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H.V.S通信 vol.59 2003年(平成15年)4月



vol.59-21
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02年度碧水ホール十大ニュース
 
 
02年度
碧水ホール
十大ニュース















ティルト・クンチョノ
クンプール、ゴング懸垂架装飾














ティルト・クンチョノの監修、指導
中川真(大阪市立大学教授)














モンゴル映画祭
永すぎた夏1987/カラー/95分
監督:J.セレングスレン

@ガムラン・プロジェクト始動
  通年

 なんといっても、2002年はこの話題がベスト・ワン。日本全国でも40セットぐらいしかないといわれるインドネシアの代表的な楽器ガムラン(音楽そのものもガムランと呼ぶ)。その中でも碧水ホールが所有することになったガムランは20名の編成が可能で、国内最大級ともいわれます。この楽器を使ってワークショップを行う他、定期的なガムランレッスンも始まりました(毎週水曜日)。グループ名、楽器名とも「ティルト・クンチョノ」と命名されました。ジャワ語で「黄金のようにきらめく水」という意味で、水口町ゆかりの童話作家、巌谷小波(いわやさざなみ)の「さざなみ」にあやかっています。名付け親は、インドネシア国立大学教授のパニョト先生。彼は昨年の夏、しばらく日本にいましたので、数回に渡りティルト・クンチョノの指導に通ってくださいました。もちろん、9月14日の公演にも出演していただきました。
 ガムラン・グループ「ティルト・クンチョノ」は、始まったばかりです。メンバーは主婦、お勤め帰りの人、学生などいろいろ。「初めてでも大丈夫ですか?」と心配そうなお電話をたびたびいただきますが、もちろん大丈夫。ガムランの経験者なんて、日本にそうそういるわけないんだから。「音楽が苦手なもんで・・
・」というお問い合わせもたびたびありますが、それも問題無し。みんな一から始め、個々の身の丈で参加できるのがガムランです。見学、メンバー募集は随時行っています。

@原將人監督3回目の登場 
『MI・TA・RI !』ライブ上映  2002.7.20

 原將人、原マオリ共同監督による映画『MI・TA・RI !』は8ミリとビデオで撮影された映画なので、会場では8ミリ映写機2台、ビデオプロジェクター1台、合計3台の映写機をセッティング。原將人監督が観客席の真ん中で映写しながら台詞やナレーションを発し、マオリさんが歌を唱う。かつて映画がサイレントだった頃、日本では映画の説明をしたり台詞を言ったりする弁士がいたり、映画にあわせて生演奏が行われていたのですが、原監督は、音と映像の現代だからこそ、生で音楽と言葉を付けていく「ライブ上映」を早くから実践されていました。碧水ホールで原監督のライブ上映を開くのもこれが3回目。映画『MI・TA・RI !』が年始早々に開催された第1回フランクフルト国際映画祭観客賞を受賞したことも、原監督を応援してきたわれわれとしては、たいへんうれしいニュースでした。

@どうしてもっと早く
言ってくれなかったんだ 、
テルミンが発明された日  
2002.10.5

 テルミン奏者の第一人者、竹内正実さんのコンサートは10月6日でしたが、前日にセミナーを開催しました。手を触れずに音を出すテルミンの注目度は高く、セミナーも大人気。参加者の年齢層も小学生からシルバーまでと幅広かったです。竹内さんは現在全国に120名ほどの生徒さんがいるそうで、新規で習いたい人はキャンセル待ちなのだそうです。だから、今回のように単発で竹内さんからテルミンを習える機会を作るのはたいへん難しくなっているそうで、セミナーに参加できた人はラッキーでした。テルミンを習おうとする人は、御年配の女性がけっこう多いとか。姿勢をよくしていないと音程がつかめないことや、微妙な指の動きも必要とするので、よい運動になるのかな?
 なごやかにセミナーが終わる頃、竹内さんが「きょうはテルミンが一般公開された記念日なんですよ。」と平然とおっしゃる。な、なんでそんな大事なことを、もっと早く言ってくれなかったんだよ〜。と言っても後のまつり。その後調べてみましたが、テルミン博士が楽器テルミンを発明したのが1920年。そして一般公開されたのが1921年10月5日だったのです。こんなメモリアルな日にテルミンを体験できた人、ほんとラッキーでしたね。

