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バーバラ・ハマー日本未公開作品上映の道程

碧水ホール 1998.1.27
バーバラ・ハマー日本未公開作品上映の道程
電子メール往復書簡を中心に
[文=上村秀裕]


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「私たちはまた会えるでしょう。そしてHAPPY NEW YEAR !」
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バーバラ・ハマー日本未公開作品上映の道程
電子メール往復書簡を中心に
[文=上村秀裕]


 碧水ホール企画上映の1997(平成9)年度事業として、「プライベート・ムービー〜私のまなざし、私の記憶〜」を開催した。開催日は11月29日から12月14日までの期間中、土曜日曜の6日間。上映本数は27本。仙頭直美(旧姓河瀬)監督は公開インタビューで、原將人監督はライブ上映(映写に合わせてナレーション、台詞、音楽を生で入れる)でそれぞれ来館。ドキュメンタリーという言葉を生むきっかけになったロバート・フラハティの『極北のナヌーク』(1922年、かつては邦題『極北の怪異』で公開されている)は、スライドによる日本語字幕をつけて上映。上映作品のフォーマットも多彩で、碧水ホールとしては、はじめてビデオ作品もとりあげた。
 いろいろ盛りだくさんの企画だったが、上映したい作品が日本にないという理由で、アメリカから取り寄せた作品もあった。バーバラ・ハマー作品である。交渉では、インターネットをフルに活用した。
 以下の文は、海外とのやりとりを中心に、日記風に記録していたものである。






1997(平成9)年




■1月某日
 近江八幡・酒游舘の西村明さんに電話する。来年度の企画上映「プライベート・ムービー〜私のまなざし、私の記憶」のプログラムを見直すため、西村さんの意見を聞く。

■2月某日
西村さんから聞かせてもらったお薦め作品の在りかを探すが、どれも行方がつかめない。つかめても、上映権が切れていたり。

■2月某日
思うように新しいプログラム見直し案が現われないことを西村さんに連絡。なんと彼はバーバラ・ハマーと面識があるというではないか。1995年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の審査委員長としてバーバラ・ハマーが来日したとき、京都観光を案内したという。バーバラ・ハマーは60年代後半から映像作品を作り、海外諸国では高い評価を得ているが、日本では昨年初のロードショー作品があったというものの、まだまだ日本では伝説の人だ。

■2月26日
近江八幡・酒游舘の西村明さんを訪ねる。バーバラ・ハマー作品のビデオを借りる。前年日本で公開された『ナイトレイト・キス』他日本未公開4作品が入っている。帰ってすぐ試写。

■2月27日
さっそく試写した印象を、西村さんあてにFAXを送る。

■2月28日
バーバラ・ハマー作品が日本にないか、あちこち連絡してみる。どこもない。

■3月2日
上映作品の提供をバーバラ・ハマー本人へ打診することを決意。依頼状の原稿を練り始める。同時に、英訳を手伝ってくれる人を探し始める。

■3月15日
友人のノセリツコが英訳を引き受けてくれる。

■3月某日
バーバラー・ハマーへの依頼状の日本語版完成。西村さんにFAXを送り、チェックしてもらう。西村さんに「相手は大御所ですからね。」と脅される。

■3月某日
依頼状日本語版完成。ノセリツコに英訳を依頼。

■4月1日
ノセリツコ、碧水ホールに来館。英訳文書を最終チェック。同日夕刻、ニューヨークのバーバラ・ハマーに依頼状を電子メールにて送付。要点は、まずわれわれの存在を知ってもらうこと、バーバラ・ハマーの表現に興味があることを伝えること、そして、あつかましくも作品リストを送ってほしいという要求。

■4月4日
早朝、バーバラ・ハマーから返事が届いていることを確認。日付は4月3日になっていた。すぐノセリツコに連絡するが不在。しかたなく、自分で和訳を始める。どうやら、われわれの企画上映に関心を示してくれているということがわかりだす。和訳に自信がない部分が2か所残る。バーバラ・ハマーへの2回目の電子メールの日本文を作り始める。ポイントは数か所あった疑問点の確認、そして私が見ていない作品の試写をさせてもらえるか確かめること。

■4月6日
ちょっと遅くなったが西村さんに、バーバラ・ハマーからメールが届いたことを連絡。この日は酒游舘で大塚まさじのライブが入っており、忙しそう。とりあえず、届いた英文と私のいいかげんな翻訳とともにFAX。

