H.V.S通信 vol.75
2005年(平成17年)4月
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![]() HVS通信 vol.75 2005年(平成17年)4月 こんなお年頃(minami)...1 この頃の『小さなコンサート』(michio)...1 十大ニュース...2,3 ●参加者募集中...3 ベトナム・ホイアン(上原秀格)....4 編集・発行 碧水ホールボランティアスタッフ 滋賀県甲賀市水口町水口5671 郵便番号 528-0005 電話 0748-63-2006 ファックス 0748-63-0752 e-mail michio@jungle.or.jp ホームページ http://www.jungle.or.jp/hvs/ 碧水ホールの公式ホームページ http://www.city.koka.siga.jp/hekisuihall/ アメリカの現代音楽の作曲家 ビンセント・マックダモット氏来日 「碧の森〜もうひとつのガムラン」 平成17年6月5日(日)15:00開演 マックダモットさんはアメリカの現代音楽作曲家。4月に来日、今回のコンサートにはマルガサリとの共同作業による新作、初演が含まれています。 協力/会場:碧水ホール 主催/演奏:マルガサリ 第12期HVS募集! 申し込み受付期間 4.6水-4.23土 説明会 4.28木 19:30-21:30 碧水ホールボランティアスタッフ(HVS)制度は、当ホール自主企画事業を通して、舞台裏からもホールや企画を楽しみ、文化芸術への理解を深めていただくために1994年(平成6年)にスタートしました。 |
こんなお年頃。 今、一番流行っているものは何でしょう? お笑い?韓国ドラマ?それともタネが絶対分からないマジック?いえいえ、みんな違います。では何か?と言ってももうだいぶ前からどんどん増えていったものなんですけどね。正解はダイエットを含むいわゆる健康グッズです。もう○タカやス○薬局に行ったらあるわあるわ。ダイエット法、サプリメント、お茶の種類。びっくりしました。バナバ茶なんて何だ?変な名前。バナナ茶じゃないの?シルベスタ茶って何だ?ロッキーですか?犬のサプリメントもあるんだとか。まあ、小学生が肩こり用のネックレスをしてる時代ですから別に驚きません。それぐらいあるでしょう。あるんですかっ? かくゆう私も3年ぐらい前からそれ以前は全く無かった腰痛を抱え、いろんな整体に行ったりしています。そのいろんな整体に行く度に言われることは、「まあ、これはコリ過ぎですね。」初めは「え、そうなんですか?」と言いながらも「またまたあ、この商売上手!通わせようとか思っちゃって。」なんて思っていたのが、どうやら自覚症状も出てきて「これは全て本当かも。」と認めざるを得なくなりました。気が付けば「いい整体知ってるよ。」とか「これ試してみな。」とかいろいろ教えてもらってなかなか人に言われたことには腰の重い私がそれをすぐ律儀に実践してる年頃になってしまいました。 こないだ、友達連中とランチをしてた時のこと、そのランチの間中ずっと「〜さんが○○の手術を受けはってんて。」とか「うそ〜。それでそれで?その手術て大変なん?」とかいう話をしてました。とうていランチに似合う会話ではありませんわな〜。これじゃあ、周りかまわずの噂好きのおばちゃんみたい。ふ〜危ない危ない。 ♪葡萄酒が体に良いぞと、と歌にあるように今日もわたしは酒屋をのぞくのだ。ただし歌とちがってやっぱりわたしは長生きがしたい。ランチの時にはもう手術の話はイヤダ。 (hvs/minami) |
サザナミ記念アンサンブル この頃の 『小さなコンサート』 サザナミ記念アンサンブルの練習の合間を縫って開かれる20分間程の演奏会です。短いけれど本格的。フレンドリー、アットホーム。 入場料¥500(当日券のみ) ●小さなコンサート29 2005年4月21日木曜日午後7時 オペラ名アリア集その2 「運命の力」より 神よ平和を与えたまえ(ヴェルディ) 「メフィストフィレ」より 暗い海の底に(ボィート)他 ソプラノ 大北美樹 ピアノ 吉田 泉 ●....30 5月26日木曜日午後7時 フルート名曲の夕べ ヘンデルのソナタ他 フルート 網谷裕美子 ピアノ 蓮尾栄美子 ●....31 6月23日木曜日午後7時 ヴァイオリンとチェンバロのソナタ 第3番ホ長調(バッハ)他 ヴァイオリン 鈴木博詞 ピアノ 林 聖子 この『サザナミ小さなコンサート』は2000年10月に始まりました。 当時の趣旨は以下のようなものでした。ここ数回はこれまでと違う展開になっています。 ●2000年11月・第1回のプログラムから 毎月の練習日の最後の日に、指導をしているヴァイオリニスト鈴木さん、河本さんを中心に、たった20分間の小さなコンサートを開くことになりました。 サザナミ記念アンサンブル・ヴァイオリン教室の練習の合間を利用しての短い時間、小さいけれど本格的で、気楽で、アットホームなコンサートになるでしょう。 せっかく来てくださるのだから先生の演奏が聴きたい・・・勉強のため出来るだけ多くの機会、場所に演奏したいという、生徒、講師の思いが一致して実現したものです。 ヴァイオリン教室のメンバーも聴衆です。演奏しませんのでご安心ください。 短い時間ですので、間違えないように、余裕をもっておいでください。ヴァイオリン教室も開かれていますので見学などもOK. 地域の演奏家との共演も可能ですので、ご希望の方はご連絡ください。 |
