845-1924)チェロソナタ第2番(1921)
・諸井誠(1930- )   チェロとピアノのための「オルドゥル」(1958)
・清水慶彦(1977- ) ダレール准将の憂鬱(2005/委嘱新作)

ピアノ/植田浩徳 ・1980年兵庫生
               ・兵庫県立西宮高等学校音楽科卒業
               ・MU楽団主宰

打楽器/永澤学  ・1979年兵庫生
               ・京都市立芸術大学音楽学部中退
               ・フリーパーカッショニスト

チェロ/多井智紀 ・1982年大阪生
               ・大阪府立夕陽丘高等学校音楽科卒業
               ・東京藝術大学音楽学部在籍

ゲスト 作曲家/清水慶彦
 大阪芸術大学芸術計画学科中退、京都市立芸術大学作曲専攻を音楽学部賞。京都音楽協会賞を得て卒業。同学大学院修士課程修了、大学派遣によりブレーメン芸術大学(ドイツ)に留学。現在、同志社女子大学嘱託講師、京都市立芸術大学音楽学部非常勤講師、京都市立芸術大学大学院博士課程在籍。松本日之春、前田守一、中村典子、Y.パクパーン、G.シュタインケらに師事。

碧水ホール4回目の登場となるMU楽団。「野村誠の世界(2004年8月)」「現代音楽の基礎知識。」(2005年3月)そして「室内楽カフェ」(2005年8月)。  前回はプログラムの進行を聴衆の挙手によって決定するといった戸惑いの中で、あれこれと知恵を絞って解説、演奏しました。昨年末に文化庁の芸術家派遣として高校の音楽の授業を行った多井氏と植田氏の、より一層磨きのかかったしゃべりと音楽。政治をテーマとして創作に励む作曲家、清水慶彦氏の強烈な新作。休憩時間にはショパンやドビッシーのピアノ名曲も披露。音楽とは何か、クラシックとは何か。意欲と革新にに満ちた「室内楽カフェ」、セルフサービスの飲み物を用意して、みなさまのご来場をお待ちしております。


文化庁の芸術家派遣の新聞記事も掲載、他、これまでのMU楽団のあれこれ。 www.musicunit.net
     

 『さあトーマス』というすごい作品が出来た・・・と、聞いたのはたしか2005年の初めのころ。「機関車トーマス」ではない。「サー・トーマス・リプトン」のほうらしい。
 結局、私は大阪(アーツアポリア:築港の祖赤煉瓦倉庫がアートスペースになっている)でのリハーサルと、2日間の本番のうち2日目の方、そして、東京(青少年センターでの「エイブル・アート・オン・ステージ」)と3回の「さあトーマス」を見ることになる。大阪のものでは巨大なティーバックやその箱のセットが登場していた。
 確かに一回ずつ、まったく違う。いや、歌や台詞などは同じようなのだが、まったく違うように見えた。
 それから、碧水ホールで・・という、うれしいお話もいただいた。が、滋賀県でやるのなら大津だろう。より沢山のひとに見ていただくためには甲賀市は少し不便だ。2006年2月10日、びわ湖ホールで大津公演が実現した。

 障害を持つ人たちが働く場所をつくる活動は全国で見られる。そのひとつは知的障害者通所授産施設と呼ばれるもので、滋賀県は古くから先進的な活動をしている県だといってよい。また、地域のボランティアの方々の活動も活発だ。
 そこから生まれる製品は様々で、商品開発の苦労というものもあるだろうと想像される。その工夫のひとつとして、彼(彼女)らの持つアートに対するすぐれた感覚を活かそうというものがある。
 展覧会やギャラリーなどで素晴らしい色彩や、独特の自由さを持った造形などを目にされた方も多いだろう。
 この「さあトーマス」の考え方もその延長上にある。つまり、パフォーマンス(舞台上の芸術活動)を製品にしようという目論見だ。実際に、公演活動を仕事としている作業所はすでにある。
 碧水ホールが2002年にガムランを手にいれたころ、たんぽぽの家でも、ガムランを活動に取り入れている。アートは彼(彼女)らの持つ感性を引き出す力がある。彼らの感性はアートをより豊かなものにする。中川真、マルガサリなどの優れた演奏家達の指導と協同作業で、楽しくもいとおしいパフォーマンスの世界を作りだした。
 このコンサートを作るには、障害をもつ人たちのサポートも重要だ。発表会でない以上、それらの体制もそろえないことには『商品』として成立しない。

