月 日 1996年12月7日(土)
ところ 水口町 町立碧水ホール練習室 出演者 谷川賢作・高瀬麻里子・大坪寛彦・谷川俊太郎 インタビュー 高山典子(HVS) 録音・載録 竹山靖玄
高 山 これ私の作っているCDでして、名刺がわりに。(笑い)私の名前をお忘れに
なったらここに書いてありますので。(笑い)貰って下さい。すみません一枚しか
ありませんが。
谷川(賢) 制作費幾らくらいですか
高 山 わかりません。(ジャケットを指さして)ここの人が作ってくれたので。
賢 作 ジャズですか。
高 山 いいえ。
賢 作 (ジャケットを見ながら)ベースが二人に、ドラムが一人。わぁ!アバンギャル
トですね。
高 山 はい。それではまず、ほかのスタッフからも疑問の声が上がっていたのですけれ
ども、どうしてこういうメンバーで、バンドを組まれたのでしょうか。
賢 作 かなり昔に遡らなければいけないんですが。僕が書いている一連の歌なんですけ
れども。昔スタジオ200というのが池袋にありまして、そこでですね高橋貞子さ
んという歌手と僕が何本かステージをご一緒したんですね。それで彼女が現代詩、
まぁ谷川俊太郎さんの作品中心なんですが、歌うということで、僕にも何曲か書い
てみないといって。正直彼女にはあまり気に入って貰えなかったんです。難しいと
いうか。僕のキャラクター、個性かな、曲作りの。が顕著に表われているもので。
それでこの曲というのは、永いことオクラになっていたんですよ。それで、最近、
もう二年前になるかな、また新たに発掘してきたというとオーバーですけれど、こ
の歌を聴いてみたいなという感じになったんですね。自分ではあまりろくにも歌え
ないですし。でベースの大坪君に相談したわけです。誰かいいヴォーカリストいな
いといって、で大坪君が一人すごい若手で有望な人知っていますということで、高
瀬さんを紹介して貰ったんです。こういう流れですね。
高 山 じゃ、大坪さんと高瀬さんのきっかけは、どういうことで。
高 瀬 私が高校の時の先輩と一緒に、コンサートとそれから、先輩がピアニストだった
んですね。そのピアニストさんと私が、イラストレーターでオブジェを作ってる人
と一緒に音覧会、音楽会と展覧会を一緒にした音覧会っていうものを企画したんで
すね。そのときに本当は最初ピアノ一本ぐらいの話だったのが、そのピアニスト
が、私が是非一緒にやりたいベーシストがいるから、というので紹介していただい
たのが大坪さんだったんです。それからですから、もう5年くらいになるんですけ
れども。で、こういう曲なんだけれども、麻里子にすごく合うと思うんだけれども
といって、賢作さんのを聴かせていただいて、それですごく好きだったから、やる
やると言って。
高 山 三人は分かりましたけれども、俊太郎さまはそこで、どの辺から登場されたの
でしょうか。
賢 作 あのね、俊太郎さまはね、飛び道具
なんですよ。本当に。もう何でも正直に喋りましょう
ね。やっぱりネームバリュー大きいですからね。
我々ディーバってバンド名にして売り出しても誰
知らない訳です。
高 山 バンド名あったんですか。
賢 作 わぁ!!こらぁ〜!!(困った様子、大笑い)
高 山 でも、何処にも書いてませんでしたね。
賢 作 それは私のいけないところだな。いやディーバという名前で活動しているんです
けど。いったやんけ。
上 村 そうでしたっけ。
高 山 カタカナですか。
賢 作 え〜、DIVA です。
高 山 すみませんでした。
賢 作 これを機会にDIVA.、これはイタリア語でプリマドンナ、歌の女神という意味
なんですけれども。まぁ大胆な名前付けたねと言われるんですけど。これ響がい
いし、アルファベットもみた感じもすごくいいし。付けたもの勝ちというと悪い
ですけれども、ただもうだいぶ浸透してきたんですよね。一年以上やってきてい
ますし。だからこのままDIVAという名前でいこうと思っています。
高 山 ディーボみたいで格好いいです。
賢 作 それもよく言われるんですけれどもね。(笑い)ディーボとはサウンド的にも、
音楽的にもちょっと、何の関連性もないんですけど。
谷川(俊) 飛び道具の意味の説明がないが、
賢 作 え〜まぁ、親子でありますから、非常にやりにくいということは無いんですけ
れどね。参加していただくことによって、これでいいのかどうかって、若干の迷
いはあるんですけれども。元来気さくな方で、非常に一緒にステージ乗っけて
も、乗っけてもはいけないね。(笑い)一緒にステージ参加していただいても、