第7期 色々だけれど 碧水ホール・ロビー 音楽を大切に思う気持ちに違いはない ライブハウス化計画 そういう気持ちを 参加企画募集! 碧水ホールは応援します 応募期間 2005.4/6水-4/23土 |
![]() (2004年7月24日〜25日、7月28日〜8月1日) http://www.city.koka.shiga.jp/ hekisuihall/event04/nomura04/ nomu04.htm 音楽家の野村誠さんのコンサートに、ワークショップ参加者との共同作業による新曲を1ついれる企画です。コンサートまでに行われた曲作りワークショップは、前日リハーサルを含めて7日間。3歳から50歳代まで、さまざまな年齢層の参加から生まれた曲は「だいんだいん」と名づけられました。今年の8月も第三弾が計画されています。コンサートを観る楽しみと作る楽しみ、どちらもOKの催しです。 ワークショップの経過は野村さんの日記としてインターネットでもご覧いただけます。 http://www.jungle.or.jp/sazanami/ gamelan/siryou/nomu04/nomu04pr.htm#3 2. 桃太郎が死んだ!? (9月11日) http://www.city.koka.shiga.jp/hekisuihall/ event04/momo04/momo04.htm 2001年から継続中のガムランによる「桃太郎」上演シリーズ。毎年1場ずつ作るという5カ年計画で、2004年度は第4場が初演されました。ちなみに、2001年は第1場「桃太郎が誕生するまで」、2002年第2場「桃太郎が鬼退治を決意するまで」、2003年第3場「桃太郎と3匹が鬼が島に辿り着くまで」で、第4場が「鬼が島での戦い」。 第4場で、波乱がありました。猿、犬、キジもろとも、桃太郎が死んでしまったのです。戦いの相手であった鬼も倒れました。最終となる第5場を残しての桃太郎の死。なぜ、このような波乱のシナリオが用意されたのか。今年の9月、碧水ホールでその謎が明らかになる?
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![]() だったのに・・・ ガムランによる桃太郎第4場の上演日、ロビーではインドネシアの食品であるテンペの出店がありました。納豆のせんべい(でも納豆くさくない)とでも言うか、なんとも例えようのない味なのですが、これが大人気。ロビーは一挙にインドネシア・ムードとなりました。 公演終了からしばらくして、町内のスーパー食品売り場にテンペが置いてあるではありませんか。なんでも、美容と健康食品として注目されはじめているようです。ロビーではニンニクを利かせて揚げてせんべいみたいにして食べていましたが、いろいろな調理が楽しめるとのこと。 ということで、ロビーで思わぬものがブレイクしてしまいました。 4. ロビーライブ、合併直後に アンデス音楽、写真展併設に輸入盤CD出店 (10月2日) http://www.city.koka.shiga.jp/hekisuihall/ event04/llive04/annai.htm 2004年10月1日の5町合併による甲賀市誕生の翌日、碧水ホールのロビーでは、アンデス音楽が響いていました。 出演はアンデス音楽の第一人者木下尊惇さんを中心とした4人組のユニット。企画したのは、アンデス音楽のCDなどを専門に取り扱っているオンラインショップ「ディスコアンディーノ」の西田さん。ご町内でこういうビジネスをやっておられるということに、まずビックリなんですが、ライブ当日は、他ではなかなか手に入らないと思しき輸入盤がロビーにずらりと並んでムードを盛り上げました。さらに盛り上げたのは、併設された写真家、平山和充さんの作品の数々。平山和充さんは、1996年、あのペルー日本大使公邸人質事件の「突入」の瞬間を撮られた方です。 |