@演出、はったり、一切なし  
ありのままのアイルランド音楽
セタンタ来日公演  2002.10.12

 セタンタの若きバンマス、ハンズ・アラキの祖先に、どうやら水口藩士がいたという不思議なご縁もあった企画でした。しかもその水口藩士「荒木古童」は広辞苑に載るぐらいの尺八演奏家でもあったのですが、地元の文献にはそのような人物は見当たらず。今のところ、水口藩士「荒木古童」は、今で言う東京の滋賀事務所にあたるようなところにいた人物だったのでは?と推測しています。
 さて、碧水ホールが皮切りとなったセタンタ来日公演2002。無理矢理観客を乗せる場面もなく、MCも短かめに、演出、はったりのないステージでした。当ホールでアイルランド音楽が鳴り響くのは初めてですが、哀愁漂うセンチメンタリズムと、踊りたくなるグルーブ感を合わせ持つアイルランド音楽に酔いしれていただけたことと思います。踊りだした聴衆もいて、かっこよかったです。
 ご縁を作ってくださったハンズ・アラキの従姉妹にあたられる荒木明子さん、そして早くからアイルランド音楽の紹介に力を注いでこられ、貴重なアドバイスをたくさんしてくださった徳島県北島町創世ホールの小西昌幸さん、ありがとうございました。

@昨年に続いてヨーロピアン・ジャズ来日
 フィンランド・日本芸術交流コンサート
 2002.11.7

 天然肉体詩人の藤條虫丸(ふじえだむしまる)さんからお声をかけていただき、トントンと決まった企画でした。昨年はスイスから来日したジャズトリオ「DAY &TAXI」のライブを開催し、ヨーロッパのジャズの片鱗を垣間見るようなライブになりましたが、今年はフィンランドの「ヨルマ・タピオ・カルテット」。虫丸さん、七感弥広彰(ななみこうしょう)さんのダンス、そして日本の演奏家、筑前琵琶の片山旭星さんによる即興コラボレーションもあり、かなり実験的なイベント空間になりました。途中、森下圭子さんと虫丸さんによるフィンランド文化についてのトークをはさんだり、公演終了後には、聴衆のみなさんと出演者を囲む交流会も行いました。森下さんはフィンランド文化を他国に紹介する仕事をなさっているのですが、 パンフレットに掲載した肩書きは「ムーミン評論家」でした。
 水口にはフィンランド出身の牧師、オリカイネン・マルクさんがいるキリスト教会があります。いろいろご尽力をいただきました。ありがとうごさいました。

@笑うべきか涙すべきか  
モンゴル映画祭
 2002.11.30-12.1、12..7-8

 1945年に作られた大作『ツォクト・タイジ』から、1990年代の民主化以降まで、各年代からの秀作11本を特集したモンゴル映画祭。思いがけず大受けしたのが『迎える季節』(1986)と『永すぎた夏』(1987)という1980年代の映画でした。これらの映画では、民主化が進む中で心が揺れ動くモンゴルの人々を描いているのですが、山口百恵らによる赤いシリーズや、「スチュワーデス物語」を思わせる大胆な演出があって、これが議論の火種となりました。「はたして監督は観客を笑わそうとしているのか、泣かそうとしているのか。いや、そんなことは関係ない。ひたすら現代のモンゴルを誠実に描こうと試みた結果だ。」などなど。笑ってはいけない場面で笑ってしまうのは、たとえば昨今の日本でも観ることが可能になったインド映画でも言えることで、文化の違いもあるのかもしれません。笑ったり泣いたりの感動は、同じ場面でも人によってわかれることがハッキリと出た映画でした。