 また、障害をもつ人たちが「演ずる」ことへの観客の理解も必要だ。
 プログラムのなかに「語り」がある。たんぽぽの家の活動として歴史をもったものだ。びわ湖ホールでも伊藤愛子さんの「語り」を聴いたが、これが実にストレートに涙腺を刺激してくる。障害を持った人が一生懸命語る。話の内容も、それは愛ちゃん自身のことであり、さらに、聴いている我々自身の問題でもある心を打つストーリーだ。
 泣ける。しかし、ここで私は少し意地悪になって考える。「これって、反則技じゃない?」
 私を泣かせているのは、愛ちゃんの気持ちなのか、朗読の技術なのか、障害をかかえているという状況なのか。自分が付け足した勝手なストーリーはまじっていないか。
 そう思ったときから、この「さあトーマス」のパフォーマンスは人生についてとても大切なことを、楽しく教えてくれることに気付いた。
(中村道男/碧水ホール館長)

●障害のある人たちと舞踊家、演奏家、観客とのコラボレーションによる即興パフォーマンス

『さあトーマス』
        チラシ表

2006年3月21日(火・春分の日)
13:00開場  14:00開演
入場料 前売2000円 当日2500円
(障害のある人の介護のため入場する人は1名まで無料)
ファックス、葉書、E-メールで予約受付中
出演 たんぽぽの家(パフォーマンス、ガムラン演奏)他
佐久間新(ジャワ舞踊)マルガサリ(ガムランアンサンブル)

企画・制作 (財)たんぽぽの家(奈良市)
監修 中川真 (大阪市立大学教授・マルガサリ主宰)
主催 水口町教育委員会・碧水ホール
協力 ティルトクンチョノ(ガムランアンサンブル)
●ビールとテンペのテンペカフェ、ジャワティストの手作り小物の店 Candra オープン
●終演後ロビーでフル・ガムランによるジャワの伝統曲を演奏。



 わたしの人生の目標は、余裕を持って生きること。しかしそれは多分一生実感できないまま過ごすような気もするが・・・。まぁ、それはそれでいいのである。きっとそんなものなのだろう。最近、余裕とはまた少し違うと思うけれどもホクホクしたものを時々感じることがある。そんな時、気がついたら以前よりやたらものをみがくようになった。
自慢じゃないが私はキレイ好きではない。自慢じゃないが少々汚い所でも住める自信がある。(何かが腐っているとか臭いがするとかはお断りだが。)部屋も常に少しちらかっているのをむしろ好むのだ!しかしそんな私も数年前からようやくいちおう定期的に(別名こまめに)部屋を掃除するようになった。なぜこうなったかと言うと、やはり私も大人になったということと、物事に本当の愛着を感じるようになったことと、もう一つはやはりある種の余裕が少し持てるようになったのだろう。
「みがく」というのは不思議な行為。気持ちがなかったらみがけない。でも気がついたら無意識にみがいていた、なんてこともある。なでたりして磨き上がったものはたとえ光沢がなくても特別な存在。車を、上着を、机を、くつを、鞄を、子どものころから持っているぬいぐるみを、宝物を、家具を、本を、人の心を、気がついたらみがいてたりしたらいいな、と年の初めに思った。

(MINAMI・HVS 原題「ポリッシュ!」)

リポート さきらの指定管理者制度導入にかかる第2回シンポジウム
「さきらはいったい誰のもの?」
2006.1.9(祝・月) 栗東市立中央公民館


 成人の日。勤務先の碧水ホールでは成人の集いが前日に終わっていたので、この日はオフ日となった。全国高校サッカー決勝では、滋賀代表の野洲高校が強豪に勝っていた。とても気持ち良い試合を観終えて、夕方、気分よく栗東に向かった。向かったのは、長いタイトルのシンポジウム。主催者名も長い。「栗東市の文化のまちづくりを今日から実践する会」とある。