5. ロビーライブ、 初の学生企画とシリーズ企画 (12月4日) (9月18日、10月16日、11月23日、12月12日) http://www.city.koka.shiga.jp/hekisuihall/ event04/llive04/annai.htm 今年度のロビーライブハウス化計画は、初めてのことがいくつかありました。学生が企画書を出してきたのは初めてで、「pianoとcelloによる坂本龍一の音楽」という、坂本龍一をリスペクトするライブを企画したのが、チェロの田中賢治さんとピアノの高橋隼人さん。ボーカルでゲスト出演した鈴木淳子さんも現役の大学生でした。人様から初めてチケット代を払っていただくということで、気合がはいっていましたが、適度にクールだったのが成功の秘密か。今後も学生の参加をお待ちしています。 また、ロビーライブの募集要項を読んでいただくと、一企画一公演ではなく、シリーズのように何日も行うことも可能になっています。 第6期目にして、初めてシリーズ企画が登場しました。企画したのは浅木美穂さん。「音楽を楽しもう」と名づけられたシリーズは9月から12月まで、毎月1回テーマを決めて演奏されました。シリーズものは、場合によっては続けるうちにパワーダウンしてしまうものですが、今回は回を重ねるごとに観客も増えていきました。 6. 日本未公開映画の翻訳ナレーション作成 (8月29日上映) http://www.city.koka.shiga.jp/hekisuihall/ event04/wiseman04/wiseman04.htm フレデリック・ワイズマン映画祭2004(4日間開催)で上映した1本、ドキュメンタリー映画の『ミサイル』はアメリカの映画で英語ですが、日本未公開作で字幕がありません。そこで、当館ボランティアスタッフ、呼びかけによる一般参加の方々とチームを組み、日本語への翻訳を行い、その日本語を録音、編集しました。録音した音声は、映画の上映に合わせて発信し、観客の皆様にはイヤホンで受信していただくという方法です。一般的な方法ではありませんが、字幕を追いかける必要がないので、映像全体を観る時間が増えますし、日本語の音声を聴きながらも、時には「この人、どんな声をしているんだろう」と確かめることもできます。 |
7. 企画上映から映画祭へ http://www.city.koka.shiga.jp/hekisuihall/ event04/cinep/cinep.htm フレデリック・ワイズマン映画祭2004をもって、碧水ホール企画上映名義での上映会は一旦終わりにしました。この14年間で32企画、378本の映画を上映しました。今後は、市民が参画する映画祭へと発展させるべく、「甲賀シネマパーティー」という実行委員会が結成されました。新市甲賀市誕生を契機とした、新たな展開であり、チャレンジです。 甲賀シネマパーティーは、映画祭開催と連動して、地元ロケも応援していきたいと考えています。甲賀市民だけでなく、滋賀県内各地から県民が集まっており、現在メンバーは37名。メンバーは随時募集しています。
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8. エキストラ募集に協力 http://www.jungle.or.jp/hvs/ wadai/hibi04/extra.htm 甲賀市信楽を舞台にした映画「火火」は、撮影も、信楽を中心に、水口、湖南市(旧甲西町)、大津市などで行われました。碧水ホールは撮影スタッフの要請をうけて、地元のエキストラ希望者の受付窓口、エキストラの説明会兼オーディションなどの会場提供などで協力させていただきました。 当館が窓口となった1ヶ月間で、約200名ものエキストラ希望者が集まりました。本格的な劇映画が地元で行われるのは久しぶりのことですが、信楽では「しがらきから吹いてくる風」や「まひるのほし」などの評価の高いドキュメンタリー映画があり、水口では大映映画全盛期に、あの市川雷蔵主演のドル箱シリーズ「忍びの者」第2作目のロケも行われています。 他にも、ほんの数シーンだけの撮影を含めるとまだまだ出てくるでしょうし、そもそも滋賀県は京都撮影所から近いので、便利なロケ地だったのです。信楽では「火火」に続いて「kamataki」が、近江八幡とその周辺では中国映画の「呉清源」の撮影が行われました。 奇しくも「火火」と同じ公開日だった井筒監督の評判作「パッチギ!」にも滋賀ロケがあります。 9. 久しぶりにインド音楽 (2004年10月23日) http://www.city.koka.shiga.jp/hekisuihall/ event04/indo04/indo04.htm シタールの巨匠、モニラル・ナグの来日公演2004は、関西では碧水ホールが唯一となりました。 巨匠の来日はこれで5度目とあって、日本の食事は問題なく、本番の日は、パフェを2つも平らげられたそうです。そうとうパフェがおいしかったのか、ものすごい演奏で、最中に何度も拍手がおこりました。碧水ホールはインド音楽をこれまでにも何度が取り上げており、200人は必ず入っていたんですが、今回は、すごい演奏だったのに100人を切ったのが残念ではありました。 |
