この碧水ホールではわりと最初の頃にインド音楽をやらせていただいて以来、毎年いろんな形で関わるようになり、私にとって、水口というのは、特別な気持ちでいます。
それももともとのキッカケは変なキッカケで、中村さんですが、私は個人通信というのを出していまして、それはいろんなところへ行って誰と会ったとかいうことを延々と書き連ねた単なる私信なんですけど、それを中村さんにもお送りしていたんです。ところが中村さんは私のその個人通信を公民館で増刷して町民に配っているという、何てことをするんだ(笑)。通信というのは基本的に、顔を知っている人にしか送っていなくて、今、全国に500通くらい送っているんですが、中村さんはその全く個人的な私の手紙を町民に配っているという。またしばらくしたら、たしか11号くらいまでを、今は20号になっていますが、今度マックを入れたので、1冊にまとめ、本にするとか言い出して、ある時ど〜んとダンボールで送ってきまして、これ言ってもいいのかな、何か町の費用でやったみたいで(笑)、こんな個人の通信を本みたいにまとめて、しかも町民に配ると言ってるし、これは困ったなあと、そういう何となく個人的なつながりから、この水口町との因縁といいますか、ご縁ができ、これからも続いたらいいなあと思っています。
(この項に関する中村の説明を併記します。マックは個人所有のもので、当時から今のウインドウズが及ばない程きれいなフォントを印字することができました。原稿をフロッピーディスクで提供いただいたことに始まる思いつきです。マックのおかげでレイアウトは自動的にできあがってしまう。うしろに人名索引がついています。これが不思議な味をだしていてとてもおもしろい。印刷には公民館の印刷機を借りましたが、紙代は何人かの人が個人的に負担してくれました。
いずれも公民館の市民向けのサービスの範囲で実現したものです。ページ拾いはわたしの子供達が協力してくれました。多分私以外の誰かがこのことを思いついても公民館を利用して実現できた範囲のことです。同種の企画で、公民館嘱託の小林さん他のご努力による「貴生川町誌」拡大コピー版があります。これは1冊500円でみんなが費用を負担しました。)
さて実は私は、ひげをはやしていたんですよ、おとといまで。こう、あごひげがあって、鼻ひげがある。今日は小暮さんと申し合わせたように(笑)何かこういう格好でお坊さんみたいな感じなんですが、おととい床屋に行って坊主頭にしたんです。ついでにひげもおとしました。何でこんな風にしたのかといいますと、この24日に愛知県の芸術文化センターで催しものがありまして、お坊さんの声明(しょうみょう)を、ダンスやいろんな音楽と合せて、声明を声として使うというプロジェクトに参加することになっているんです。
もともと、本当は7人のお坊さんに出てもらうということで決まっていたんですが、曲の構成とか、構成した人にメモとかテープとかを送ってもらって、それをお坊さんに見せたら、どこで入ったらいいか全然わからんということになって、じゃあんたも入れ、入って出だしを合図してくれという話になって、それで俄か坊主になることになったというわけです。私自身は仏教の坊主でも何でもないので、余りにも恐れ多いのですが、しかたなく、とりあえず頭だけ丸めて、白の作務衣で舞台に立つということになったんです。
で、何でこんな話をしたかと言いますと、お坊さんとおつき合いのはじまったそもそもは、私はインドに留学していて、帰ってからこういうコンサートの企画や制作に関わりはじめたわけですが、その一番最初のキッカケは知恩院の三上人八百年大遠忌という大きな歴史的なイベントで、音楽法要を企画したのが、一番最初だったんですね。
私はインドに留学というのもおこがましい、単に住んでいただけでしたがインドの音楽を勉強しようということに一応して、3年ほど配偶者と一緒に住んでいたんですね。で、インドでずっと生活していると、とにかくヒマなもんですから、またちょうどその頃インドの大学では、学生運動がはげしくて、学生が一人射殺されたとか、そういうことがあって、授業がほとんどない感じで、今日授業があるというので行くと休講と書いてある。そういうことが1年ぐらい続くんですが、そうするとやることがないですから、だいたいゴロゴロと家にいて本を読んでいるか、音楽会に朝まで行くかそういう風な毎日だったんです。だから留学なんてとてもおこがましくて人に言えないんです。