非常に我々としてもやりやすいというか、なにか面白い体験ができるので、参加
して貰っているんですね。
高 山 何回目ですか。俊太郎さまと一緒は。
俊太郎 正確にはいま急には言えませんが、6回か7回は一緒にやっていると思います。
高 山 東京が多いんですか。
賢 作 いいえ、東京は渋谷のジァンジァンというライブハウスで1回ですね。あとは
この前は大分でやりました。千葉では城西国際大学というところで学園祭に
招かれて。
高 山 回数を重ねていくごとに、何か変化することというのはありますか。
賢 作 それはいい質問なんですけれども。どうも、まずは僕は飽きっぽい性格なんで
すよ。これちょっと自分でもいかんなぁと思って。あえて曲はもうなるべく同じ
曲を何回も何回もやって、という経験いままでにあまりしたことがないんです
よ。出身がジャズ畑だったせいもあるかもしれないですけれど、ある晩はこの選
曲で、次の晩はこちらに変えちゃうということが多かったんですけど、 もう同
じ曲を何度も何度もステージでやることによって、どうなっていくかなというの
がちょっと自分でも興味深いところなんですけれどもね。それで、朗読は変わり
ますね毎回。
俊太郎 あの〜。 はじめはね「よしなしうた」という僕の詩集からの歌がほとんど
だったので、それを歌ってもらって僕のほうは自分で読むというのを、はじめた
んですね。で、やっているうちに、こっちも面白いから何か別の詩を読んでも別
に害にならないんじゃないかと思って、その時々の客層とか、場所によって、少
しづつ読む詩を変えるようになりましたね。僕も割りと飽きっぽいんですよ。同
じ詩を読んでいると、ついついだらけるので、やっぱし少し違う詩を読んでいき
たいという感じで詩は色々変わってはいますけれども、
高 山 詩を決められるのはどの段階で決められるのですか。お客さんを見てからと
か。
俊太郎 ええ、お客を見てから。だから一応何冊か持っていって、それでステージに出
て、まぁカッコよく言えばね、その場で決めるんですけれどね。その前にある程
度は心づもりはしていますけれど。例えば子どもが多い場合なんてあると、やっ
ぱりお子様サービスしなければいけないと思って、何かお子様向けの詩を入れた
りとかね。それからこの前九州の方で割りとジャズぽい、本当のライブスポット
みたいなところでやったときは、なんとなくその場の雰囲気に呑まれて、ちょっ
とこっちもジャジーにやろうとかって、ジャズぽい詩を選ぶとか。こういうホー
ルだと、もうちょっと何か真面目にやらなければいけないかしら、とかね。
高 山 そうでしょうね。雰囲気なんかも全然違うんでしょうね。
俊太郎 いろいろ違いますよね。場所によって。それから
迎えて下さるスタッフによっても違いますね。
高 山 そうですか。
俊太郎 なんかやくざなスタッフもいるし、(笑い)
高 山 みなさんにお伺いしたいんですが。曲を書いたり、詩を書いたりされる訳です
が、どういう状況で、お作りになっているのかを知りたいんです。例えばほら、さ
あ今から作るぞ、っていう風に机とか楽器に向かってつくられるのか、歩きながら想
い浮かぶとか。その辺りをお願いできますでしょうか。高瀬さんもお作りになること
あるんでしょうか。
高 瀬 たまに。
高 山 お願いします。
賢 作 彼女は作詞をします。
高 山 そうですか。
大 坪 僕は締切があったほうが作りやすいです。それで、最終的にできる時というの
は、突然ボッコという感じでまとめてできちゃうんですけれども。それは何かのべ
つ間もなしにできるわけではなくて、作ろうという意識をもって、やっぱり追い込
んだ形で、それに集中している時に、それが机の上でという訳ではなくて、例えば
電車とかに乗っている時に、突然パッてだいたい1曲全部できます。だけど、それ
はなんかのんびりしているとできなくて、例えば今度のライブまでに新曲2曲作ら
なきゃいけない。というようなノルマを課して、一応作ろうという努力をしてるう
ちに、できるという感じなんですけれども。
高 山 あの、作るというのは、楽譜を書かれる訳ですか。
大 坪 おおもとになるアイデアとか、曲想とか、一番メインになるメロディーとか、サ
ウンドのコンセプトとかそういうことですよね。そういうのがだいたい頭の中でで
きてしまえば、あとは作業として机の上で、半分はパズルみたいな感じで、実際に
楽譜を書く作業とか、細かく楽器をどういう風にしようかとか考えますけれど、そ
こに座った段階ではある程度できたも同然っていうか、あとはもう作業って感じで
