![]() HVS通信 vol.62 2003年(平成15年)8月 |
紙上インタビュー野村誠さん(中村道男)...1 ●Do the FES!!!!(タケワカトモミ).....2 ●バイクの話(木田真也)....2 夏の音展2003(かずろう)...2 アートオブスターウォーズ展(李絵(りえ))....3 「アレクセイと泉」上映会をします。(増井)....3 HVS活動リポート(野崎あき男)....4 奄美島唄ライブ(上村秀裕)....4 |
夏だ! ロックだ!! 野外フェスだ!!! 2000年、フジロック(@新潟苗場スキー場)に参戦して以来、あたしはすっ かり野外フェスの虜である。 フジロックで体感したあのピースフルな三日間がいまだに忘れられず、いつの間 にかあたしの中では夏=野外ロックフェスという図式までできあがってしまった 。 フェス前日から(もっとずっと前から?)すでにフェスは始まっていて、それぞ れのステージのタイムテーブルを見比べて、見たいアーティストの時間帯がかぶっ ていたりするともう大変。 あっちも見たいけど、こっちも見たい。 あのステージからあっちのステージまでは歩いて20分もかかるから、とりあえ ずこっちを2.3曲聞いてダッシュで向こうのステージに向かおうか。 いや、それじゃ中途半端になってしまう。 でも、どっちかなんて選べないよ~。 あ~~~どうしたらいいんだぁ~?! と、当日まで地獄のような嬉しい悲鳴が続く。 そしてフェス当日の朝。 日焼け止めをたっぷり塗って、帽子かぶって、首にタオルを巻いて、すでに戦闘 態勢である。 (戦闘と言ってもそれは楽しむぞ!!という意気込みとしての戦闘態勢であり、 気分は完全に浮かれているバカである。) 朝から晩まで大好きな音楽に囲まれていられることの幸せ。 それがあたしだけではなく他に参戦(参加ではなくあえて同志としての敬意を払 い参戦)する何万人という人たちもきっと同じことを思っているんだろうなぁと 考えるだけで、もう、そこがどれだけピースフルな空間であるかということを思い知 らされる。 フジロックに関して言えば新潟県の苗場スキー場という、どう考えても交通の便 が悪いところに大好きな音楽を、そしてフェスを求めて何万人もの人がわくわくし ながら大移動してるのかと思うと、あたしたちはなんて平和なんだろうって思う。 良い意味でみんなバカだな~って嬉しくなる。 疲れたら木陰でのんびり空を見たり、川に足を浸してぼんやりしたり。 当たり前のことだけど、フェスの間はまるでそれがとても贅沢なことのように感じ るから不思議。 たぶんフェスというものがあたしたちを日常と切り離し、異空間とも言える時間 を作り出しているのだろう。 2001年はサマーソニック(@大阪)参戦。 ビルの間に会場があるためフジロックほどの開放感はないけれど、都心から近く 、日帰り可能なお手軽フェス体験。 だけどみんなが音楽が大好きなんだ~~という気持ちはフジロックと同じように 感じられた。 2002年はフェスバブルとも言われ、何万人もの観客を動員できる野外である にもかかわらずチケットが完売する事態も発生。 その完売したロックインジャパン(@茨城ひたちなか)に参戦。 邦楽のアーティストばかりが集結するフェスでこれだけの人が |
こんなにも期待し てるんだって思うとやっぱり日本の音楽シーンも捨てたもんじゃないなと思う。 それとこんなことでもなければ生でライブなんて一生見なかっただろう大物アーテ ィストとか、自分の興味のあるもの以外の音楽にも触れられることにフェスの醍 醐味を感じた。 そして2003年、今年は再びサマーソニック(@大阪)とRUSHBALL( @神戸)に参戦予定。 それもかなり迷った末の決断である。 行けるものなら全部のフェスに参戦したいけど、それは金銭的にも体力的にも限 界がある。 だから毎年それぞれのフェスのラインナップとにらめっこして苦渋の選択をする のだ。 