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H.V.S通信 vol.51 2002年(平成14年)4月



vol.51-41
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泣かせろハイロウズ!
 
 

 ハイロウズのライブに行ってきました。(中略) 入場は開演10分前。すでにファンクラブの人を 中心に「GO!ハイロウズ、GO!」のかけ声が あちこちから聞こえ、一見さんを煽ってました。 客層は若造も多いが、けっこう私以上の方々もおられる。 やっぱり、というべきか、そういう人って一人で来てる。 つきあう人がいないのか、ひとりで聞きたいのか・・・ 通路には柵がもうけられ、突入を防ぐべく係員が立ってます。 ダイブはひとり試みようとしたやつがいたが、すぐに引きずり おろされていました。ホールならしょうがないか。
 最新作「HOTEL TIKI-POKO」の1曲目『21世紀音頭』 からスタート。すでに観客は大騒ぎ。 2曲目ではやくも名曲『14才』をかまし、すでに涙。 前半は主に最新作から。後半は立て続けの傑作集。 後半の畳み込みはまさに圧巻。ほとんどMCなし。休みなし。 全曲いわゆる「タテノリ系(なつかしいな、この言い方)」で ここんところのアルバムで目立っているミディアム〜 スローなナンバーは全くなし。ぶっ飛ばしまくり。サウンド面ではやはりドラムとベースが圧倒的に素晴らしい。 とっても音も大きく、はっきり聞き取れる。 リズムがはっきりしているバンドってすごく気持ちいい。 ハイロウズはやはり最高のロックバンドだ! 一方マーシーの弾くギターは、非常に丁寧、という印象でした。「間」を非常に大切にしたリズムを刻んでいたのです。 現在リズムギターを聴かせる、という技術は 余り使う人がいませんが、50年代〜60年代の ロックンロールが好きな彼はやはりリズムギター好き なんやなぁと思いました。

 さてこのライブ、「大爆発」とは行きませんでした。 私は4年ほど前に彼らを見たのですが、 ロックの爆発力だけで勝負した以前の ライブとは明らかにちがっていました。 さきほど「タテノリ系」と書きましたが、純粋な意味での オールド・ロックンロール・パターンの曲は 『相談天国』や『ミサイルマン』など4曲だけで、 あとの曲は少しセンチメンタルなメロディーを激しいリズム に乗せる、というブルーハーツ的な曲でした。 特に『青春』から『ハスキー』へとつないだ中盤は 「切ない瞬間(多分それが世間では青春と呼ばれる)」 を切り取ったようなメロディーが連発し、 体はノリノリだが、なぜか涙が出てしまうという状態を 作り出していました。よって涙2回目。
 一緒に行った若い人は「なんか、年取りましたねぇ」と 言っていたし、確かに「もっとジャンプしてバカに なりたかった」と思う人も多いだろうなと思います。
  前見たライブは間違いなく、そのような 要求を満たすようなライブでした。 そう考えるとこの変化はかなり大きい。 私自身はめちゃめちゃに感激したライブでしたが、 たしかにブルーハーツならともかく、 なぜハイロウズのレパートリーにあまり多いとは言えない 切ないメロディーの曲をあそこまで全開したのか、という 大きなナゾは残ります。 爆発力の権化のような『スーパーソニックジェットボーイ』 や『罪と罰』などの定番曲を全くやらなかったのはなぜか?ま、一言で言えば「そうしたかった」としか言いようがない のでしょう。本人達もそうとしか言わないだろうし。 でも、なんとなくなんですが、今ハイロウズは 「単純なメロディーの中に、いかに多くの要素を ぶち込むか」という超難題に取り組んでいるように見えました。

 以前マーシーはアルバム「バームクーヘン」のインタビューで 「これは死の匂いがする。死が身近に感じられるから あらゆる感情がアルバムに記録されるんだ」と答えてましたが、 今やアルバム単位ではなく、1曲単位でその感情を 伝えられるようになろうとしているのではないか? 少なくともそういう気分になってはいそうです。しかしハイロウズはドラマチックで複雑なメロディーを 作る人たちではありません。 むしろ一つの要素を超人的な爆発力でぶちかます バンドだったはず。
 さらに言うなら、このライブではスローな曲は 1曲もやりませんでした。 様々な要素のうち中心を占める「切なさ」や「虚しさ」を伝える のに彼らはスローなメロディを使わない方法を選んだのです。 あくまでそれをロックとしてならすことを選びました。 これはかなり無謀なことです。
 「寂しさ」を「さびしい」という 言葉を使わず、なおかつさびしそうなメロディーを 使わずに表そうとしているのです。 もちろん寂しさ以外の「喜び」「希望」なども一緒に ぶち込んで3分の曲を作ろうとしているのです。 過激といえばあまりに過激な曲作りです。しかし確かに『14才』はこれをクリアした名曲でした。
  同じようにクリアした『千年メダル』や『青春』を ライブの核として演奏したところを見ると ハイロウズはさらに「希望」「疲れ」「切なさ」「愛情」 「虚しさ」「怒り」などを短い時間で、シンプルなメロディーで、 すべて詰め込もうとする曲をやろうとしている、 少なくともそのような気分になっているのでは ないかと思いました。次のアルバムは全曲ロックンロールで、 なおかつ切なさ、哀しみ、喜びなどがバンバンに 詰まったものになるのではないかと予想しています。 それができたら、これは大変なことです。 それを大傑作といわずして何という?そしてそれはかなり「死」の匂いが漂うはず。 「死」でなくても「老」は着実に近付いているし。 もうヒロトくんもマーシーも40が目前、キーボードの 白井さんなんてすでに51才なのです。 たしかにまとわりつく『若さ』を蹴飛ばし、なおかつ 年老いていることを後悔しないという気分をぶちまける ようなライブでした。 そのような生き方は前人未踏。 「枯れ」も「落ち着き」も否定し、 かといって「いきがり」や「直情」にも執着せず、 若くもなく老いさらばえるのでもない生き方を していく覚悟のようなものが感じられました。
 もちろん理想はこのような曲を 初期のような破壊的な爆発力で伝えることだと 思います。 その点では、たしかにまだ完成途上という感じの ライブでした。 たぶん私には満足でしたが、若造は暴れたらんかったろうし。 しかしもうアルバムを15枚以上出している彼らが いまだに「完成途上」というのもすごいことです。 若造を狂気乱舞させ、なおかつ私のような上の 世代にもしっかりと伝わるライブができるようになります。
  ならばその瞬間までつきあうぜハイロウズ! 泣かせろハイロウズ!踊らせろハイロウズ!
(井上陽平・HVS)

泣かせろハイロウズ!
(井上陽平・HVS)






様々な要素のうち
中心を占める
「切なさ」や
「虚しさ」を
伝える のに
彼らは
スローな
メロディを
使わない方法を
選んだのです。
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