すよね。
高 山 楽器はじゃ、なにを使われ・・・、音を出してみられますよね、やっぱり。
大 坪 電車とかに乗っているときに、バ〜ンって思いつくんですけれど。とくに長く
なっちゃったりすると、記憶、ずうっと忘れないように。例えば家に帰る途中なん
かだったら、もうずうと歌っているんですよ。違うこと考えちゃうと本当に忘れ
ちゃうんで、そのサウンドが頭の中でこぼれないようにして帰るんですけど。それ
でもダメそうな時って自分で分かるんで。ひどいときなんかは、メモのかわりに手
帳なんかに書くこともあるんですが、家に留守番電話をかけたりしますね。 いま
想っていることをともかく言葉で説明するんですよ、自分に。こうなってこうなっ
てとか、メインのメロディーはこうだって、だったりだとか。で、帰って聴いてみ
て分からないときもありますけれどもね。
高 山 面白いですね。それでは次に高瀬さんお願いします。
高 瀬 私、まあ仕事でやるときは、テーマがあったりとか、あとメロディーがさきに
あってそれに付けるということが多いので。そいうときはこういう題材で詩を書い
て下さいという話があれば、そこから膨らませていくし、あの〜、賢作さんのメロ
ディーにザ・マン・イン・ザ・ムーンというきれいな曲があって、それはザ・マ
ン・イン・ザ・ムーンという題名ですごくイメージが膨らんだから。別にそうです
ね、別に言葉ですから、どこかに書き留めておけばOKですから、別に留守番電話
に入れなくて、だから常にいろんなところに書いてありますけれどね。思いついた
ときに書いたりとか、あと映画とかテレビとか、本とかも印象深い所を書いといた
りとか。そうすると何かパラパラってめくっていくうちに、こっちのために書いた
詩と、こっちのために書いた詩があわさってパズルみたいになったりという感じで
すかね。子ども向けの歌は、だいたい私子どもなんで、なんかいっぱい書いてます
けど。
高 山 子ども向けの歌のほうがお得意なんですか。
高 瀬 お得意というか。そうですね、あの人が好きで失恋してどうだとかこうだとか、
そういう恋愛の歌もありますけれど、何かなぁってちょっと照れちゃうんですか
ね。よく分かりませんけど。子ども向けの歌はねぇ、あっという間にできます。何
か思いつけば。メロディーと言葉は一緒にでます。
高 山 俊太郎さまお願いします。
俊太郎 (笑い)なぜさま付けになるのかよく分からないんだけど。
高 山 どうも、(俊太郎さんと)そう付けるといろんな人に怒られそうな気がして。
俊太郎 え〜と、ワープロのスイッチを入れます。で、ともかく詩を作ろうと思ったら、精
神を集中します。でも何を書くのか、何が書けるのか全然分からないうちに、言葉が
ポカッって出てきて、それをワープロで打ってみて、読んでみて、使えそうだったら
そこからだんだん連想だとかね、何かでまぁ膨らませていくというのかな、簡単にい
うとそうですね。 高 山 ポカッって出るのですか。
俊太郎 そうです。で、まぁ勿論、僕も締切があって書くことが多いので。やっぱり締切っ
ていうのは、一つのなんか限界といえばいいのか。つまり、締切の一日前になったら
そこで一応完成したと思わなきゃいけないから。ずっといじってるんですけどね、わ
りと早めに書きはじめて、なんかごちゃごちゃといじってるんだけど、締切の前で一
応手放してしまうということが多いですね。さらにいろんな種類の詩、僕書いてるか
ら、詩によってはまた、出方が違うんですね。ポカッと出るのはまた、ある種の詩
で、例えば「ことばあそびうた」みたいな、その「かっぱかっぱらった」みたいなの
はポカッっと、一部はポカッとでてくるんだけど、あとは語呂合わせの言葉を一生懸
命探して、メモしてそれを組み合わせていくというやり方ですね。それから歌詞の場
合にはやっぱり詩とはちょっと違って、少しこう言葉の数合わせて、一番二番で作り
ましょうとか、ということも入ってくるし。それからやっぱり、こう同時代の雰囲気
みたいなものをどうにか書きたいなぁみたいな意識が勝って書くとかね。それから勿
論、時々だけど僕もすでにある楽譜に言葉を当てはめていくときがあるんだけど、そ
の場合にはポカッと出てくるのをあんまり待ってられないんで、なにか一応どういう
ことを書こうかって決めて、そういう言葉を楽譜に当てはめていくという書き方です
ね。
高 山 あ〜、そうですか。そのワープロの置いてある場所はいつも同じなんですか。
俊太郎 いいえ、僕のワープロはポータブルだから、いまも持ってますけど、持って歩いて