で、まあその時に、最初は自分たちの持ってきていた日本の本を読んでいたんですが、だんだん読む本もなくなってきて、たまたまインド哲学を勉強している日本の人が同じ大学にいまして、その人の本を借りるしかなくなってきました。彼のところには仏教関係の本がいっぱいあって、ややこしい本なんですが、ともかく日本語の本というだけで幸せで、それをゴロゴロしながら毎日読んでいたんです。
まあ、そういうような経緯で、仏教に興味をもつようになりました。インドにいるということもあったんでしょうが、それまで考えてみたこともなかったんですが、仏教とはなかなかのものだと思いはじめて、そして帰ってきて、たまたま、知恩院のお坊さんと知り合いになりました。それで「インド西域音楽法要」というのをやろうと、ちょうど「シルクロード博」があった87年でした。
ところが知恩院の関係者がいると困るんですが、坊さんの世界って何というかかなりなま臭くてですね、私は法務部というところの、法務部長さんの紹介で音楽法要をやろうということになったんですが、ところが、別の部の人がおもしろく思っていないようで、総本山ですから、いろいろあるんですね。おもしろく思っていない人が多く、どうも嫉妬みたいに感じたんです。つまり、自分のところの窓口を通っていない、何で俺んとこにこないんだ、みたいな。これは変な世界だなと思いました。
インドで本を読んだ時には、仏教の教えとは要するに我欲を捨てること、諸悪の根源は欲にある、だから欲を滅したら、解脱をすることだと思ったのですが、その根本的な仏教の考え方からすると、嫉妬なんて最もいやしむべき感情なんですね。ところが、そういう大きい宗教団体にも 嫉妬がうずまいている。これはこの世界に入るとヤバイなあと、それで、その時は坊さんになることはしなかったのですが、まあ格好だけはそれ以来、髪の毛も短くして、坊さんへのあこがれがありました。そろそろ来年から坊さんの修行をして、3年くらいで住職資格を取ろうかとも考えているところです。
えー、それは別にしてですね、要するにお経や仏教には、インドに生活している時に非常に興味をもち、日本に帰ってきました。そして仏教の音楽や、声明に興味を持ちはじめました。
たとえばお寺へ行きますと木魚や鉦などが並んでいますが、お坊さん自身、どうもお経というと、お葬式とか法事とかと思い込んでしまっていて、それをパフォーマンスだとは見ていないものなんですね。
私は、インドから帰ってきて演奏活動をするようになって、改めて本堂の中を見てみると、楽器だらけなんですよね。パーカッションと、坊さんはボーカリストなんですから、ボーカリストとパーカッションが並んでいる。儀式の所作も入退場から全部様式化されている。衣裳、コスチュームもある。もう、パーフェクトな舞台芸術、舞台パフォーマンスっていう感じなんですね。それがおごそかな感じで執り行われている。そういう目でお寺の中を見ていくと、結構おもしろくて、これはまさにパフォーマンスなんだなあと気がついて、それから他にも視点を変えてみると、日本の我々の足元に結構おもしろいものがあるなあと思いました。
それで、お坊さんといろんな事をやってみようかなという事なんです。
今度の24日、愛知の芸文センターに出演するのもたまたま、七聲会という京都の浄土宗系の若い式衆という声明の専門家なんですが、式衆7人を集めてバンドを作ろうということになりまして、その初めてのプログラムがこれなんです。で、彼らはバンドなれしていませんので、当然、ギターがこう鳴ったらこう入るとか、全然わかんないものですから、そこで、七聲会じゃなくて愛知では八聲会になりまして、私も入るということになりました。ということで、頭がこういうことになっているという、長い前置きでありました。
それで、こういうレジメの順序はバラバラになりますが気にしないで下さい。
あの、次に、インドに行った時に私が何を考えたかということを少し話したいと思います。バナーラス・ヒンドゥー大学に在籍していたのですが、親しい友達にイタリア人がいました。比較宗教学をやっていた人で、彼も音楽を習っていて、よくパスタをもってきてくれたりしててありがたい人だったんですが、その人と話していて、すごいショックを受けたことがあるんです。
それは何かというと、その彼と、ヨーロッパ人である彼とですね、たとえばベートーヴェンが第九を書いた時はすでに耳が聞こえなかったことは僕もすでに知っているんですね。バッハがいつの時代の人か、モーツァルトがどうとかショパンがどうのとか、そういういわゆる西洋の古典音楽に関する知識は私にもある程度あって、彼とはヨーロッパ音楽という土俵の中では、仮に一時間ほど会話が続けられるとしますね。で、ヴィバルディがいいねとか、悪いねとか話をして、当然かのように、彼はバランス感覚のすぐれた人ですから、ところで君のところのクラシックはどうかと聞くわけです。そうするともう5分も話が続かない。つまり、能だとか三味線音楽、琴音楽、尺八があり、というのは後になって知ったことで、本当にお恥ずかしいことで、当時は全く無知に等しくて、それで会話がですね、5分対60分くらいの会話しか持続しない。こちらは何の知識もない訳です。