 指定管理者制度という、関係者以外には耳慣れないと思われる言葉がある。指定管理者制度のことを知らない人に、自分なりに解釈して短く説明を試みると、「指定管理者制度とは、公立施設(多くは公共と解説されているが、公共=公立ではないし、公共=私立もあり得るので、わたしは公立と表記する)を、財団法人などのような各自治体の出資法人にだけではなく、民間会社、NPO法人、あるいは法人ではない団体にも、期間限定で管理運営を任せることを可能にした制度。」となる。公立の施設を管理運営する資格者の枠が拡がったのであって、よく間違われることだが、公立の民営化ではない。
 いちおう、わたしは文化施設業界の関係者になるが、この新しい制度を理解しているとは思わない。この制度に疑問な点が多いからかもしれない。その理由はいろいろある。まず、公立施設と簡単に言うが、福祉施設、文化施設、体育施設、駐車場など、ジャンルは多種多様であり、多様性や専門性が必要とされて建設された施設であるはず。もちろん、自治体の大きさ、地域性、特色によっても事情は違ってくるはずだ。
なのに、それら各「公立施設」の専門性を高めることよりも、コスト削減ばかりが重視されているような気がする(コスト削減が出来ていないところなど、あるのだろうか?)。さらに、指定を受けた場合の契約期間の多くは2〜4年程度が想定されていることに対する疑問。応募する団体は、このサイクルで、ほんとうに公立文化施設を継続して運営していこうと思うだろうか。あと契約切れまで1年となった年に、継続できるかどうかもわからない翌年の事業を計画できるのだろうか。
このような不安定な職場に、意欲的な若い才能が集まるだろうか等々。指定管理者を選定するには、公募と非公募のどちらでもよいらしいのだが(公募が好ましいとは書かれているが)、自由競争の原理を公立に取り入れているこの制度のねらいからすれば、非公募がなぜありになるのかも、不思議。
 今、自治体は、公立施設を自治体直営(現在の碧水ホールのように)でいくか、この指定管理者制度でいくかの選択を迫られている。これまで財団法人が管理運営して きた公立施設は、いまのままではいられないことになるのである。その期限がいつ

までなのかというと、今年の9月。1年を切っているのです。現在、財団法人が運営している栗東市の栗東芸術文化会館さきら(以下さきら)では、指定管理者の選定が終り、あとは議会を通るだけの段階まで進んでいる。ところが、その経過に対して、そこに住むある市民たちが不満を募らせ、何かよくわからないことが、知らぬ間に粛々と進んでいることに「待った」をかけた。それが、このシンポジウムのはじまり。1回目のシンポジウムの様子や、シンポジウム開催に至る経緯から現時点までの事実関係については、主催者が用意したホームページに公開されているので、ここでは、参加してきた2回目のシンポジウムのみについて、感じたことを記すだけにとどめる。
 まず、驚いたのは、主催者が第2回目のシンポジウム開催に必要な書類として、栗東市における「さきら」の指定管理者制度にかかる公文書を情報公開請求し、公募の仕様書、議事録、採点基準、公募に参加した団体の申請書を取得され、それらが、このシンポジウムで一般配布されたこと。情報公開のシステムにのっとって、栗東市が手順通り情報を公開した結果であるが、このような書類が、シンポジウム参加者対象とはいえ、不特定多数に配付されたことは画期的だったろうし、このようなことが現実に可能になったのだなぁと、奇妙な感慨を覚える。
 シンポジウムで問題視されていたのは、「さきら」の指定管理者選定の結果にあるのではなく、指定管理者公募と、そのために必要な選考が予め市民に知らされていなかった、その過程にある。選考委員の名簿も情報公開請求の対象になっていたが、公開はされなかった。シンポジウムでは、選考委員の名簿が非公開であることは、公正な選考を疎外する可能性があることが指摘されていた。選考委員10名のうち、2名が 選考を欠席していたという信じ難い事実も、不信感を招く火種になっているようだった。
 主催者は、シンポジウムの最後に、「さきら」に関する指定管理者選定は振り出しにもどって、選考の段階から市民が参加することを要求すると表明した。シンポジウムのテーマは「さきらはいったい誰のもの?」だが、それは「市民のもの」。どの公立施設も「そこに住む人のもの」に違いはない。加えるならば、「その施設を必要とするすべての人のもの」だろう。
 様々な形で「さきら」を必要としている人がいて、その人達が今後も「さきら」を必要として、指定管理者という、まだよくわからない日本語に向き合い、こうして自主的に議論と思考の場を作った。このようなシンポジウムが開かれること自体が、今まで「さきら」を運営してきた人達に対する事業評価とも言えるだろう。

 パネラーには5名が参加していたが、特に中川幾郎氏(帝塚山大学法政策学部教授)