@映画を観るには、
オリジナル・フォーマットで
 2003.1.25.-26

 わが国唯一の国立映画機関、東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵管理する映画を、全国の公共機関で公開する優秀映画観賞会。碧水ホールは初めて参加上映したのですが、4本セットのプログラムが20もあり、その中から思案の末選んだのは、仁侠映画が含まれているプログラムでした。プログラム選択理由10項目はHVS通信58号に掲載してありますので、そちらをご覧ください。
 しかし、久しぶりに映画で入ったなあ、といった感慨と同時に、きれいなフィルムで観てもらえてよかったなあとしみじみ思いました。今回の上映作品は全部シネマスコープ画面、カラー作品でしたが、たとえば『人生劇場 飛車角と吉良常』(1968年、内田吐夢監督)などは、大阪の新世界へ行けば、今でも3年に1回ぐらいは観るチャンスがあると思いますが、フィルムはたぶんボロンボロン。ところがフィルムセンターのフィルムは、さすがにフィルムそのものの痛みはないし、色もきれいだし、夜のシーンが 多い映画でしたが、見にくいということもありませんでした。16ミリに変換されたフィルムだったら、こうはいかなかったはず。35ミリ・フィルムで撮られた映画は35ミリで(古典映画で16ミリ版や8ミリ版しか残っていない場合は別として)、16ミリで撮られた映画は16ミリで、8ミリで撮られた映画は8ミリで、ビデオで撮られた映画はビデオでと、映画はやはりオリジナルのフォーマットで観るに限ると思いました。

@ライブ・レコーディングの試み
 2003.2.8

 高村明代ヴィオラ・コンサートをライブ録音しました。クラシックのコンサートをきちんと録音するのはたいへん難しい作業です。クラシックはたいていは生演奏なので、マイクを使うことはありませんが、この日は、録音のためのマイクをセットしました。また、録音技師を特別に手配しました。引き受けてくれたのは、三重県在住のギタリスト、ノダ・ゴロー氏。彼とは、フィンランド日本芸術交流コンサートに観客として観に来てくれていたのがご縁でした。普段は年間100本近くのライブをこなすギタリストなのですが、録音技術も持ち、生音の録音に対する理解がある人だったので、頼むことになりました。結果、たいへん緊張感のあるスリリングな演奏がダイレクトに記録されました。録音するという前提が、演奏者にいい意味でのプレッシャーを与えることもあるのかもしれません。

@碧水ホール・オリジナルTシャツを作成
 甲賀郡、蒲生郡、八日市エリアに新聞折込みされる「こがも通信」というフリーペーパーがあり、同紙の100号記念紙に読者プレゼントを提供して欲しいとの依頼を編集部からいただきました。そこで考えたのがTシャツ。デザインはガムランでした。今後、オリジナル・グッズとして販売していくかどうかは、まだ具体的には検討していませんが、突然新作を発表するかもしれませんので、その節はご購入よろしくお願いします。

@アンコールはなかったけれど、
ステージを取り囲む聴衆
奥田一夫コントラバスコンサート
2003.3.21

 碧水ホールへは1992年、1995年に続いて3回目の登場となる奥田一夫さんは、今や世界的なコントラバス奏者です。この日に演奏された曲目の多くは、今年アメリカで開催さるコントラバスの世界大会で演奏するために練り上げられたプログラムで、一足先に碧水ホールで披露してもらおうという趣向でした。奥田さんは、コントラバスの可能性を拡大する試みと同時に、あまり知られる機会のない埋もれた楽曲のリスペクトも果敢に取り組んでおられます。今回は、アンプ(音を大きくする装置)を使うという、クラシックの演奏会では異例の曲もありましたし、どれも聞いたこともない曲目でした。だからこそ、初めて音楽を生で聴く人からクラシック・マニアまで、同じスタートラインに立って音楽に出会うことができるとも言えるのではないでしょうか。
 終演を迎え、きょうはアンコールを用意していないと言った奥田さんでしたが、興味のある人は集まって来てって感じで、たちまち聴衆は奥田さんとコントラバスを取り囲み、実演付きの質疑応答コーナーが即興で出来上がりました。最後までどんな展開になるかわからない公演でした。
(構成/上村秀裕・碧水ホール学芸員)



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