それで、こんどはイタリア人から、シントウイズムとかいわれて、シントウイズムって何かということすら説明できなかった。神道のことなんですが、英語でシントウイズムということすら、その時は知らなかった。シントウイズムって何だろうねと、家内と話をしていた。
それくらいバランスが悪い自分の頭の中に、生半可な、中途半端な知識がそれなりにあって、で、それで外国で生活してということがあって、言ってみれば国際交流というものをやっているかのような幻想をもっていたわけですね。ところが実はそれが全然そうじゃなかったということに気がついたのです。つまり会話が五分五分になってはじめて、その人と行ったり来たり、交流というのはおたがいに流れるということですから、土俵においても対等にそれぞれが土俵を設定して話ができるということで、はじめて交流ということが成り立つ訳ですけれど、ほとんど一方的でありまして、ベートーヴェンのことを話していても一方的なんですね。
話題として、ベートーヴェンの中味について議論するということはもちろん人間としての交流なんですが、でも、それと同じレベルで、たとえばレジメにも書きましたが、ビバルディと八橋検校という琴の作曲者が同時代人であったこと。これは後で知ったことですが、そういう人がいたり、モーツァルト、ベートーヴェン、19世紀中期からの人ですと箏の山田流の創始者の、山田検校と同じ時代の人ですし、そんな具合に、日本における同時代のミュージシャンやコンポーザー(作曲者)すら全然知らなかったわけです。
ですからたとえば彼、イタリア人ですけれど、ヴィバルディの話をした時に、実は俺んとこには日本には、たとえば八橋検校という人がいて、六段という名曲を書いた、なんていう話がさっぱりできないですね。ああ、そういえばヴィバルディの「忠実な羊飼い」なんていいよね、という話はできるのですが、自分の国についてこちらは何の知識もない。頭の中のバランスの悪い。何というのかな、知識として非常にバランスが悪かった。
今でも非常にアンバランスなんですが、別にきちっと対等にバランスよく頭の中にあるべきだということを言おうとしているのではなくて、そのことに気づいた時、私はすごくショックだった。それで、帰ってきてから、無理やりいろんなものをみようとしました。たとえば能なんかも今でも月一回ぐらいみるんですが、必ず眠ってしまいますけど。あと、浄瑠璃だとか三味線・尺八とか邦楽とかに、もう眠くなるのわかっているんですけれど、ともかく行ってみようと、行きだしたんです。
で、実際に邦楽にふれたりしているうちに、当然全く知識がないわけですから、本なんかでフォローしていくしか仕方がないんですけど、そうやって邦楽なんか見てみますと、だんだん自分がやっているインド音楽と最初は全然ちがったものと思っていたんですけれど、どこかでつながっているのではと思うようになりました。自分がやっていることと、自分がやっているその環境とがどこかでつながっているのではないか、一致するようになってはじめて、幻想かもしれないけれど意味がでてくるかもしれないなあと思って、少しずついろんなことを読んだり、したりしたんですね。
そうしてみるとたとえば仏教というのはご存じのようにインドが発生地で、それが中国に来て、朝鮮半島に来て、日本に来ている。すると、お経という唱え方がありますが。あの、お経の唱え方というのはインドのヴェーダという古代叙事詩がありますけれど、全く同じなんですね、棒読み。読経なら棒読みなんですけども、あるテキストですね、文章を唱えるというそのやり方はインドのヴェーダでも日本のお経でも全く同じなんです。で、節をつけて歌われるということも似ているなあと思いました。