の発言と配布資料には多くの示唆をうけ、おおいに励まされもした。共感した内容を自分なりにまとめて、このリポートを終えたい。

・ 指定管理者の選定で、申請団体の適性審査が選考基準から抜けている現状を危惧する。
 自治体の理念に見合った団体の選考よりも、数字で判断できるコスト削減ができているかどうかという安易な選考に落ち着いていること。
 選考の命は、自治体の理念にそった、施設の効用を発揮する事業計画。
・ そのために、指定管理者を公募する自治体は、まず理念を示さなくてはならない。理念なくして、政策はない。
・公募するのなら、公募の説明会から審議までの期間を長く設定すること。 
    期間が短いと、特定の団体に有利に働くからである。
・ 多数決決定ばかりを採用すると、少数派を排除することになる。
 少数派を維持することが可能なことこそ、公立による公共のメリットではなかったか。
・ 指定管理者選定の基準として、マーケティングを担当する営業部門を設けているかどうかは重要。
・ニーズと思っていたことが、実はディマンドだったかもしれない。
  ディマンドは顕在的な需要であって、ニーズは潜在的な需要を差す。
 顕在的な需要のことをニーズと誤用していなかったか。

(まったくの余談)
 シンポジウムが終った帰り道、湖南市(旧石部町あたり)通過中に、一緒に参加していたボランティアスタッフが「あれ?テンテンユウ?」とつぶやく。「テンテンユウって、あの天天有か?」。「そう、天天有」。まさかと思い、車をUターンすると、間違いなく、赤い暖簾に「天天有」の文字が。これはまさしく、京都のラーメン激選区一乗寺にある屈指の有名店、天天有のことである。わざわざ、ここのラーメンを食べるために京都まで車を走らせたこともあった。JAZZが流れる、本店からは想像できない洒落た店内。店員に聞けば、新年1月4日にオープンしたばかりとのこと。こんな近場で、しかも大通りではない場所に、まさかのラーメン有名店が近づてきたことを歓迎し、スープの最後の一滴までいただいたのであった。
シンポジウムに関するホームページ
 http://www1.odn.ne.jp/aaa66690/ritto-bunka/

上村秀裕(碧水ホール学芸員、係長)

第8期
碧水ホール
ライブハウス化計画
企画募集

受付期間3/25(土)-4/15(土)
対象となる開催日 8/1(火)
         -2007年3/31(土)

 これまでの企画リスト、選考結果のコメントなどが、以下のホームページでご覧になれます。
http://www.city.koka.shiga.jp/
hekisuihall/event05/llive05/llive05.htm

ですが、以前の様子にとらわれずに応募してください。ポイントはとにかく期限までに出すこと。(中村@碧水ホール)

山古志村復興基金へ、チャリティー募金を送金しました

第1回甲賀映画祭にてチャリティー上映した「掘るまいか 手掘り中山隧道の記録」(2003年/橋本信一監督)は、新潟県の山古志村を舞台にしたドキュメンタリーです。
この映画が完成した翌年、山古志村は新潟県中越地震によって被災し、村民全員が非難するという甚大な被害をうけたことは、報道などで伝えられているとおりです。 現在、山古志村は合併で長岡市となっています。
甲賀映画祭を主催するわれわれ甲賀シネマパーティーは、「掘るまいか 手掘り中山隧道の記録」についてはチャリティー上映を行いました。(2005年11月25日)。
集まったチャリティー金4,704円は、山古志村復興基金へ送金しました(12月26日)。
ご来場、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
新年になり、長岡市山古志支所長から甲賀映画祭事務局へ礼状が届きました。
山古志村復興基金について、少し調べてみました。
2004年11月23日付NHK新潟ニュースによりますと、村の復興のための基金であることはもちろん、「復興のために必要な土木工事などの調査や研究、村が復興していく過程の記録、さらに避難の長期化が予想される中で、阪神淡路大震災や三宅島の噴火災害の被災者の調査に充てられる」ことになっているようです。
映画「掘るまいか 手掘り中山隧道の記録」に関する詳しいことは次のホームページをご覧ください。
 http://www005.upp.so-net.ne.jp/zuidou/
甲賀シネマパーティー
(甲賀映画祭実行委員会)事務局

       

●本日のお客様コーナー
新野敏也さん(喜劇映画研究会代表)