■4月7日
連絡がとれないままだったノセリツコをキャッチ、バーバラ・ハマーから届いた電子メールの和訳とその返事のための英訳の原稿を渡しにいく。

■4月8日
ノセリツコ、もう出来たと碧水ホールへ来館。チェックして、即バーバラ・ハマーへ送信。通算2回目。

■4月11日
バーバラから電子メール第2便が到着。私が送った電子メールが文字化けして読めないとのこと。全角の記号を入れてしまったからだろう。インターネットの師匠、碧水ホールボランティアスタッフ(HVS)中村道男さんから、「日本のコンピュータは、世界的にみてかなり特殊なんだ」と説明を受ける。修正の上、詫びのコメントを短く入れ、バーバラに再送。

■4月12日
バーバラから全部読めたとの電子メール第3便が到着。前回送ってもらった疑問点が解決。試写の希望についてはコストがかかるようだ。また、新しい疑問な点が数か所あり。メールを受け取るたびにやらなければならない疑問の確認作業は、この先もずっとつづくことだろう。

■4月13日
留守中のノセリツコ宅に、バーバラからの電子メール第3便と私の未完成な和訳のコピーを送付。

■4月15日
バーバラから航空便が到着。中味はバーバラ・ハマーの作品リスト(78作品!)海外プレスのコピー、ニューヨーク近代美術館シネマテークのプログラム等々。もちろん全部英語。手紙が添えられていたが、ぼくにとってはほとんど絵画に等しい。航空便が届いたことを返事しようと思ったが、英文を考える余裕がない。おまけにコンピュータの調子がおかしい。あれこれいじっているうちに、ついに泣き顔のサッド・マックとご体面。夕方、コンピュータに内臓されているハードディスクの初期化を決意。TVのゴールデン・タイムが終わる頃、コンピュータがいちおう復旧。二日前までの仕事内容をバックアップしておいて助かった。

■4月17日
ノセリツコがバカンスから帰ってきた。彼女のおかげで大事な交渉ごとので不明瞭だった点が一発で解明。即、バーバラへの返事の原稿を作成。ノセリツコ、即、原稿をもって帰る。

■4月18日
酒游舘の西村さんから電話がはいる。バーバラから航空便が届いたことを伝える。「すごい、すごい」と喜んでくださる。夕方、ノセリツコが英訳の原稿を持ってくる。わかりやすく、かつ丁寧な文章にアレンジされている。感謝しながらも、意味が変化していないか念のため確認。手をあわせて、バーバラへ電子メール第4便を送付。

■4月19日
さっそくバーバラから返事が届く。希望した作品の試写ビデオは注文したとのこと。だが、前のメールのときと提示額が違うことを発見したので、再確認してほしいと電子メール第5便を送付。

■4月22日
バーバラから電子メール第5便が届く。「ゴメン、前の提示額が正しい」とだけ書かれている。

■4月23日
役場の財政課に、ドルの支出が出来るのか、あるいはそんなケースが今まであったか、を尋ねる。「そんなケースは経験したことないが、これからは十分有り得るな」と。別れ際に「勉強しときます」との返事をもらう。

■4月25日
国際郵便為替のやり方を知りたく、郵便局を訪ねる。「どちらの国へ」「アメリカへ」のやりとりから会話が始まる。ドルで送りたい場合、郵便局でその日のレートを計算してくれるらしい。久しぶりに外国為替市場の記事が気になる。もちろん、円高の日にドルを買えば、ぼくらはお得。

■4月28日
バーバラへ送金するために郵便局へ。ドルへの換算を待つこと5分。「速達で」とお願いしたが、現在、日本からアメリカへの国際郵便為替は速達はできないとのこと。したがってアメリカまで2週間かかるらしい。

■5月1日
夜、バーバラへ6回目の電子メール。送金したこと、2週間ぐらいで到着することを短く伝言。

■5月4日
バーバラから6回目の電子メール。国際郵便為替が到着次第、試写用ビデオを送ると書いてある。このメール、日付が5月1日になている。しかもぼくが送信した時刻よりもはやい。時差の関係だ。

■5月6日
酒游舘へリクオ・ソロライブを聴きにいく。いつも碧水ホールを応援してくださってる小暮宣雄さんも来ておられたので、バーバラとのやりとり状況を話す。西村さんからビデオを1本借りる。2年前バーバラが来日し、酒游舘の西村さんが案内した京都観光の模様が収められた作品である。もちろん撮影・編集はバーバラ・ハマー。家にかえってさっそく観る。

■5月31日
バーバラから全然連絡がないので、ちょっと心配になって電子メールを送る。通算7回目。質問事項は、日本からの国際郵便為替が届いてるか、いつ試写ができるか、の2点。