インドの場合にはサーマ・ヴェーダという、節をつけて唱えるお経がありまして、ヴェーダというのは成立はものすごく古くて3000年前とか、そういう時期だといわれていますけれど、あれはきっと暗記するのに便利なように節をつけたんじゃないかと思うのですか゛、神の言葉というか、重要な言葉ですね、手拍子をしながら唱えるんですね。それでお父さんから子供、子供から孫へ家系がヴェーダを伝えていくわけです。当時は書かれたものはないので、当然暗記して次の世代に伝えるということをやっていたんですね。で、そういうヴェーダの音の動きですね、それのと日本の声明を聞き比べてみると、ほとんど言葉が漢文かサンスクリット語かという違いくらいで、目をつむって聞いているとわからない時があるくらい、似ているんですね。それは当然だと思うんですけど、そういうことがあるわけです。
そして今度は一転して、たとえば歌謡曲や.演歌も、さかのぼってみるとほとんどお坊さんの声明からきたといわれています。お坊さんの声明というのは実は僕も知らなかったのですが、聞いてみるとものすごく歌っぽいといいますか、歌謡曲を聴いているような気分になるものが結構多いんです。民謡や三味線音楽に都節(みやこぶし)音階というのがありますが、あと民謡音階、というものも、音楽学的に、音階とかスケールで追ってみると、だいたいお経、声明にたどりつくのですね。律でやるか呂でやるかという会話がお坊さんの中であったりしますけれど、だいたい律というのは都節に近かったりします。ということは今の日本の小室哲也だとか、あの辺りはずいぶん変わってしまったようですが、歌謡曲も、声明に近い音階型で作られているんですね。
「悲しい酒」なんて美空ひばりの曲がありますね。あれも都節音階でできています。編曲によっては、どんどんコードなんかが入ってきていますから、都節だと意識しないで、新しい感じがするんですが、実はもう昔からの日本のメロディの作り方にのっとってできているわけですね。あるいは「昂」。これは、民謡音階の歌謡曲の典型ですね。民謡と同じ音階型です。いわゆる「 四七(ヨナ)」抜きの音階型でできていますから、ピアノで弾くと黒鍵だけで、白鍵はいらない。黒鍵だけで弾けますからやってみてください。
というように、今の時代に歌われている歌謡曲、ポップスそういうものも、かなり昔からのものを引きずっていて、しかも我々はそういうことを意識しないままに、「これ、新しい」みたいな感じで歌っているんですよね。そこのところをどんどんさかのぼっていきますと、最終的にはインドのヴェーダの唱え方に至るということになって、ようやく、自分がインド音楽をやっているということの意味がこの辺りでつながるのかなあと思っているのです。
私がコンサート企画をしたりする時のひとつの柱は、今、自分は何をやっているのか確認するということなんですね。しつこくインド音楽とお経とか、あるいは、時には日本の邦楽とインド音楽とか、あるいは中国の音楽と韓国の音楽とかいうように、かなり近親性、近い関係にある音楽を取り上げてやっているのですが、それは、近いけれども違っているということを、同時に認識してほしいという主旨によるものなんです。
アジアの音楽シリーズは、これまで神戸のジーベックホールというところでやってるんですが、それの基本的な考え方もそういうことで、日本の音楽と、そういう割と近い関係にある音楽を同時にステージで見てもらって、もちろん合奏するということではなくて、同時に別々のものを見てもらって、それでどれだけ違っていて、どれだけ似ているのかということを見てもらう、というのがひとつの主旨です。
そうすることで、聴衆の立場に立てば自分のやっていることが、その、あの人たちとどこかでつながってくるということがわかってくる。つながっているけれど、あの人たちは全然違うということもわかってくる。それがひとつの国際交流ってあまり好きな言葉ではないですが、そういうもののひとつになるかなというようなことで、まあ、続けています。
言葉についても実は、たとえばアジアの音楽シリーズと近い関係にあるものから考えていくと、アジアという言葉がまずあやしくなってきまして、最近、気にし、こだわっているところです。あの、英語でアジアティックと辞書で引くと「蔑称」なんて出てくるんですね。要するに軽蔑ですね。アジアティックという言葉には未開とかそういうような意味あいもあるようです。
今はそういう意味では使われていないと思います。けれども、どうも、私は兵庫県に住んでいますから、兵庫県知事なんかが「アジア、アジア」なんてうるさいですねえ。その「アジアに開かれた・・・」何年か前に大阪市の仕事をした時には、やっぱりその、関空ができるから「アジアに近くなるから、アジア、アジア」アジアセンターみたいなのをつくりたいみたいな、それで私、言ったんですけど、どこみてもアジア、福岡もアジア、兵庫もアジア、とにかくアジアだらけなんですね。どこも、こだわっているんでしょうけれど、みんなのイメージ、そういう人がアジア、アジアだとイメージするのはどうも私はうがった見方なんですけど、大東亜共栄圏のアジアと同じなんですね。ちょうど戦争の前の時の大東亜、アジアは共栄していこうという時の範囲と同じくらいのイメージでみんな考えているんじゃないかなあと思って気になるんです。