ご訪問日 2005年12月4日(日)
 新野敏也さんと碧水ホールのお付き合いは、1995年に碧水ホール企画上映で開催した「バスター・キートン映画祭」から始まっています。1995年は映画&バスター・キートン生誕100年だったのですが、この年は社会でもいろいろありました。1月は 阪神淡路大震でしたし、3月に東京で行われたバスター・キートンの初日には、地下鉄サリン事件が起こっていました。
 今年、喜劇映画研究会は設立30周年ということで、4月17日〜20日と4月22日には、東京のアテネフランセ文化センターにて、喜劇映画の特集上映会が開催されます。喜劇映画研究会のホームページを拝見しますと、碧水ホールで上映したことがある作品も含まれていますが、題名も聞いたことがないような、めずらしい映画もたくさんあります。
ということで、30周年おめでとうございます。

喜劇映画研究会の歴史、4月の特集上映の内容などは次のホームページで紹介されています。
http://www.kigeki-eikenn.com/
(文:上村秀裕 碧水ホール 係長、学芸員)

     

 すみません。ウソついてました。う〜ん、そんなつもりはなかったんやけどなぁ。ついつい流されてしまったのかなぁ。なんて思う曲が2曲ほど見つかって少したじろいでいる。

 1曲目は銀杏BOYZの『あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す』という曲だ。なんてどぎつく身勝手で、そしてすばらしいタイトルだろう。内容は母親の再婚により転校する女の子に将来迎えに行くことを手紙で伝えるというもので、リフレインでは“君のパパを殺したい ぼくが君を守るから”という必殺のフレーズで決める。サウンドもむちゃくちゃで、タイトルと併せても「この曲はダメ。生理的に無理」という人を身近にたっぷり作ることのできる曲である。ブルーハーツが「やさしいからパンクロックが好きだ」、「ドブネズミみたいに美しくなりたい」と歌ってはや20年、未だパッと見で本当の美しさを見失うことの多さを感じることができる最高のサンプルとも言える。
 そんなことはどうでもいいとして、何よりもこのタイトルだ。この曲のタイトルを見て、どうしても「そうなんだよ!そう!」と激しく同意してしまう自分を否定できない。ジョン・レノンが「ぼくはただのジェラス・ガイ(やきもちやきの男)」と歌った時よりももっと深い部分を「1ミリでもちょっかいかけたら殺す」というフレーズは突き刺す。だから初めてこの曲を聴いてから1年かかったけれど、正直に「その通りです」と認めなければならない。全くそうなんです!僕が好きな女性には誰も近づくな!
 それまで私もまぁ一応大人の男として「彼女の人生は彼女のもの」とかのたまってたわけだ。押しつけがましいために何度も恋をフイにした自分への反省もあって、自立を求めて懸命にがんばる女性を側面から(正面からすると本気で恋しちゃうじゃないか!)応援することもしてきた。それが何も間違っていたという気はない。きっとこれからもそうするだろう。でもそこに残るのはいつも違和感だった。それは「本当は君を俺だけのものにしたいんだよ」という気持ちと戦いそれを乗り越える活動を、とってつけたようなフェミニズムで抑えていたからなのだ。本当は「1ミリでもちょっかいかけたら殺す」という超身勝手な下心と「でも彼女が幸せになれればいい(こういう内容の曲もちゃんと銀杏BOYZは歌っている)」という純粋な想いを激しく交錯させ、ゼイゼイ言いながらなんとか彼女を送り出す、とすればよかったのだ。それをもう「大人だから」とか「フェミニズムだから」とか「それが時代だから」とかわけのわからん理由で「彼女の人生は彼女のもの」としたり顔で