■6月3日
バーバラから6月2日付けの電子メールを確認。通算7回目。為替は無事届いているとのこと。新作の編集で3週間ほどアメリカにいなかったと書かれている。どうやら不在中に届いた郵便物が郵便局に戻っているらしい。そしてその郵便物の中に試写用のビデオが含まれている可能性があるとのこと。今日電話で確認してみると書かれてある。遅くなって「本当に申し分けない」とも書かれている。7月一杯はふたたびアメリカを離れるみたいだ。なんとか6月中にプログラムを決定しないと。午前中、久しぶりにノセリツコに電話。
夕方、ノセリツコ来館。用意しておいたバーバラへの原稿を見せる。スラスラ英訳していく。いつもより早い。用件は6月中にプログラムを決定したいこと。したがって、6月中に試写をして、上映したい作品をバーバラに報告したいということ。さらに、新しい要求事項として、作品および彼女自身の写真をプレス用に貸してほしいこと、新しいお願い事項として、各作品の原稿を書いてもらえるのかどうか、ということ。あっという間に英文が完成し、通算8回目の電子メールを送付。

■6月6日
バーバラから6月5日付け、通算8回目を開く。昨日、つまり6月4日に試写用ビデオを手に入れ、今日中に写真と一緒に送ると書かれている。原稿の執筆もOKだ。たぶん、原稿は電子メールで送られてくることだろう。

■6月11日
バーバラから試写用ビデオ1本と写真数枚が届く。一週間の早さ。喜んで中を開けて見ると、送られてきたビデオは、要求してたものと違う。さて、困った。添えられていた手紙は、あいかわらず達筆すぎて読めない。さっそく解決策を日本文で考え、カタコトの英訳も添えてノセリツコ宅のポストへ放り込む。夜遅く、ノセリツコから電話。英訳の手直しとアドバイスを受ける。

■6月12日
いつもより早く出勤。手直しされた英文をコンピュータに入力し、バーバラへ通算9回目の送信。

■6月13日
バーバラから通算9回目の電子メールが届く。違うビデオを送ってしまったことについてあやまっている。今日中にビデオは送ると書いてある。
さらに、今年10月に開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭に最新作『テンダー・フィクションズ』が上映されることが決定したということ、そのために日本にやってくること、滞在中に日本北部を旅したいからオススメの場所を教えてほしい、と書かれてある。「あなたはヤマガタに来ますか?」とも。山形から北へ行ったのは北海道1回だけで、東北は滞在したことがないので、仕事が終わってから本屋へ行く。

■6月14日
インド音楽演奏家の中川博志さんが山形出身だったことを思い出し、電子メールで日本北部のオススメ・スポットをたずねる。
午後、中川さんからメールが届く。「10月の東北地方はどこに行ってもすばらしい」と書かれている。バーバラが日本のどんな点に興味があるのか、もうすこししぼってほしいとのこと。

■6月18日
来客が相次ぎうろうろしていると、ひさしぶりに河瀬直美監督から電話。「予定どおり11月29日に碧水ホールに行けます」との返事。先月カンヌで最優秀新人賞を受賞されてから、取材とかでかなり忙しそう。河瀬監督も、最新作『杣人物語』が今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭出品が決定し、映画祭に参加するという。「ヤマガタに来ません?」「じゃあ、そこで出会えるでしょうか?」とヤマガタ行きの話で盛り上がる。バーバラも来ることだし、今年こそは…。と思っていたらニューヨークのバーバラからビデオが届く。夜、ノセリツコと連絡がとれる。まだ半分も英訳ができていないらしい。電話でやりとりしながら、なんとか英文を完成。22時過ぎ、バーバラへ通算10回目の電子メールを送信。内容は、ヤマガタ出品決定おめでとうと来日歓迎のコメント、ビデオが届いたこと、ビデオ代金はすでに国際郵便為替で送ってあること、日本のどんなところを見てみたいのか教えてほしいこと等々。

■6月19日
バーバラから通算10回目の電子メールが届く。「北海道はどうだろう?」と書かれてある。北海道はぜったい良いけど、短期間ではもったいないし、お金もかかるしなぁ。

■6月20日
中川さんへ2回目の電子メール。バーバラからのメールで翻訳できなかった部分を付け加えておく。

■6月21日
中川さんからさっそく電子メールで返事が。見出しには「むずかしいなあ」と書かれている。「山形にいる後輩に情報を送ってもらおうか?」と、ありがたいコメントが書かれている。