いますね。だから、冬になると暖かいところへこうジリジリと猫みたいに寄っていっ
て書くとか。
高 山 はぁ、そうですか。そしたら、例えばこういう時の移動中なんかでも。
俊太郎 そんなときに仕事するみたいなせこい事はほとんどしません。(笑い)
賢 作 私に言われてんのかな。(笑い)
高 山 それでは、賢作さんお願いします。
賢 作 僕もピアノに向かって作曲します。ピアノがないとダメですね。最近何というか
な、柔らかいバラード調の曲が多くなってしまって、どうしてもそういうものがでて
きちゃう。キザな言い方ですけど、あえて何かこの曲はこう、リズムはこういう思い
のリズムがあるということ、曲にしようという風に考えながらやっていることもあり
ますね。勿論、詩から受ける第一印象も大事なんですけれども。でもなんか、ほっと
くと全部バラードになってしまうという、ちょっと危機感ですね、これは。
高 山 最近ですか、それは。以前はそうじゃなくて。
賢 作 以前はそうじゃなかったですけどね。どうしたんでしょうね。表現者としてもう終
りかもしれない。(笑い)
高 山 あの少し戻りますけど。俊太郎さん先ほど締切があって、前日くらいで完成とする
というお話しでしたけれども、締切のないお仕事というのはないのですか。 俊太郎 ほとんどないといってもいいんですけど。ただあの〜締切といってもいろいろあっ
て、13字詰15行でサクラの詩を書けという非常に厳しい限定がある場合もある
し。なんでもいいから、どんな枚数になってもいいから五月号に書いてくださいみた
いな注文の仕方もあるし。それから書けたらでいいですよという締切もあるんです
よ。ね、そういう場合はほとんどないに等しいんだけど、でも一応引き受けた以上は
書かなきゃいけないという一種の脅迫観念はあるんですよね。ほとんどそういう仕事
の仕方してて、自発的に書くということはほとんどないと言ってもいいんじゃないか
な。 高 山 ああ、そうなんですか。 俊太郎 だから注文建築ですね。(笑い)自分で林へ行って、木切ってログハウス作りま
しょうってのは、あまりないんです。 高 山 皆さんも何かありましたら。 上 村 なにか皆さん、メモとっている方もいますが、どなたかいませんか。 高 山 じゃ、よろしいですか。先ほどの質問と似てしまうんですけれども。詩をね、読ま
れるのかなぁと思って。例えば私たち本屋さん行って詩集を買って読みますけれど
も、そういうことはされるのかどうかということと、どういう環境を整えて読まれる
のかな。読まれるんでしたら、と思いまして。と言いますのは私自身が詩を読むとき
に何かおいしいものを食べるときみたいな感じで、すごく環境が気になるんですよ。
一人で座って読むのがいいのか、寝転んで読むのがいいのか、時間のゆったりあると
きに読むのがいいのか、人と待ち合わせしているときに読んだら、その詩のおいしい
ところが読み取れるのかというところがすごく悩んでしまって、結局読めないんです
よね。(笑い)その辺をどうされているか。 賢 作 (笑い)すごいな。それTPOにこだわりすぎだと思うんですよ。僕に関して言えば
ねえ、いまちょっとあまり良くない読み方というか、歌になるもの探しているんです
ね。これ歌になりそうだな。これダメだ。で、やっぱしそういうことでは無いですよ
ね。もっと何か、だって詩ってべつに歌にならなくていい訳ですから。もっと何か絵
をみるような感じで、何か自分の好きな詩を探してきたいんですけれども、ちょっと
それも語弊があるかな。いま歌になっているのは全部好きな詩です。嫌いな詩はやっ
ぱり歌にできませんね。でも、何かこう道具というとちょっと違うかな。何という
か、歌にしよう。歌にしよう。と詩を読むのもまたちょっと違うと思うんですけれど
もね。少し解放されたいんですけれども。でも、歌は作っていきたいです。 高 山 好きな詩を見つけたらやっぱりうれしいですよね。 賢 作 これは歌になるぞ。やったんだ、早い者勝ちだみたいな(笑い)。 高 山 なるほど。たぶん読み方が、じゃ違うでしょうね、私たちただ純粋に詩を味わいた
いというのとは。 賢作 本当はそれがいいんでしょうね。 高 山 俊太郎さんは、詩を読まれることはあるんですか、ご自分のでも。ほかの方ので
も。 俊太郎 ほとんど無いですね。 高 山 無いですか。読み返されないのですか。 俊太郎 自分の詩なんか校正刷りかなんかで読まなければならない時には読みます。今日も
