油日自治振興会

0748-70-3021(AM9:00〜PM5:00)

お問い合わせはこちらから

油日地域の歴史

始めに

「汽笛一声新橋を・・・」の鉄道唱歌で知られるように、我国最初の鉄道は明治5年(1872)に東京新橋と横浜間に開通しました。
 関西においては、京都・大津間の逢坂トンネルの工事に難渋した為、神戸⇄大阪間が明治7年に、大阪⇄京都間が明治10年に、京都⇄大津間が同13年(1880)に完成しました。
 当初の計画では、大津(浜大津)から長浜までは琵琶湖を船で運航する計画であったが、後に変更され、大津⇄米原間に鉄道を施設することとなりました。
 一方、名古屋から大津に至るルートは、旧東海道沿いの鈴鹿峠は難工事の為避け、旧中山道沿いの関ケ原(旧不破関)へ迂回することとなりました。

関西鉄道時代

 鈴鹿山脈の南端と布引山地の鞍部を越えるこのルートは、最短距離ではあった。難所の鈴鹿峠を避けたルートだったが、古来から大和街道の加太越えの難所として知られていた所でした。
 工事を開始した明治21年頃は、鉄棒・タガネ・カンテラ・サンダワラの俗に「四ッ道具」を用いた手掘工法であり、全長928mの堀削を両端と中央の三方面から最新の竪抗工法を採用して、2年がかりで行われました。又、亀山⇄柘植間は千分の25の上り勾配が連続し、その高低差を平均化するためと、柘植⇄加太間8.9kmの長距離のために、その中間点にある中在家信号所に列車行きちがいのためのスイッチバックを設けられました。
 こうして、明治23年(1885)12月25日、四日市⇄草津間79.1kmが開通しました。
 その時の草津線の駅は草津・石部・三雲・深川・柘植の五駅、ダイヤは1日8往復でした。客車は上等(白)、中等(青)、下等(赤)の三段階で、それぞれの車両には区切りのラインと色が塗られていました。
 運賃も柘植ー草津間が上等で69銭であり、米一升が13銭の時代としては大変高価であったといえます。
 明治37年(1904)3月、当時の大原、油日両村挙げての陳情、交渉の努力により、当時の金額で8,500余円を地元から提供して大原駅が誕生しました。

国鉄時代

 明治41年(1907)8月に大阪・奈良・名古屋を結ぶ関西本線が完成しました。民間資本による鉄道網の整備が全国的に進められ、当時我国は日露戦争後の国家による全国鉄道網の一元化、統合整備化が叫ばれ、この年の10月1日に全国の主要民間鉄道は鉄道省管轄の国有鉄道に統合されることとなりました。
 草津線も明治42年に国鉄に編入されました。

草津線の主要歴史

●大正7年(1918)
  大原駅を大原市場駅と改称する。
●昭和8年(1933)5月8日
  信楽線開通。
  信楽線は昭和18年10月1日より、戦争による資材、燃料不足の為廃止となり、同22年7月25日復活する迄木炭バスによる代行運転が行なわれていました。
●昭和24年(1949)
  日本国有鉄道と改称。
●昭和31年(1956)
  大原市場駅を甲賀駅と改称。
●昭和32年(1957)
  草津線にディゼルカー運転開始。
●昭和34年(1959)12月15日
  油日駅新設。

●昭和46年(1971)10月1日
  油日駅無人化となる。
●昭和47年(1972)9月
  「油日駅を守る会」が発足する。
  駅は甲賀町に委託となり、管理は「守る会」が担当するという 
  全国でも珍しい駅が誕生することとなった。
●昭和47年(1972)10月
  草津線より蒸気機関車(SL)が姿を消す。草津線は昔から皇族方の京都御所から伊勢神宮参拝のコースであり、又、関西線との接続の関係上機関車もC51・53・57・59更にはD51等殆どの機関車が走った。
  最盛期には鳥羽発の宇野行や姫路発の鳥羽行の長距離列車が草津線を駈け巡った。
●昭和55年(1980)3月3日
  草津線全線電化完了。
●昭和55年(1980)4月1日
  甲賀駅業務天鉄開発に委託。

1964年以降赤字を累積してきた国鉄の改革には抜本的な対策が必要であるとした第二次臨時行政調査会、国鉄再建管理委員会の提言に従って、昭和62年(1978)4月1日より公社形態の国鉄が民営・分割化され、旅客六社、貨物一社のJRが発足した。
 草津線もこの日からJR西日本に移管されることとなった

●昭和62年(1987)7月12日
  信楽線第三セクター「信楽高原鉄道株式会社」として営業開始。
●平成2年(1990)4月29日
  第一回滋賀県みどりコンクールに「油日駅を守る会」が知事賞を受賞。
●平成3年(1991)5月14日
  信楽高原鉄道事故発生、死者42名、重軽傷者614名。
  (同年5月15日より12月8日迄営業停止となる。)
●平成8年(1996)6月1日
  甲賀駅直営日直を廃止し、近畿交通事業に移管。

 

【参考資料】甲賀歴史散歩より抜粋(旧甲賀町教育委員会発行)

 

スマホ、タブレット対応です