■6月22日
バーバラからビデオが届いたその日に試写して、すぐに上映作品がセレクトできたのに、肝心の返事に送れている。簡潔に、かつ必要事項を漏らさないようにまとめるのに苦労する。やっと日本文が完成し、ノセリツコ宅のポストに放り込む。

■6月27日
バーバラへ通算11回目の電子メールを送る。上映したい作品を選んだこと、必要経費が知りたいこと、各作品のスチール写真とコメントがほしいことをつたえる。彼女は6月29日から約1ヵ月間アメリカをはなれるのだ。

■6月29日
バーバラから通算11回目の電子メール。私が選んだ5作品のうち、『STONE CIRCLES』と『PLACE MATTES』の2作品はバーバラの手元にはなく、したがって「サンフランシスコのキャニオン・シネマとコンタクトをとる必要があります」と書かれてある。ところが肝心のキャニオン・シネマの連絡先が書かれていない。キャニオン・シネマがいったい何者なのかさえわからない。バーバラはもう旅に出ており、ひと月たたなければニューヨークに帰ってこない。作品貸出料と輸送料の計算は旅から戻ってきてから連絡してくれるようだ。

■7月4日
ノセリツコがキャニオン・シネマの連絡先がわかったと、ホールにやってきた。ネット・サーフィンしてたらキャニオン・シネマのホームページを発見したそうだ。さっそく依頼状を書く。その日のうちに英訳し、プログラム案を添付して発送。キャニオン・シネマへ第1回目の電子メール。

■7月6日
キャニオン・シネマから返事が来ない。アドレスに間違いがないかチェックしてみる。原稿に文字化けの原因となる記号を発見。訂正してすぐに発送する。

■7月8日
キャニオン・シネマから第1回目の電子メールが届く。返事をくれたのは、昨日だったようだ。返事をくれた人の名前はドミニク。キャニオン・シネマのエグゼクティブ・プロデューサーと書かれている。バーバラ・ハマーの作品貸出に関しては積極的な文面だが、手続きがけっこう難しそう。とくに、輸送についてが。運送会社や、海外とのやりとりが経験豊富と思われる各関係機関にアドバイスをもとめる電話をかけまくる。

■7月11日
キャニオン・シネマへ通算2回目の電子メールを送付。キャニオン・シネマが要求してきた事項の一部変更をもとめる。日本人はイエス・マンばかりではない。こっちの都合だってある。

■7月18日
キャニオン・シネマのドミニクから通算2回目の電子メールが届く。どうやら、こちらの要求事項を受け入れてくれたようだ。一番おそれていた「このはなしはなかったことにしよう」と言われなくてホッとする。

■7月22日
キャニオン・シネマからエアメールが届く。電子メールに書き込まれていた同意のサインを求める文書のペーパー版。別紙には、12月13日の上映にあわせて、12月1日にアメリカからフィルムを発送、12月14日付けにて返却を、と書かれている。

■7月25日
キャニオン・シネマへ通算3回目の電子メールを送付。保険に関することで不明瞭な部分があると内部でチェックがはいったため。作品の値段的価値が算出されないと保険の掛け金がわかならいのだ。当然だ。しかし、芸術作品の値段のつけ方って、基準なんかがあるんだろうか。

■7月29日
バーバラへ通算12回目の電子メールを送る。もうアメリカに戻っているはずなのだが、たぶん帰ってきたばかりで忙しいのだろう。キャニオン・シネマとコンタクトがとれたことと、上映日程を決めたことと、写真はまだか、ということと、原稿はまだか、という催促。前回のやりとりが忘れられていないように、前にもらったバーバラからのメッセージをコピー&ペーストして張り付ける。

■7月30日
バーバラから通算12回目の電子メールが届く。いつもと違う時間帯に送信されている。ひと月程ウクライナに行ってたそうだ。写真は『BENT TIME』以外は全部あるのですぐ送ってくれるみたいだ。原稿はまだかなあ。それから、バーバラへの支払金額がまだ提示されていない。とにかくお忙しい人だ。でも返事はいつもキチンと翌日にはしてくれる。忘れられていなくて良かった。ところで、キャニオン・シネマのドミニクからは返事がまだ来ないなぁ。

■8月2日
バーバラから通算13回目の電子メールが届く。写真と作品のコメントは7月3日に発送した、と一行だけ。

■8月3日
バーバラへ通算13回目の電子メールを送る。きのうエアメールで、東北のガイドブックと、碧水ホールと水口町のプロフィール冊子を送ったと伝える。資料は全部日本語。東北ガイドブックには、オススメスポットを英文で記しておいたのだが・・・。