で、たとえばアジア文化センターを大阪市で作るという時、アジアと言った時に何を思い浮かべるのかと、たとえば民話だったらカザフスタンなんかもアジアの国になっているんですけれども、最初にカザフスタンを思い浮かべる人なんていないんですね。
トルコもアジアの国のひとつですし、地理学的に言うとトルコのボスボラス海峡からこっちは十把ひとからげでアジアと言っているわけですね。でも、そこまでイメージが飛ばないで、アフガニスタンも入っていないでしょうね、普通の人々は。パキスタンも多分入っていないと思います、普通の人の頭の中には。インドだと何となく。ですから、せいぜいビルマ(ミャンマー)くらいまで。ビルマだとちょうど、第二次大戦の時のインパール作戦がありましたが、あの辺まで日本軍が行ったわけですけれど、あそこから向こうというのは範疇に入ってこない。で、あとイスラム圏ですね。入ってこないような気がします。まあ、インドネシアはイスラム教なんですけども、それとちょっと違う。アフガニスタンから向こうの方は何となくちょっとわからない。一応地理学的にはアジアというのはボスポラス海峡からこっちなんですけど、普通の人がアジアに開かれた何とかかんとかという時のイメージではミャンマーくらいまでじゃないかなあと。そうするとほとんど昔の大東亜共栄圏に重なってくるような気がします。で、僕、一回新聞にも書いたことがあるんですが、何でみんなアジア、アジアというのかなと思って。それって、こういうことじゃないかと書いたことがあるんですが。
いわゆる、その世界では経済的協力関係がすごく進んできまして、国境が意味をなさなくなってきていますよね。どこに行っても複雑にからみあった経済が、国境をなくしつつある。何か、アジアというように声高に叫ぶ人の背景には、やましさがあるんじゃないかなと。アジア文化をもっと紹介しなければいけない。もうけてばかりいたんじゃうまくないから、やっぱり向こうの人たち、どんな踊りをしてるのかとか紹介したらどうかみたいな、そこまではいかないかも知れないけど、そのような気がしてならないと、書いたことがあるんです。
で、何というかアジア、アジアだと言うことは、実は昨年、エイジアン・ファンタジー・オーケストラというメンバーで、アジア・コンサート・ツアーというのでアジアに行った。アジアというとこれがおかしいんですが、行った先でですね、全くどの国も自分のところの活動をアジアのどうのこうのと、冠で言っている国はどこもなかった。日本人だけがさわいでいる感じがしたんです。シンガポールへ行ったって、我々はアジア人だという人は誰もいなくて、シンガポールはシンガポール、インドネシアはインドネシアという感じでやっていますので。
もちろん、政治的な集まりでアセアンとか、そういう集まりはありますが、こと文化的なことに限っていえば、どこが近くてとか、というようなことは、余りみんな意識しない、みんな独自でそれぞれやっているだけで、共通点を括ろうとしても、日本が何となく括りたい、括りたいという願望が強くて、でもそれぞれの国は「あー、そうですか」てなもんで、あまり日本の度合いとですね、多分インドネシアとかマレーシアとか、あのあたりの人たちのアジアとして括りたい度合いはかなり開きがあるんじゃないかなって気がしました。
僕は十年以上、インド音楽の演奏活動もしています。演奏する場合、僕は音楽を聴いてほしいんですけど、多くの人はインド音楽を、文化人類学的に聞いているというか、ある人は音楽を聴かないで、じっと楽器を見ていて、あの楽器の材料は何だというのをずっとみているわけですね。最後にあの楽器は何でできているのかと質問がきて、かぼちゃですと言うと、ああーとうなずいて、それで終わりなんですけど、要するにめずらしいということで、いわゆる民族学的な視点で音楽を聴いている。タイの音楽でも、インドネシアの音楽でも、そういう視点で見ているような気がするんですね。そういう視点というのは、ちょうどイギリス植民地主義者の視点と似ているようなところがあって、自分と関わりのない異教徒の芸能を見ているという図式がなんとなく私には見える。いまだにそれは脱却しきれていない。