話していた自分のウソくささよ。ちきちょー。またはまってしまってた、一般的常識とやらに。

 もう1曲はLOST IN TIMEというバンドの『列車』という曲だ。彼らはたまたまライブを見る機会があったが、その時は「まぁなんて哀しい曲を連発するバンドなんだ」という印象だった。演奏の状況が寒い夕方の野外、ということもあってそう思っただけかも知れない。ある日「あぁ今日は何か哀しい歌でも聴きたいなぁ」と思った時に思い出して購入したCDの中に、その日のライブでもやっていた印象的なこの曲が入っていた。サウンド的にはちょっと凝りすぎでもったいないんちゃう?と正直思うのだが、すばらしいメロディーに、これまた必殺のフレーズ“あの頃はよかったなんて 言いたくはなかったのにな”が入る。
 んがー。ちきしょう、20代の若者にそんな正直に歌われては、おっさんは「参りました」という他ない。そうなんよな、やっぱり思う時あんねん。「あの頃はよかった」って。でもそれって恥ずかしいやん。ロックちゃうやん。いつも全力で走って、常に前を向いて、もっとすごいことをやる、失敗しても後悔しない。それが理想のロック的人生やん。だからずっと言ってきた。「昔の自分に戻りたいと思ったことはない」「10代より20代、20代より30代がいい」「これからどんなことがあるのか楽しみだ」などという言葉。
 もちろん今もその生き方を信じている。昔を必要以上に美化してはいけない。昔より今の方がずっといいと思っている。きっとこれからも同じように言うだろう。でも「毎日24時間」ってわけじゃない。ふと「昔はよかった」という気持ちがよぎる時間があることは認めなければならない。たとえば夢だ。家で自作曲を一人録音しているが、本当はミュージシャンとしてライブをしたかった。草野球でヒット打ったりもしたが、本当はプロ野球で活躍したかった。アメリカは何度か行ったが、本当は暮らしてみたかった。夢は実現しているが、形は100%ではない。そして100%にならなかった理由の大部分が、自分の努力不足や度胸なしや変なプライドなどのダメさ加減によることもわかっている。その中で自分自身スケールダウンし、臆病になっていることも腹が立つくらいわかる。ふだんは日常の忙しさにそんなこと忘れているが、どうでもいい日の寝る前の、たった一人のビールタイムとかによぎるのだ。自分の人生がおっさん曲の定番『マイ・ウェイ』の二番に唄われる「regrets, I have a few(後悔、たしかに

いくつかはある)」に近づいていることも知り、少しおびえてごまかす時間は間違いなくある。
 ディラン以降、ロックンロールの最大のメッセージは「自分にウソつくな」であると思う。「彼女に1ミリでもちょかいかけたら殺す」と思う気持ちがあったのなら、また「あの頃はよかった」と思う時があったのなら「そう思う時もある」と言わなきゃ。なのに「俺って大人やんな」「俺ってロック的に生きてるもんな」と思いたいがばっかりに、その時間を無意識に無視するクセがついていた。たぶん気づかなかったところで誰にも実害はない。でも気づかなきゃいかんのだ。理由を説明するのは難しい。でもこういうことを重ねると理想の人生からはほど遠い生活をすることになる。
でも「おまえはウソつきだ」と面と言われたら腹が立つだろうし、そんなことを言った奴が自分よりもずっと年下であることを知ったらうまく受け入れられない可能性が高いが、そこはホレ、音楽なのだ。誰からも注意されず、自分でも認めなかったウソを素敵に暴いてくれる。なんと素敵な音楽だろう。カーステレオでがんがん鳴らし、一緒に歌いながらも「スマン、そのこと忘れてた」と思う。この瞬間にロックを聴いている充実感がある。そんなマゾ的な聴き方に今はまってます。だから、ロックよ私をやさしくいじめて!
(HVS・井上陽平 原題「マゾ的ロック聴法」)

足を承知で書く。世の女性たち、「キミにはキミの人生がある」なんて奴には気ぃつけなはれ。それはもう「自分は未練を見せながらも引き下がることで引き込む」という恋愛マニュアルの定番といえる態度やからね。それは堂々と「俺についてこい」という奴と同じくらいしょうもない奴だっせ。おっちゃんはそう言うて女を落とした、なんて話を数多く聞いてきてますからな。こういう奴がおって、またそいつがそこそこ成功したりするからこっちも「1ミリでもちょっかいかけたら殺す」なんて猜疑心を持たなあかんのや。大好きな人だからこそ、そんな奴に引っかからないでほしいんや。そういう意味でも銀杏boyzええこと歌いますな(なんで大阪のおじいちゃん口調なのだろう)。


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HVS通信80号 2006年(平成18年)2月
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室内楽カフェ、音楽の作りかた...
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 原稿をお寄せください。自分の活動やイベントの紹介も可。
 HVS通信はためぐち感覚、投稿はファックス、E-メール、チラシ裏の手書きやフロッピーを郵送、どれでも結構です。
 若干の編集を加えてインターネットホームページにも掲出されます。

2006年2月15日から