■8月5日
バーバラから通算14回目の電子メールが届く。こっちからのエアメールを受け取ったみたいだ。あれえーっ。バーバラからのエアメールの後から送ったのに。彼女からの写真はまだこっちに届いてないぞ。日本人の友達もニューヨークにいると書かれているぞ。まあ、郵便物に満足してもらえたようなので、安心としておこうか。

■8月7日
ノセリツコと電話セッション。後発のぼくからの郵便の方が先に届いて、バーバラの郵便がまだ届いてないことを伝えると、今アメリカの運送会社がストライキやってるとのこと。ひょっとしてこれが原因か。しかし、こっちからのエアメールがニューヨークに4日間で届くなんて。

■8月8日
キャニオン・シネマのドミニクから全然返事がこない。ノセリツコに相談すると、「バカンスにいってるんやない?」とあっさり。こっちは急いでるのだよ。電子メールがうまく届いてない可能性だってある。ひょっとしたら、ワークショップでしばらく不在なのかもしれないし。キャニオン・シネマのホームページでドミニクの作品リストを発見した。つまり、ドミニクも映像作家なのだ。7月25日に送ったものと同じ文章をコピーして、キャニオン・シネマへ通算4回目の電子メールを送付。

■8月9日
バーバラから写真が入ったエアメールが届く。

■8月11日
「エアメールは無事うけとった」とだけ書き、バーバラへ通算14回目の電子メールを送る。

■8月12日
キャニオン・シネマのドミニクから通算3回目の電子メールが届く。バーバラ作品の写真は持ってないみたいだ。ほかの文面はよくわからない。保険に関する大事な部分だ。ノセリツコにはやく届けなきゃ。

■8月18日
風呂からあがって、頼りにしているノセリツコとやっと電話でコンタクト。電話ではよくわからないので、コピーを渡しに行く。街灯の下で、ドミニクからの電子メールの解読作業にかかる。キャニオン・シネマでは、重量にあわせて保険をかけるシステムになっていることが判明。そして、文面からいくと、アメリカからの輸送に関しては保険のことなど眼中にないようだ。そりゃそうだ。こちらが責任を持つと言ってしまってるのだから。さて困った。
しばらく街灯の下で思案し、保険をかけてほしいこと、その分は事前に送金するということ、を打診する文章を作成。それからフィルムの発送日を早めてほしい文章も。税関で滞った場合、2週間かかるかもしれないというアドバイスをもらったり、アメリカの運送会社がストライキしているという情報が入ってきているからだ。
家に戻って、文章を整理し、キャニオン・シネマのドミニクへ通算4回目の電子メールを発送。

■8月19日
ドミニクから通算4回目の電子メールが届く。ドキドキしながらメッセージを開く。
ふたつの質問は了解したと一行だけ書かれている。怒ってるかもしれないなぁ。最初と話が違うもんなぁ。でも、了解してくれて助かった。

■8月21日
ドミニクへ通算5回目の電子メールを送る。寛大な応対に感謝していること、お金は11月30日までに銀行振込することを伝える。

■9月18日
バーバラへ通算14回目の電子メールを送る。企画上映プライベート・ムービーの公式チラシをエアメールで送ったこと、山形国際ドキュメンタリー映画祭に10月8日から10日まで行けること、そして山形でバーバラのコンペ出品作品『テンダー・フィクションズ』を見るだろうとメッセージ。
さらにドミニクへ通算6回目の電子メールを送付。企画上映プライベート・ムービーの公式チラシをエアメールで送ったことを伝える。

■9月19日
バーバラから通算15回目の電子メールが届く。彼女の返事はいつもはやい。バーバラはパートナーのフローリーと一緒に、10月3日から13日まで山形に滞在するようだ。どうやらぼくが送った東北ガイドブックを参考にして温泉を予約してある模様。