読まなければいけませんよね、声だして。そういうことありますけどね。 高 山 自分が楽しむために読むっていうことはされないんですか。 俊太郎 ほとんどできませんね。いま、だから人の詩読むんでも、何か義務感で読むとか、
できるだけ読みたくない、読みたくないと思ってて、それからあとそうですね、あな
たが仰っしゃてたみたいに、おいしいもの食べるみたいに読むのが勿論理想的なんだ
けれども、僕らやはり、例えば親しい友人なんかがねぇ、詩書くと読んでみようかな
と思うけど、やっぱり何かよっぽどいい詩だと楽しめるんだけど、そうでないとやは
り一種批判的に読んでいるんですね、やはり頭の中で。こういう書き方でいいのかな
ぁとか、つい思っちゃいますね。僕はだから永い間詩書いてきたから、もう詩を楽し
めなくなっているところ、ちょっとありますね。 高 山 そうですか。ちょっと意外でしたけど。 俊太郎 そう、だってほらトンカツばっかり毎日揚げてたら、トンカツ喰うのもいやになる
ことだってあるじゃない。(笑い) 高 山 トンカツと一緒にしないでください。(笑い) 俊太郎 トンカツもおいしいですよ。(笑い)大坪さん、まどさんの詩なんかどうして発見
されたんですか。僕あれすごく興味あるんですけど。まずみちおさんの詩をね、大坪
さん作曲されているでしょ。僕まどさんの詩大好きなんだけど、あれやっぱりなかな
か現代詩の人認めないんですよね。童謡詩人だと思い込んでいて。それをだから大坪
さんが作曲してくれたのが、僕はすごくうれしいんですけれども。 大 坪 でも、もとといえばあれは俊太郎さんのおかげです。いつか一緒にライブの後打ち
上げで飲んでいるときに、ちょうどまどさんのお話しがでたときがありましたよね。
それで僕それまで童謡以外の詩は知らなかったけど、読んでみようと思って図書館で
読んでみて、あ、すごいって。 高 山 そういうことが知りたくって。どういう風にそういう書いてあるものを手に入れら
れているのかとかが、ちゃんと図書館へも行かれる訳ですね。 俊太郎 で、僕が全詩集を貸したんですよね。 大 坪 まだ家にあります。 俊太郎 (笑い)あげますから。 高 山 そういう風にも。 大 坪 すごい、やっぱり読んでいるときは楽しかったです。 俊太郎 そうですね。まどさんなんかは僕も楽しんでいますね、読み返しても。僕はちょっ
と解説みたいのを書くんで、ちょっと読み返したんだけど、やっぱり楽しいですね。 高 山 そうですか。 俊太郎 始終読みます。 高 山 高瀬さんはどうですか。 高 瀬 いいえあまり読みません。何かあのすごい格好付けてるみたいに思っちゃたりと
か、言葉がすごく難しいのが並んでいると、何言ってんだかとか、なっちゃうんです
ね。何か国語の時間の影響なのか、これは何を言わんとしているのだろうみたいなの
を、つい考えるんでしょう。そうすると私も一生懸命考えちゃうものですから、全部
がすごく悲しい詩に思えてきちゃったりして、人間なんか・・・みたいすごい何か変
なのって。だから俊太郎さんの詩とかはすごくひらがなが多くて、なんてこんなに分
かりやすい言葉でこんなに簡潔なんだけれども、面白いし、楽しいし、奥深いところ
があるのかもしれないけど(笑い)。あんまり考え過ぎたりしなくて、どちらかとい
うと、文字の並びみたいのをすごく奇麗だなと思ったりすることが多いんですよね。 高 山 あの、俊太郎さんにもう一度お願いしたいんですけど。何かこういい詩、詩人でい
らっしゃる訳ですから、いい詩を書こうというお気持はおありですよね。 俊太郎 もちろんです。 高 山 (笑い)ああ、そうですね。 俊太郎 (笑い)悪い詩を書こうと思うことあり得ないじゃないですか。 高 山 普段、そのために何か意識されていることっていうのはおありなのですか。 俊太郎 何もないです。 高 山 何もない、こう思い付くままに行動しておられるんですね。 俊太郎 あなた、思いつくままに行動しないで、常に何かこうすべきだとかって、行動し
ていらっしゃるんですか。 高 山 そういう面もあるので、 俊太郎 僕もそういう面もありますけれども、詩を書くときに、というよりも常に詩のこと
を考えている。いや、常にではないけれども、そりゃ考えてはいますけど、あのいま
高瀬さんが言ったみたいに、詩ってどうしてこうひどいものなんだろう。詩っていう
のは何か、人類に災いをもたらすではないかみたいなことばっかり考えていますね。
それは何故だろうとか。それは詩を喜んで下さる人がいるというのは、よく分かって
いるし、詩が何か救いになるようなことが当然あると思うんだけれど、それでも何か詩