インド音楽のコンサートをやる度にたいてい説明を求められます。これは演奏家がここで何をやっているのかとか、いつもその度に文句をいっているんです。たとえばジャズのコンサートでウッドベースは何の木でできているのかなんて誰も関心もたないし、トランペットは真鍮でできている、なんて誰も聞かない。ところがインド音楽になると、にわかに、あの弦はスチールか、とかこういう会話がなされるということ自体、文化人類学的な視点で音楽を聴いているんだなという感じがいつもしているんです。
次に話が全然まとまらないんですが、高松うどん文化論というのを若干話します。(笑)
この高松うどん文化論というのは、実は、私は大論文にしたてて個人通信に出したんです。高松のうどんは有名ですよね。何で有名かというと、うまくて有名ということがあると思います。もうひとつ、安くてうまいということなんですね。高松というのは別に小麦粉がいっぱいとれて、それが産業のひとつとしてうどんになったというわけではなくて、最近だと小麦粉はほとんど輸入ですから、別に高松にあんなにうどん屋がなくてもいいんですよ。うどん屋やらなくたって、別の商売だってあるし、何もうどん喰わなければ生きていけないというわけでもないし、高松にうどんがなければならない理由なんて何もないんです。ところがものすごくたくさんあるんですよ。喫茶店でもうどん喰っているという感じで、そしてどこに行っても、どんなに安い店へ行ってもおいしいんですね。これは一種の文化かなと思ったんです。それで、高松うどん文化論と名づけました。
たとえば100円払って、コストパフォーマンスが100円の値うちのものを買うと、それは対価として受け取るわけですから、経済行為です。高松の場合は経済行為でありながら、本当は大阪なんかに来ると立ち喰いうどんでも300円とか払うべきものを、もう数十円で売っているというのは、これは経済行為を通り越して、一種の文化行為というのか、になっているんじゃないかなあと思いました。高松のうどんを見て思ったのは、文化的な都市とか文化的な街というのは、非常にレベルが高い、良質なものが、かなり恒常的に、非常に安い値段で享受できるという、地域が興行として経済行為としてやろうとすると、絶対に安くならないですから、安い値段というところが、住民ないし行政も含めてですが、全体がバックアップし、住民の合意があることによって、公演自体はレベルの高い公演でも安くみれるという。これはもう、地域が文化的かどうかということを計る目安となるじゃないかなというんで、高松のうどんを喰いながら、これはすごいということで考えた高松うどん文化論です。
前にも神戸市に、提言というんじゃないんですけど、向こうが耳を貸さないもんですから、時どき書くことがあるんですけど、その時も神戸というのは外国人がいっぱい戦前から住んでいる街で、そういう意味では非常に特別な街なんですね。インド人とか中国人、韓国人、今だとミャンマーとかベトナムとかいろんな人が住みはじめていて、それぞれコミュニティーを作っている。本当にユニークな街なんですけど、神戸は喰い物に関しては、そのレベルは高くて、そんなに高くない、たとえばすごくいい中華料理が喰えるとか、ヨーロッパの料理がわりに気軽に食べられるとかですね、他の都市にくらべてバラエティがあって、そして、どこへいっても比較的当たりはずれがない。中華料理など、ひどくまずいところがない。東京なんか行くと、こんなもの商売にしてるのかというくらい、ひどいのが時々あるんですけど、そういうものにあたることはめったにない、ある意味ではすごく幸せな街なんですね。食い物に関してはそうなんです。いわゆる国際的なんですよ。
ところが音楽文化になるとにわかに西洋一辺倒で、神戸市の文化振興財団は自主企画というと、何とか交響楽団とか何とか合唱団とか、そういう風になってしまうんですね。我々が企画をもっていってもほとんど見向きもされない。で、神戸市を考えてみると、これだけ特長のある街なのだから、たとえば神戸へ行けば、ベトナムの音楽があったり、パフォーミングアーツですね、インド音楽が200円ですごいいいものが聞けるとか、そういうのが恒常的にある、高くては意味がないんですけども、とにかく安くいい質のものが、常時鑑賞できたり、体験できることになればもっともっと独自性を生かせるのにと、いつも感じていることなんです。それは神戸だけでなくて、それぞれの地域でそういえると思うんです。街が文化的な独自性というのを強く打ち出そうという時、採算性だとか、あるいは合理性と考えたらあり得ないような、たとえば高松のうどんみたいになれはいいんじゃないだろうかという気がします。