■10月8日
素泊りさせてもらっていた栗東の兄夫婦宅を朝4時半に出発。伊丹初山形行きの飛行機で、あっけなく山形空港に到着。初めて山形の土地を歩く。午前中は天童の温泉でのんびり湯につかりながら3日間のスケジュールを考える。
雨の中、山形市に入り、映画祭メイン会場の山形市中央公民館で受け付けを済ませる。しかし、中央公民館がファッションビルの中にあるなんて。なぜか真向いのお店には「水口」と書かれた看板が。
まず、ミューズ1にてアジア・プログラム部門の『一度きりの子供時代』(ディティ・カロリノ、サダナ・ブクサニ)を見てから、フォーラム1へ急ぐ。コンペ部門の河瀬監督作品『杣人物語』とバーバラの『テンダー・フィクションズ』が続けて見られるからだ。『杣人物語』はさすがに補助席と立ち見で超満員。映画評論家の山根貞男さんや四方田犬彦さんの顔も見える。
『杣人物語』終映後ロビーに出ると、なんとバーバラが観客にかこまれている。メイン会場の上映のみ、監督の質疑応答が用意されているはずなのに。『テンダー・フィクションズ』上映前に、バーバラはピョンピョン飛び跳ねるみたいに登場。質疑応答ではなく、予定外の舞台挨拶。会場は『杣人物語』のときと同じく超満員。終映後ロビーに出ると、バーバラは観客から質問攻めにあっている。割り込む余地がない。
次の『ロンドン・スケッチ』(1997年、ジョン・ジョスト)も観ようと客席に座っていると、バーバラも会場に入ってきた。彼女も観るようだ。
途中退場が多かった『ロンドン・スケッチ』終映後、ホテルまで歩いて帰ることにする。真っ暗な夜道で信号待ちしていると、向側からぼくの顔を見ている女性がいる。映画祭のペンダントをしているので、映画を観に来た人だ、とすぐわかる。青信号になってこちらに向かってくるので話しかけられるのかと思いきや、通りすぎて後ろの人に英語で話しかけている。振り向くと、なんだ、バーバラではないか。うしろでコツコツという足音をさせて歩いていたのはバーバラだった。ドサクサでぼくも話に割り込むと、その日本人女性は、香味庵という飲み屋の場所を探しているようだ。そこなら、映画祭に参加している人達があつまってくるところで、山形空港から市内に入るリムジンバスで通りすぎたからぼくが知っていると、3人でつるんで向かうことにする。歩きながらバーバラは手に持っていたイチゴ・ポッキーを差し出し、「ポッキーはいかが?」。ぼくは「ありがとう」。バーバラとの対話はこれが最初だ。記憶がいい加減なので心配だったが、迷うことなく香味庵に到着。映画監督や関係者でいっぱいだが、とりあえず3人で乾杯。同席している日本人女性は英語の翻訳を仕事にしているとのことで、英語はペラペラだが、こっちは普通の日本の大学を出た程度。自己紹介のムードになり、ここでやっと自分の名前を告げる。驚かすつもりはなどなく、自分の名を名乗るタイミングがつかめなかっただけだ。バーバラは「今日、何本観た?」と聞くので「4本。きょう、あなたの作品を観た。あなたが会場にいたのでビックリした。あしたも4本観るつもりだ。」と答える。そんなやりとりが続き、いつの間にか英語がまずいぼくは筆談にかかり、いつの間にか仕事の話しに突入。リュックに入れといたチラシも図々しくまわりの人に配る。真夜中にバーバラとの不思議な出会いをつくってくれた女性は平岡豊子さん。鎌倉でシネクラブを組織している。

■10月9日
山形市中央公民館で、バーバラと彼女の同伴者フローリーとバッタリ出会う。バーバラからフローリーを紹介される。『テンダー・フィクションズ』にも出ていたが、見た目はもっときれいな人。
この日もハシゴで4本映画を観る。うち、特別招待されていたオランダのヴィンセント・モニケンダム監督『マザー・ダオ』(1995年)は検閲でフィルムがカット。夜、ホテルへの道中でヴィンセント監督のうしろ姿を見つける。
同じ道中で、中田統一監督に出会う。彼の『大阪ストーリー』(1994年)は企画上映「プライベート・ムービー」第5日目の12月13日に上映することになっている。バーバラの日本未公開作品を4本上映する日でもある。

■10月10日
山形滞在最終日。山形市中央公民館で大木裕之監督のコンペ出品作『3+1』、審査員ニン・インの『北京好日』(1992年)、そして河瀬直美監督のコンペ出品作『杣人物語』を時間いっぱいまで観てバス停に急ぐ。伊丹から京都までのリムジンバスの中で22時を迎える。特別招待されている原將人監督最新作『ロードムービー家の夏』ライブ上映開始の時刻だ。

■10月16日
バーバラへ通算15回目の電子メールを送る。約束のフィルム・レンタル代他諸経費を国際郵便為替で送ったこと、初めてバーバラの作品に出会う観客にメッセージがほしいことを伝える。午後、出張先の長浜から帰ってくると、ノセリツコからFAXが。上映するバーバラ作品の解説を日本語訳してあったのでその添削結果だ。チェックだらけ。

■10月18日
ノセリツコとじゃがいも料理がうまい店「じゃがいも」へ。バーバラ作品解説日本語訳の最終チェックを閉店間際まで。じゃがいものマスターも興味津々、ときどき話にまじる。