の持っているマイナス面みたいなものを僕はいま主として考えるようになってはいる
んですね。 高 山 それは考えると苦しくなるんですか。やっぱり。 俊太郎 それは自分の人生にも関わっているから、やっぱり苦しくなる時もありますよね。
あんまり突っ込まないで下さい(笑い)。 高 山 突っ込みたくなるんです(笑い)。じゃ賢作さんに。あの、音楽を聴いて一番最初
に心が動いた経験というのは何時か覚えておられますか。 賢 作 生まれてからですよね。う〜ん小学校の低学年かな、いや、父は音楽すごく好きで
ですね、家では音楽結構鳴っていたと思うんですね、僕が幼い頃。それでまあ記憶、
最初のことっていうのは、ベートーヴェンの弦楽四重奏の終りの方、ジュリアード弦
楽四重奏団のがあったんですね。格好いいでしょうすごく、でもこれ真実、それであ
とベートーヴェンの田園があってですね、その辺のポケットスコアを誕生日プレゼン
トに買って貰ったことはよく覚えていますね。それではじめてこうオーケストラのス
コアなんかみて、へぇ面白いなぁ。 大 坪 正確に言ったら何年生、小学校の。 谷川(賢)3年、2、3年位だと思うんです。 大 坪 早熟だったんですね。 谷川(俊)いやいや、読めるかどうか別にして。でも何か趣味としてそういうことしていた感
じあったよ。 大 坪 それはすごいな。 竹 山 スコアみたいの、なかなか読めないですよね。 賢 作 いや、読めてないですよ。でもこの模様で、オーケストラが「が〜ん」って鳴って
いるときはわぁって膨らんで、単旋律のときは「す〜う」って鳴るくらいの感じって
いうのはわかりますでしょう。子どもですから、ちゃんと読んでいません、それは。
これが。 竹 山 いや、僕もねあの、さっきも言っていたようにブラスバンドやっていたでしょう、
京都会館でね、京響がやるときにね、スコアを何冊か十字屋という楽器屋で買って
いって、聴いたことあるんですけどね、とてもやないけれどもスコア持って行ったら
聴いていられへんし、こんど追い付いていかへんのね、スコアの方に。追い付こうと
したら、音が聞こえない。これはもうやめたと思ってやってないんですけど。スコア
と言うのはあれは直感的に読んでいかんとあかんもんやと思うさかい、 賢 作 ただみててヴィジュアルすごくきれいじゃないですか、スコアって。みるのがすご
く好きですね。とくに作曲家自筆のスコアみるってのは、僕好きですね。 高 山 それがお誕生日プレゼントだったんですか。 賢 作 ミニチュア・スコアですね。これくらいのサイズの。ボンボンの家庭環境です。
(笑い) 高 山 それでは同じ質問を大坪さんと高瀬さんにも。 大 坪 難しいなぁ。一番最初ということですわね。どうなのかなぁ。ちょっと思い出しま
すので、先にお願いします。 高 瀬 う〜ん。おばあちゃんの背中におぶわれているときに、子守歌を一緒に歌い狂った
という話が、私が赤ちゃんのときに「麻里ちゃんはいい子〜」って全部いったらしい
(笑い)。全然全部は覚えていないですけどね、勿論。あと幼稚園ではアグネス・
チャンの何かジャングルジムの上で歌っていたとか。いろんな話は聞くんですけど、
それは別に感動してどうのこうのと、歌うという行為が好きだったんだろうなと。あ
と音楽というのは、私はずうっと幼いときからモダンダンスをやっていたので、身体
で表現するものだっていう意識がどうしてもありますね。音楽を聴いたときに、あ、
これはどういう感じがする、どれを表現している感じがするとか、やっぱり絵でとら
えているかもしれないですね。それを身体でどういう振り付け、だから自分が舞台で
踊っていたりとかいう映像を、いつも頭に描いて音楽を聴いているという感じだった
んです。 高 山 子どもの頃から。 高 瀬 そうです。それと歌を歌うという。だから歌というのは私にとって音楽という感じ
じゃなかったですね。だからそういうところがだんだん一緒になってきてまぁミュー
ジカルを経て、いま詩の世界を歌ったりすることも、やっぱり絵でもみて、音でも聴
くっていうことは、結構環境的にたぶんたどり着いているんだろうなって思うんです
けど。 高 山 ありがとうございます。思い出しました? 大 坪 いや、思い出せないんですよ。あの、僕もどっちかというと、聴いて感動するとい
う、勿論そいうことはよくあるんですけど。子どもの頃から、音楽はやるもんだって
思っていた節がある。いま思い出していたんですけど、例えば、小学校の2年くらい
