油日自治振興会

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油日区内の歴史と見どころ

油日神社(油日)

油日神社

油日岳(標高694m)を神体山とする油日神社は、『日本三代実録』に陽成天皇の元慶元年(877年)、従五位下の神階を授けられた古社で、「甲賀の総社」として祀られてきました。  毎年5月1日には油日神社の古式祭(油日祭り)、5年に1度行われる総勢200人余の行列で10km余を歩く頭殿行列「奴振り」が奉納されます。

甲賀歴史民俗資料館(油日)

油日神社

甲賀町には国指定有形文化財や資料は多く存在し、これらを保存・展示しています。館内には往昔に稲講会で使用された福太夫の面、ずずい子、古文書や生活用具、忍者の里らしい甲冑類など数多く並び、歴史愛好家でなくとも関心を引きます。

善応寺(油日)

善応寺

大化2年(646)聖徳太子による開基。本尊には十一面千手観音菩薩。比叡山延暦寺に属し、1350年余の法灯を守りつがれている。北朝観応時代(1350)足利尊氏の真弟直義に味方した甲賀武士団が集結挙兵したことは佐治文書に記されている。

神宮寺(油日)

神宮寺

油日神社の神宮寺を油日寺または金剛寺と称した。もと天台宗寺院であったが寛文年間(1661年~1673年)王誉により再興され、浄土宗に改宗した。

白鬚神社(油日)

白鬚神社

祭神 猿田彦命。 永正7年(1510年)再建の棟札が残る。

櫟野寺(櫟野)

櫟野寺

滋賀県甲賀市の櫟野寺は、日本最大の十一面観音坐像や薬師如来坐像、聖観音など多数が安置され平安仏の宝庫と言われています。随筆家・白洲正子が愛した「 かくれ里」としても知られています。

龍泉寺(上野)

龍泉寺

臨済宗永源寺派の寺院。天正年間(1573~)甲賀二十一家の一つである上野四郎景光が、四国阿波の国に渡り数年後帰る際、弘法大師の作といわれる十一面観世音菩薩像を受け、ここに安置したといわれている。

極楽寺(上野)

極楽寺

推古13年(605)聖徳太子の開基と伝えられている。本尊は、木造阿弥陀如来坐像(市指定文化財)平安後期の作と考えられている。

長福寺(田堵野)

長福寺

当寺は平安初期、大同元年(806年)開基されたと伝えられ、本尊は弥陀如来坐像が安置され、別棟には重要文化財の聖観音坐像が安置されている。

大日さん(田堵野の里山)

大日さん

田堵野で一番高い里山に大日如来の石塔が建てられています。大日さんは、宇宙と一体と考えられる汎神論的な密教の本尊として、その光明が遍く照らすところから遍照又は、大日と言われています。

大原城跡

大原城跡

甲賀武士の城跡。主郭と南側の副郭と二つの方形居館形式。周囲に築かれた分厚い土塁と堀は今も完存しており、特に東側の虎口付近は見応えがある。

龍福寺(滝)

龍福寺

甲賀武士の城跡。主郭と南側の副郭と二つの方形居館形式。周囲に築かれた分厚い土塁と堀は今も完存しており、特に東側の虎口付近は見応えがある。

滝川邸正門(滝)

滝川邸正門

天保14年(1843年)7代目の時滝川姓を賜り、嘉永3年(1850年)に当時の本家と付属建物は建替えられたが門、納屋、土蔵は建替以前のものです。門は馬に乗ったまま通れる高さです。邸内には、9代目当主の妻が輿入れ時に使用した駕籠(かご)が残されています。

藤岡邸・正門滝の町並み(滝)

藤岡邸

甲賀五十三家の一つ、滝氏(多喜氏)の本拠地であり、甲賀武士達が活躍した時代を偲ばせる家並みが残されています。

称名寺(滝)

称名寺

文明年間(1469〜86)に安土の浄厳院三世厳誉宗眞大和尚が弘願山称名寺の第一世となりました。(本尊阿弥陀如来立像、山越阿弥陀図、当麻里奈羅図は市指定文化財)

正覚寺(滝)

正覚寺

浄土真宗本願寺派のお寺です。青木山と号し、山門の石垣に特徴がある落ち着いた端正な構えを見せています。本尊は阿弥陀如来像です。およそ300年前の開基といわれています。

元龍寺(滝)

元龍寺

甲賀西国33ケ所の第8番札所。準四国88力所2番札所。弘安7年(1284)に移住した多喜家継の孫、来峰和尚が開山したと伝えられています。本尊は木造「十一面観世音菩薩」で秘仏です。

大福寺(毛枚)

大福寺

天正元年(1573)当地出身の武士、山岡景隆により開基。寛政6年本堂焼失、翌年(1795)現在地に再建されたと伝えられている。

庚申堂(毛枚)

庚申堂

天佐々木家代々の念じ仏、青面金剛尊像が祀られている。服部川の合戦で足利軍に奪われた青面金剛尊像を、僧兵望月某が奪い返し毛枚の里に持ち帰えり御堂を建立して祀られた。

殿山城跡(和田)

殿山城跡

平安時代に和田満政によって築かれたと云われる。寿永3年・元暦元年(1184年)伊勢平氏平田四郎が兵を挙げて近江国へ侵入、 近江源氏の佐々木秀義がこれを迎え撃つために列血野に陣を布き、 平田四郎は殿山に陣を布き油日川を挟んで合戦となった。

和田城砦群(和田)

和田城砦群

和田城砦群は、全長1kmほどの細長い谷筋の丘陵上に8箇所の城館跡と「公方屋敷」と呼ばれる平坦地の館跡が確認され、いずれもこの地を治めていた土豪の和田氏に関連した城館跡と考えられています.

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善福寺(和田)

善福寺

甲賀西国第6番札所。天正4年(1576年)に僧満誉が開基するもその後廃絶。安永元年(1772年)に僧信随が中興する。その後本堂と庫裏が焼失するも檀信徒より再建される。

公方屋敷跡(和田)

公方屋敷跡

この地形は六角氏の初期の居館であったとされる小脇館とよく似ており、中世における居館選地に共通性を見ることができる。 また、この屋敷跡の西側約300mに川を挟んで、公方屋敷支城と称される砦がある

光明寺観音堂(五反田)

光明寺観音堂

光明寺は浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来像です。境内の観音堂に安置されている十一面観音像は、秘仏としてまつられている。開扉は1年に一度、1月17日の午前11時ごろから1時間程度です。

神明神社(五反田)

神明神社

油日神社の境内外社で、大正のはじめに創建されました。

福明寺(高嶺)

福明寺

現在は高野山真言宗に属する。 本尊は薬師如来。脇仏に阿弥陀如来と、地蔵菩薩(県指定重要文化財)を安置する。

高嶺花街道(高嶺)

高嶺花街道

平成4年より「創意と工夫の郷づくり事業」の一環として区民が取り組んできた市民活動の一つで花街道です。沿道には五月頃に見頃を迎えるサツキやアジサイが程よく植えられ、また区内三ヶ所のふれあい花壇には四季折々の草花が道往く人々の心を和ませてくれます。

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