■10月27日
ドミニクへ通算7回目の電子メールを送る。所定のお金を銀行振り込みしたことを伝える。

■10月30日
バーバラから通算16回目と17回目の電子メールが届く。めずらしくなかなか返事が来ないなぁと思っていたら、サンフランシスコとバークレーへ上映ツアーにでかけていたようだ。日本からそのまま家に返らず映画祭をハシゴしていたのだろうか。
フィルムは11月21日に発送すると書かれてある。ということは、日本時間で11月22日だ。
依頼してあった監督から観客へのメッセージは、またまた用件がうまく伝わっておらず、主催者へのメッセージになっている。でも、ありがたい。バーバラからいただいたメッセージは次のとおり。
「みなさんのお仕事は、あなたの町の人々にとってとても有意義なものです。どうか、芸術のためにこの仕事を続けてください!」

■11月2日
ドミニクから通算7回目の電子メールが届く。お金を確かに受け取ったこと、フィルムはフェデラル・エクスプレスで11月25日に発送することが書かれている。

■11月24日
バーバラから通算18回目の電子メールが届く。予定通りの日程でフィルムを送ったこと、荷物のナンバーなどが書かれている。あと、輸送料が予定していたよりもかかってしまったので、その立て替えた分を送ってほしいとも書かれている。

■11月26日
返事を書こうと思っていたら、フェデラル・エクスプレスでバーバラが送ってくれたフィルムがホールに届く。バーバラへ通算17回目の電子メールを送る。無事フィルムは受けとったこと、キャニオン・シネマのドミニクが送ってくれる2本のフィルムは11月25日アメリカ発の予定だということ、そして、輸送料不足分の送金は了承したと書き込む。

■11月28日
バーバラから通算19回目の電子メールが届く。「ドミニクからのフィルムが無事日本に届くことを祈っています。そしてぜひ上映会の成功を!」と書かれている。明日からいよいよ、企画上映「プライベート・ムービー」が始まる。にもかかわらず、アメリカの兵隊と結婚したぼくの同級生が旦那を連れて帰ってくるというので、今年水口にできた地ビールレストランへ。小規模の同窓会といった趣。アメリカの兵隊ジェフはかなりの音楽好きで、「あんたが今一番はまってる音楽は誰や?」と尋ねると、彼は「ザッパ、フランク・ザッパ!」と盛り上がる。
ずいぶん飲んだが、明日の上映初日が気になってなかなか寝付かれない。結婚して名字が河瀬から仙頭にかわった、仙頭直美監督公開インタビューをせなあかんし、彼女は早朝に高松から飛んでくるというし。

■11月29日
企画上映「プライベート・ムービー」初日。山形で出会った鎌倉の平岡さんが友人を動員して1泊2日の日程で来てくれた。公開インタビューに来てくれる仙頭直美監督は、無事高松から予定よりも早く到着。本番が終わってすぐ東京にいかなければならないそうだ。昨日の準備段階からNHKが取材にきている。ニュース番組で1コマ取り上げてくれることになっている。放映日は12月3日。
初日の全日程終了後、後片付けを済ませてから平岡さんら鎌倉組と、金子ともかず君を連れて「じゃがいも」へ。金子君は、12月13日にライブ上映する『ロードムービー家の夏』の息子役として出演する。「じゃがいも」に到着すると、海外交渉でお世話になっているノセリツコも来ていたので合流。平岡さんら鎌倉組をホテルに送ったあと、金子君とわが家へ向かう。金子君はわが家に1泊。まだまだ初日。あと5日間何が起こるのだろう。

■12月3日
ドミニクから送られてくるはずのバーバラ作品3本がまだ届かない。心配なので、ドミニクに通算8回目の電子メールで確認を急ぐ。
昼から、大津市にある、全国市町村国際文化研修所へHVS(碧水ホールボランティアスタッフ)の中村道男さんと一緒にいく。今回は何かとお世話になっている小暮宣雄教授に会いにいくのではなく、「地域でのインターネット活用実例」というテーマでしゃべる仕事だ。中村さんは得意のホームページを、ぼくはインターネット利用実例として、バーバラと電子メールをやりとりしている状況で得たことをしゃべる。研修生は平均年齢が30代後半と、ぼくよりちょっと年上で、上司命令で来た人がほとんどだった。
取材してもらったNHKの放送は見れず。