10. 現代音楽って何? (2005年3月26日) http://www.city.koka.shiga.jp/hekisuihall/ event04/leccon04/leccon04.htm 現代絵画、現代建築、現代音楽と、現代と名の付くものは、それがいったいどんなものなのかと説明することが困難。 「レクチャーコンサート 現代音楽の基礎知識」は、現代音楽の歴史、構造、楽曲の特徴などの解説を交え、その困難さに挑んだコンサートでした。パンフレットも配布されましたが、これは解説の清水慶彦氏のテキストによる、現代音楽入門書として最適です。在庫がまだありますので、必要な方はご連絡ください。 HVSのホームページにgoogleのサイト内検索サービスを付けました。「現代音楽」をキーワードに検索すると、82件のヒット。碧水ホールではわりあい沢山「現代音楽」を話題にしてます。 碧水ホールのガムランチーム、ティルトクンチョノが2005年3月6日に開いた第2回定期演奏会や、その1年前の「はじめてのコンサート」でも、果敢に現代曲が採りあげられています。『桃太郎』も『音楽ノ未来・野村誠の世界』も現代音楽。映画やテレビドラマの音楽でも、それ風は多いかも。
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ベトナム ホイアン ホイアンはベトナム中部に位置し、朱印船貿易時代、海のシルクロードの基点として栄え、当時千人もの日本人が住んでいたという日本ゆかりの地だ。今では当時の名残を残したその日本的な町並みが世界遺産に登録され、旅行者が多数立ち寄る観光地になっている。 朝、ホテルのレストランで朝食を取っていると、初老のウェイターが話し掛けてきた。彼は日本語が達者で、もっと日本語が勉強したいから私と話しませんかと言ってきた。 「フォッグ」と名乗るそのウェイターはテーブルに置かれた皿を指差し「コレハ ニホンゴデ ナント イイマスカ?」と聞いた。「さ・ら」と僕が丁寧に答えると嬉しそうにメモ取りながら「サ・ラ」と繰り返した。取り立てて急ぐ用もなかったのでしばらく彼と話すことにした。ふと彼の二の腕を見ると、“1990”と刺青がしてある。 「これはなんですか?」と僕が聞くと、彼は神妙な面持ちで答えた。1990年、フォッグさんはベトナム難民として長崎まで船で渡り、しばらく日本で一人暮らししていたらしい。 日本での生活は決して楽しいものではなかったという。学校にも行けない、仕事も出来ない。一人アパートの部屋に篭り日本語の勉強をしていたそうだ。 「マタ、オハナシシマショウ」と言ってフォッグさんは席を立った。 僕は日本から“US NAVY”とロゴの入ったTシャツを持ってきていたが、過去のベトナム戦争を想起させるようで、ベトナムに来てからはこのTシャツだけバッグの奥にしまっておいた。しかし街にはアメリカ人の観光客があふれ、戦争の傷跡を残した観光スポットでピースしながら記念撮影するこの御時世、少し気にしすぎかと思い、初めてそのTシャツに腕を通して夕食に出掛けた。今日はホイアンの祭りの日だ。街は人ごみでごった返していたが、軒先に |
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並んだ提灯だけが足元を照らし、どこか幻想的な雰囲気に包まれていた。 ホテルに戻りフロントに預けた鍵を取りに行った時のことだった。部屋番号を告げ、20代前半と思われるフロントの青年から鍵を受け取ろうとしたとき、彼の表情が一瞬にして曇った。そして僕をじっとにらみ、こう言った。 「US NAVY・・・ニホンゴデ ナント ヨミマスカ?」 彼の問い詰めるような口調に血の気が引いた。戸惑いを隠せず、「アメリカ海軍かな?ま、問題ないよね」と苦笑いで軽く済まそうとしたが、彼は表情を変えようとしない。顔が硬直してそれ以上言葉が出てこなかった。「Sorry」と小さく頭を下げて立ち去った。ベトナム戦争の記憶はこんな若い青年の心に引き継がれ、脈々と生き続けている。戦争博物館で見た写真の数々より、彼の蔑むような視線の方がよっぽど生々しく心に重くのしかかった。 気分が沈んで眠れそうにないので、朝食を取ったレストランへ向かうことにした。 中を除くともう閉店のようで客は一人も居らず、小さな灯りのついた炊事場でフォッグさんが一人残って後かたづけをしていた。フォッグ |
さんはまだ独身のようで、ここで働いて一年が経つという。職場に気の合う友人も居らず、孤独な日々を過ごしているそうだ。 「ワタシハ トテモ サミシイ」 彼は「サミシイ」という言葉を何度も繰り返した。 そして紙を取り出しメールアドレスを書いて僕に渡した。 「ニホンニ カエッタラ、メールクダサイ。アナタガ メールクレタラ、ワタシハ シアワセデス」と言って静かに微笑んだ。 客もいない薄暗いレストランでこんな話を聞いていると、なぜか自分も孤独な世界に引きずり込まれそうで、だんだん居たたまれなくなってきた。この場から早く立ち去りたいと思った。 初めてベトナムに降り立ったその日は雨で、タクシーの窓から見えるすげ笠かぶった女性や雨に濡れた並木道を眺めていると、なんて陰鬱な国なのだろうと思ったものだが、それはあながち間違っていなかったように思う。 (上原秀格/HVS・写真も) |
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