に学芸会とかで合奏とかやりますよね、そういう印象がとっても強いですね。だか
ら、自分が演奏してその演奏に感動するっていうじゃないけど、自分のだす音楽がう
れしいみたいな。例えば、小学校3年くらいからたて笛を吹き始めますよね。よく友
達にせがまれて、その当時流行っていたアニメのテーマ・ソングとかを、たて笛で吹
くんですよね。適当なんですけど。割りと人にはできないことが自分にはできてった
という意味でもすごい楽しかったのかもしれないけど。やっぱり何か演奏する楽し
さっていうか、そういう方のほうが記憶にありますね。そうだったような気がしま
す。 高 山 あ、そうですか。 俊太郎 僕にも聞いてくださいよ。(笑い)僕、すごくはっきりしているんですけれどね。
小学校の6年か中1のときにね、当時戦争中でラジオからしょっちゅう「海ゆかば」
というのが流れていたんですね。知ってますか。信時潔の曲なんだけど。 高 山 何となく聞いたことあるような気がします。 俊太郎 それを聞いてるうちに、電撃のように感動したのね。それで親にねだってレコード
を買って貰った記憶があるのね。それ、いま何に感動したのかと思うと、どうもあれ
単旋律で歌ってもそんなにたいした歌じゃなくて、僕はその編曲のハーモニーに感動
したような気がするんですね。いま考えてみると。で、それが一番最初で、そこから
僕は音楽の世界に入っていったんだけど。まぁ父が持っているレコードで、まずやっ
ぱりベートーヴェンでしたね。で、第五なんかも結構聴き始めたし、パストラールも
田園も聴いたんだけど、その少し後で何か遠くの部屋から、あれ誰がかけていたんだ
か。あ、ラジオだな、ラジオでね、何か曲が流れてきてね、ものすごく本当にビリビ
リ感動しちゃってね、何の曲かって、すぐ確かめたんですね。で、それがアッパシュ
ラータの第2楽章だったんですよね。その「海ゆかば」とアッパシュラータってのは
すごくよく覚えていますね。それが自分の最初の音楽体験で、それから何か音楽がな
いと生きていけない人みたいになっちゃったって感じね。で、僕は小学校の音楽の授
業って苦手で、何か歌うのがすごくこう下手だし、恥ずかしいと思っていたんだけ
ど、第2の音楽に眼を開いたのは、今年の正月なんですけど。ある日車を運転しなが
ら、ラジオ聴いていたら何かすごい奇麗な曲が流れてきたんですよ。必死になって誰
の曲かってのを後のアナウンス聴いてたら、森進一の「悲しみの器」という曲だった
わけです。これは谷村新司の曲なんですね、詩もね。で、そのとき僕はパッと第2の
目覚め、これは歌おう。(笑い)そこから僕はカラオケにはまってしまったんです
よ。「悲しみの器」がレパートリーナンバー1で、それをめんめん練習して。そした
ら音楽を聴くのと、音楽と、まぁ歌は違うと高瀬さんはおっしゃっていたけど、たし
かにそのとおりで、歌を自分で歌うのとは、全然違うということに僕は目覚めました
ね。 高 山 はぁ。 賢 作 歌って麻薬的ですよね。あの〜、大坪君もいま歌うことに目覚めちゃって、ベース
を弾きたくない。(笑い)もう弾かなくても歌の方を歌いたいと。それではベースラ
インが疎かになってしまうんで、かろうじて我慢してるというような。(笑い) 俊太郎 ベースも全部声で歌ちゃえばいいんじゃない。弾かないで。(笑い)ブンブンブン
とかって。 大 坪 密かに画策してるんで。 俊太郎 あぁ、そうですか。この人も結構歌いたがりでね。 賢 作 そうですね。だいたいですね、・・・。 俊太郎 この間俺パリで歌ったんだよとかってさ、ミニディスクを聴かせてくれるんです
ね。すると、エルトン・ジョンみたいに弾き語りで歌ってる訳。 賢 作 単純になってないですけどね 俊太郎 それが僕のレパートリーとダブってたりしてさぁ、僕なんかライバル意識が、(笑
い) 賢 作 レベルが低いですからね。(笑い) 俊太郎 それの方がうまいというんだもん。僕は自分ではうまいとは、ちょっという自信が
なくてね、ちょっと学んでこの少しね、パクってみようかしらと聴いたんだけどさ、
まぁそれほどたいした歌い方じゃないんですけどね。 高 山 重なっているレパートリーって何ですか。 俊太郎 それは武満徹作曲の「小さな空」って名曲なんですよ。もうそれはほらカラオケに
行ったって入ってませんからね。カラオケ・テープとかね、そういうのを手に入れ
て、それで練習する訳です。武満なんかの曲は。僕の誇りは何かというと、カラオ
ケ・ボックスに行けば必ず1曲は私の作詞した歌が入っていると。(笑い)それは鉄