音楽の商品化と書いたんですけど、音楽というのは当然、経済行為でもあるんですね。たとえば我々は私の演奏一回についていくらかかりますよということで、対価のやりとりをする。その意味では商品ですから、私は商品を売って、聴衆は商品を買うという関係になります。ただしその度がすぎてくると、その音楽に商品価値があるかどうかだけでほとんど判断されるようになってしまう。ですから、たとえばミュージシャンがテレビで何回露出すれば、ギャラが何倍になるとか、テレビで露出度合いが激しくなってきて印象づけられると、あの人は100万円とか200万円とか、なんの根拠もないのにギャラが上がったり、下がったりするんですね。で、もちろん人気が出てくるとその音楽家ないしタレントとかの商品価値のおこぼれに与ろうということで、いっぱいその人を取りまく人が現れてくる。本来、個人の活動のはずなんですが 、そこにプロダクションやマネージャーやらが出てきて、その人だけで食べている人がどんどんふえてきて、その人が養っていかなければならないから、当然、出ると高くなるという図式になります。
ただ日本の場合はいわゆる商品価値の高くないものに対して、ほとんど見向きもしない感じになってきているなという気がします。つまり価値があるかないかということはそれぞれが判断すべきなのに、できないと言ったらいいか、普段のそういう何か美の意識とかそういうものに対する訓練を積極的にやらないで、外部からの情報をたよりに比較をして、これがいいんじゃないと皆が言っているから自分もいいのかなと判断してしまう。そういうところが大きいかなという気がするんですね。これは美術なんかでも、いえるかもしれません。
私は美術は専門じゃないですけれども、たとえばゴッホのひまわりを50何億円で斉藤さんという人が買ったと、でも、それがゴッホでなくて別の画家の作品であってもいいはずなんですが。あれはゴッホだったから50何億円も出して買ったと思うんですね。僕の友達で美術やっている人なんかに聞きますと、キュレーターはこの人おもしろそうだなと思ったら無名であろうと有名であろうと買うんですよ。たとえば年金形式みたいに一年間に何百万払うから、その間、作品作ってもいいし、作らなくてもいい、ともかく作ったら俺のところに持ってきて。売れたら半分はコミッションでもらうからね、という契約をする。そういうことが普通らしいんですけども、その場合にキュレータ−という、そういう見る目をもった人の鑑識眼に、その会社の損得は左右されるんですね。失敗して全然つまらない人のを買ってしまったらドブに捨てるようなものですから。でもそれは最終的に返ってくるんだとの自信があるから、そのアーチストに初期投資をするんですよ。その場合やっぱりキュレータ−に求められているのは、これが自分の美意識にとっていいという確信ですよね。儲かるという下心があってもいいんです。それは別にかまわないのですが、こういうことに関してはいろいろ有名な話がありますよね。ピカソのスポンサーなどもそうですけど、日本にくるとどうもあらゆるものが商品価値として判断されてしまて、音楽家自身も何かその商品価値をどうやって高めていくのかということに汲々として、そして時には商品価値というのは、たとえばもっと高度な技術というように何か誤解されてしまって、曲芸みたいなことをやる演奏家が出てきて、それにヤンヤと喝采を送って観客も喜んでいるみたいなとこがあって、どうも我々みたいなインド音楽みたいにモヤーとして、いつ始まったのかわからないような音楽に対しては、商品価値をつけにくいのかなあと思っています。
インドでも今、結構外資が入ってきて、自由化になって、いわゆるインド古典音楽ですね、ものすごい商品化の波に洗われています。やはりスターというものに集中して、主催者も名の通った人を集めてくれば客も来ますから、そういう演奏会が多くなってきました。
大都市でのコンサートへ行くと顔ぶれがいつも同じなんですね。そうすると、その全然無名だけれども将来、商品価値が高くなりそうな人にはどこにも演奏の機会がなくなってきまして、それじゃ彼らを誰が引き受けるのだろうかと、インドでも心配される気がします。が、それは「ほっといてくれ」ですね、インドにすれば私がどう考えようが、インドはインドで。そういう進み方をしているんですが、ただ日本みたいに、たとえば雅楽だとかいろんな邦楽だとか、みたいのが冷凍庫に入れられて冷凍パックされているみたいな感じにはなってほしくないなという気にはなります。