その苦渋の選択に勝ち残ったフェスだからこそ、期待は大きい。 そして心の底から楽しみたいと願う。 とにかく!! 夏だ! ロックだ!! 野外フェス最高!!! そしてフェスが終了した数日後、必ずこう言うだろう。 「来年はどのフェス行く?」 みんなフェスしようぜ!! PEACE!! (text by タケワカトモミ・HVS) ![]() バイクの話 僕はバイクが好きである。オフロードバイクを持っている。山とか川とか走れるタイプのバイクである。丈夫なのでこけてもなかなか壊れないのがとてもいい。少々壊れても走れればOKというアバウトさもいい。 バイクは、基本的に一人乗りのために設計されているとても贅沢な乗り物だ。その点においては、自転車も同様にすこぶる贅沢な乗り物である。また、他の乗り物と違って運転者の身体がむき出しになっているため、こけたらそれなりに痛い。多少の保護具は装備していても、無防備であることにはかわりがない。危険も痛みも自身の身体をもってして、一人で引き受ける覚悟を運転者に要求するところがとてもいさぎよい。 昔、友人にバイクを貸した。路面が濡れてるし夜だから暗いし気をつけて、と僕は忠告した。案の定、しばらくして友人はコーナーでこけたのか傷だらけのバイクとともに帰ってきた。その友人の顔には、明らかに僕に対する申し訳なさ以外の表情を含んでいた。 当時はわからなかったが、今の僕はそれが、友人から |
借りた自動車をこすってしまった人間のそれと本質的に違うことを理解できる。僕が怒りの矛先を向ける前に、彼はすでに傷ついた自分の身体で十分理解していたのだ。自分にバイクに乗る覚悟が欠如していたのが明白だということを、いやなぐらい思い知らされて打ちひしがれていたのだ。 しかし、「自らが傷つく覚悟」のようにバイクは濃厚な覚悟ばかりを要求してくるわけでもない。たとえば、天気だ。雨具を携帯しないバイク乗りは、オープンカーの屋根を家に置いて走りに繰り出したスポーツカー乗りと同じ境遇に四六時中さらされる。雨だけでなく、風、雪、寒さ、虫、視界の悪さなど走行中に母なる地球がもたらす試練には枚挙に暇がない。ところが実際にそういう状態に直面しても、バイクに乗っている人間からするとそんなこと気にしていられないのだ。こちらの目的は、その名のとおり目的地だ。このような場面に遭遇したライダーの思考回路はきわめて単純に、そして自然にひとつの解決策にたどりつく。それは「ふっきれること」である。頭のてっぺんからつま先まで水浸しだろうが、体中に虫の死骸がへばりついていようが、ヘルメットのシールドが曇って前が見えなくなろうが、そんなこと知ったこっちゃなくなるのだ。ブルーハーツのいう「どうにもならないことなんてどうにでもなっていいこと」である。不幸の真っ只中であっても、強い目的意識と 多少の意地からくるこの強引なプラス思考はとても気持ちがいい。このいい頃合の不幸さと、いい頃合の楽観主義の組み合わせは、日常生活の中ではなかなか味わえるものではない。 バイクの魅力は他にもたくさんあって、全部紹介していくとこの文章はなかなか終わりそうにないのだが、こうやって部分的に見てみるだけでも自分で短絡的に考えていたバイクの存在意義、すなわち「機械の力を借りて人間の能力の限界を拡げる」ということ以外の側面もあるみたいだ。なかなか面白い。 世の中にあるどんなものでも、それに触れることで人間を内部から変容させる要素を持っていると思う。だがそれに気付くことができるか、できないか、は別問題だ。たまたま僕に備わったアンテナは、バイクが放つ魅力をキャッチしやすい周波数にセットされていたのだろう。この文章を読んでいる人の多くは、きっとバイクに関わりのない生活を送っていると思う。これをきっかけに、この夏少しでも自分のアンテナをバイクチャンネルにあわせてみようかなと思う人が増えると、僕はちょっとうれしかったりする。 ( 木田真也 ・HVS) |