■12月4日
ドミニクから通算6回目の電子メールが届く。フィルムはアメリカ時間で11月25日にフェデラル・エクスプレスにて発送しているとのこと。フェデックスのオフィスに確認してほしいと荷物のナンバーが書かれている。さっそく104でフェデックス・ジャパンの電話番号を調べて電話。対応が丁寧で早い。本日荷物は通関したので、明日かあさってには受け取れるだろうとのこと。さっそく、以上の過程をインターネットの師匠中村道男さんに報告。フェデックスがホームページでトラッキングサービスしていると聞いたことがあるらしい。つまり、荷物のナンバーを入力すれば、その荷物の行方が利用客にも検索できるという仕掛けだ。さっそく、サーチエンジンでフェデックスのホームページを見つける。が、うまく荷物の検索ができない。そうこうしていると、中村さんから検索できたとFAX。どうやら荷物が発送された日付を入力する必要があったようだ。これで、ぼくも検索できた。なんと、時刻つきで、いつ通関したとかどの飛行機に荷物が乗ってるかとか、どの空港に留まっているか、とかが調べられる仕掛けになっているのだ。なんで、バーバラやドミニクが郵便局の国際エクスプレスメールではなく、フェデックスを指定してきたのかが、ここでわかった。

■12月5日
フィルム返却に必要とする保険の準備を始める。といってもすべてが初めてなので、どこから手をつけたらいいやら。フェデックスでは保険は取り扱ってないとのことで、とりあえずホールから歩いて1分のところにある海上火災保険にコンタクト。なんと、美術品は扱ったことがないということで、草津支店に問い合わせてもらう。ホール閉館間際に草津支店から電話が。草津支店も美術品は扱ったことがないが、「とにかくやってみます」との返事。保険屋さんにもいい経験になるかもしれない。

■12月6日
いよいよ、バーバラ・ハマー日本未公開作品を上映する日。この日は『BENT TIME』1本。
ドミニクからの荷物が届く。検査済のステッカーがべったり貼られている。フィルム缶を締めている帯がひとつ切られていたが、中味は大丈夫。さっそくドミニクにその報告を通算9回目の電子メールで。

■12月13日
バーバラ・ハマー日本未公開作品『STONE CIRCLES』『PLACE MATTES』『OPTIC NERVE』『ENDANGERED』以上4本を上映。
■12月15日
企画上映「プライベート・ムービー」最終日の翌日。休館日。輸出に必要な書類を山ほど書き、保険もフェデックス手配も土壇場で間に合って、海外へのフィルム返却は準備万端。指定した荷物引き取り時刻の1時間前からホールで待機。予定していたよりも30分早くとりにきてくれた。フィルムを届けてくれた時と同じおねえちゃんだ。

■12月16日
バーバラへ通算18回目の電子メールを送る。フィルムは日本時間で12月15日にフェデラル・エクスプレスで発送したこと、荷物のナンバーを伝える。また、輸送料不足分は借りていた写真と一緒に後日送ることも伝える。ドミニクにも通算10回目の電子メールでフィルムを発送したと伝える。

■12月24日
バーバラから、フィルムが無事届いたと、通算20回目の電子メールが届く。「観客の反応はどうだった?」とも書かれている。ドミニクからはまだフィルム受け取りの返事が来ない。

■12月25日
バーバラへ通算19回目の電子メールを送る。輸送料不足分は日本時間12月22日に国際郵便為替で送ったこと、しかもぼくのボーン・ヘッドで間違った金額を送ってしまい、不足分はあらためて送ることを伝える。そして、観客の反応として、バーバラの上映日には子供たちが観に来てくれたことを伝え、「最初の出会いってとても大切だと思う」と書き込みを終える。

■12月26日
バーバラへ、不足していたお金、借りていた写真、プレゼントとして日本製の日めくりカレンダーを梱包してエアメールを発送。HAPPY NEW YEAR '98と書いたピカソのポストカードも一緒に。

■12月29日
昨日からホールは年末年始の休館に入っている。自宅にコンピュータを持って帰っている。
バーバラから通算21回目の電子メールが届く。「小額なのにお金をきちんと送ってくれておりがとう」と書かれている。また、「観客の反応も知らせてくれてありがとう」とも。また、彼女も「最初の出会いが肝心だ」と言っている。「子供たちが大人になってもアヴァンギャルドフィルムを気に入ってくれてたら」とも書かれている。うーん、ぼくはバーバラの作品はアヴァンギャルドとか、そういったカテゴリーに収まりきるものではないと考えていたんだけどなあ。まっ、ええか。メールの最後は「私たちはまた会えるでしょう。そしてHAPPY NEW YEAR !」 で閉められている。
 
 
 
 


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上村秀裕 kamimura hidehiro/碧水ホール学芸員



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1998年(平成10年)1月
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