日本の場合はほんとに冷凍パックですから、民謡でも雅楽でもですね、ちょうど1000年前にやられていたのをそっくりパックにして冷凍庫に入れて、時々とり出しては、まだ腐っていないねと確認するという感じです。同じことは恐ろしい勢いでシンガポールだとかインドネシアとかで進んでいますけれど、ただ日本とはずいぶん違ったものになるかな、なるだろうなという気がします。
(小暮さんより、今、中川さんに聞いておきたいことはないかと発言、会場よりレジメにある「弁当の 数」ということについて発言あり)
弁当の数というのは、たとえば音楽祭なんか開きますよね。まず真っ先に制作者どうしがしゃべるのは何月何日の何時の弁当の数は何個いるんだということから始まるんですよ。つまりね、関係者が何人いるか、必要かということを把握するのが一番大事なポイントだと思うんで、わかりやすく弁当の数と書いたんです。
たいていね、プロジェクトが大きくなろうが小さくなろうが、関わっている人間というのは、いろんな人がいて、時々制作者として全体を把握しきれない場合があるんですね。それぞれの部署ごとに何人いるのかということを把握して、弁当屋に数を頼む時、ひとつ余分に頼むと損失になりますから、かなり慎重にやるわけですよ、そういう意味で弁当の数と書いたんです。要するに何か物事が進行している時に各部署ではどういう人間がどういうことで全体の中で動いているのかということ、プロデューサーのほうは全部把握しておかなければいけないわけで、プロデューサーは弁当の数を把握すればいいと、ということです。別に弁当の数だけではないのですけれど。
(水口のかんぴょう文化論というのをもう少し説明して下さいとの発言)
これは高松だったらうどんで、水口はたまたま本を見ていたらカンピョウと書いてあったので書いただけなんですが、たとえばねカンピョウなんかでもインド音楽でシタールという楽器をご存じですか。一番インド音楽で有名なんですけど、あの胴はカンピョウなんですよ。かぼちゃ系のウリ科のでっかいのを中をくり抜いて外皮を共鳴胴に使っているんですよね。カンピョウを共鳴胴に使った楽器は結構多くて、アフリカでもいろいろあります。ですからそういうことを考えてもいいかしらと思ったりしたんで、ちょっと載せたんです。カンピョウでスピーカーを作っている人がいますよね、カンピョウスピーカーというんですけれど、非常に薄くて軽い素材ですので、皮を乾燥させて、薄くて軽い素材なんで、音響的にすごくいいっていうんで、スピーカーを作った人がいます。東京で売っています。
アフリカにも多いですね、コギリという木琴みたいな下にカンピョウを置いて、穴をあけて、クモの巣をはらして、ビービーとさわるようにしてる楽器とか、とにかく、器になる素材ですよね。カンピョウとかかぼちゃとか、よく使われたんですね。木材も、日本は木材が豊富ですから。
(「珍しいもの」「文化人類学的」音楽鑑賞からの脱却・・レベルの維持というのは客側のことかとの発言)
これはですね、めずらしい文化への興味というのは、音楽鑑賞と関係あるんですけど、たとえば文化人類学的な意味でよくこういう依頼があるんです。どこかのイベントでインド人の演奏家がほしいと、インド音楽がほしいんだと、で、集めてくれないかという依頼があった時に、インド人でやってほしいというわけです。じゃ僕ら顔を黒く塗っていきましょうかといったらダメだというんですね。要するに音楽自体が目的じゃなくて、その場合はインド人がやっていればよいので、インド人の服着て、それだけが要求されるわけですよ。そういうケースはすごく多いんです。で、そのような鑑賞態度というかから、脱却するという意味も含めて。
あともうひとつは、ミスリードしてしまうと、レベルの問題があります。レベルが低いというと語弊があるかもしれませんが、日本のことを紹介しようとする時に、たとえば能を紹介しようとします。鼓って誰だってそこそこ音が出ますね。そんなに、程度の差こそあれ、ただたたいただけで。そしたら、そこら辺でやっている2、3カ月やっている人にですね、能の演奏家ですって連れていってオーストラリアでやりましょうか、というようなものと似てて、それを聞いてあれが能というものなんだとなったら、ミスリードしちゃうわけですね。だからもし聞くのであれは、その時に考えられるベストの人間というか、プロフェショナルを当然置くべきであって、そうでなければ文化人類学的な、単にめずらしいものを見せるショーになってしまうわけですから。そういう意味でレベルの維持という風に書き入れたのです。もちろんそのレベルは誰が判断するかというと、プロデューサーですね。レベルが高い低いというのはプロデューサーの判断ですから、ということです。