腕アトムなんですね。(笑い)それで1曲では寂しいなと思ってたら、こんどダム系
(第一工商)のカラオケに「青空に問いかけて」という八っ墓村主題歌が、小室等の
歌で入っているんで、何時かダムの通信カラオケ行って歌うのを楽しみにしてんです
けれども、映像がただし小室等自身が歌っている映像だというと、みんながダァ〜っ
てなってね。(笑い)あの映像みながら歌いたくないという人もいるんだけど。(笑
い) 高 山 だいたい私の伺いたいことは、ひとつを残してほとんど伺いました。それは休みの
日があるんでしょうかということと、あれば何をなさっているのかなということで
す。ある方いらっしゃいますか。 大 坪 とにかく何かボォ〜とできるようなことを、いくつか趣味として持っているので、
それをちゃんと計画たてて、その日はその日と。 俊太郎 どんな趣味。 大 坪 例えば、テニスがすごい好きなんです。5時間位コートを取って、ビールを冷蔵庫
に、ちゃんと冷やしてから出かけていくとか。あとは、そうですね、コンピュータ
ー・ゲームの新しいソフトを預かってしまって、一日はまってしまって後悔すると
か。そんな感じですかね。あとはビデオ、月並ですけどね。 高 瀬 私はあの〜、家具とか雑貨とかが、すごい好きなんですね。でも、このすき間に何
が入るかって、考えて模様替をしたりとか、しょっちゅう並べ替えたり、まぁ、掃除
からはじまって、ああでもない、こうでもないって結局すごく散らかっていやにな
ちゃって終るというのが多いんですが。お布団をまず陽に干してというのが幸せの一
つかな。みんな一緒ですよね。あなた。 高 山 えぇ。 俊太郎 別に休みだからって、特に何とかするってなくて、ブラブラしてる訳です。もう引
退してますから。(笑い) 大 坪 それを意識して、今日一日はそういう仕事に関する、例えば僕だったら楽器は絶対
さわらないとか、そのコンピューターの前には座らないとか。そういう風に決めたり
するときあるんです。そういうことないですか。 俊太郎 そんなことないんです。僕、本当に仕事をできるだけこちゃこちゃと片付けて、あ
とは何か好きな本でも読んでいるとか、ビデオみてるとか、したいという感じで、で
もそれ休んでいるという感じじゃないんですね。本読むのも、ビデオみるのも、だか
ら本当にそういうのでいえば僕は、古いラジオ直すのが一番自分の休みの時間の使い
方としては、休みに近いかなと、けどこの頃余りやってないからね。たくさん集まり
過ぎちゃって。 高 山 どうしてラジオなんですか。 俊太郎 あの、小さいころラジオ少年だったから。それがぶり返しちゃったんですね、病気
が。小さい頃鉱石ラジオとかね、組み立てて、すごく好きだったんですんね。それか
ら僕オーディオの方に行って、オーディオやっていたんだけど、それも飽きちゃっ
て。ずうっと何もやってなかったんだけど、ある日ふっと古いラジオがあったのを
買ったのが運のつきで、それから何か芋づる式にラジオが集まってきちゃったんです
ね。それもすごいお年寄りのラジオばかりで、ほとんどボケてるような、人が200
ばかりいるんですよ、家に。 高 山 すごいですね。それを全部200飾っておられるんですか。全部鳴るんですか。 俊太郎 うん、全部飾ってはいないですが、家に置いてあるんですけどね。大体全部鳴りま
す。鳴らないのは直す。 高 山 音は違いますよね。 俊太郎 一台一台違います。すごくいい音のもあるし、ひどい音のもあります。 高 山 それを聞くのもまた楽しいですよね。 俊太郎 ほとんど聞きません。鳴ったらそれでいいから。(笑い)聞いても今の放送が流れ
てくるだけで、昔の放送が聞こえる訳じゃないんだから。だからつまんないんです。 高 山 賢作さんはお休みの時は。 賢 作 僕は休みの取り方が下手ですね。明らかに自分で感じます。 俊太郎 働くの好きでしょう。働くと思ってないね、この人。 賢 作 何だかよく分からないんだけど、休みの取り方下手糞ですね。先ほどの質問に戻り
ますけど、依頼される仕事が多いんですよ。そういうものに関しては締切は、10日
先だったら、5日前に仕上げちゃえば、自分が解放される訳じゃないですか。それが
できないんです。まだ1日ある、もうなくなってきちゃった。でもまだあるって、なんて、
碧水にも仕事を持ってきてしまう。(笑い)う〜ん。いかんですね。 高 山 ありがとうございました。お話し面白かったです。
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