第1回碧水ホール・フォーラム報告集

水口町教育委員会/水口町立碧水ホール
開催日 1996年9月21日(土)
会 場 碧水ホール   
録音 津田春吉(音響技師)/編集・載録 竹山靖玄(碧水ホール館長)
発行 水口町立碧水ホール/発行日 平成8年12月20日
ホームページ掲出 碧水ホールボランティアスタッフ 1996.12.27


はじめに                         ●表紙へもどる
日程/参加者/講師プロフィール
問題提起 中川博志 「いま、なぜアジア音楽なのか?」
問題提起 小暮宣雄 どうしてわざわざアーツ体験を探すの?
講師&参加者セッション

問題提起者 小暮宣雄
どうしてわざわざアーツ体験を探すの?
   






こぐれのりお
全国市町村国際文化研修所参与兼教授
小暮宣雄


国土庁地方振興局在職時に、地域、特に公立ホールのアートマネージメントの養成を具体的に推進するために、当時(1993)としては画期的な実践型研修「ステージ・ラボ・プロジェクト」をスタートさせる。
その後地域文化のプラットホームとして機能する「財団法人地域創造」の創設に参加。本年から滋賀県大津市の全国市町村国際文化研修所へ勤務。現在、同研修所の参与兼教授。



 今、中川さんからインド音楽とインドの文化とアートで、身体もバイプレーションも何というか、ずっと気持ちのいいお話を受けていて、僕もそれで色々考えていたんです。けれど、はたっと一番初め上村さんに言われたのは何だっけなぁと思ったら、碧水ホールのやっている企画と特にボランティア・スタッフの活動、これが、あるいは審議会の皆さんが、いろいろな処があるのか、どれくらいのポジションをとっているのか、通用しているのかということを自分たちで検証すると共に、僕たちを交えて色々考えてみたいと言われたんだなと。

 とりあえず碧水ホールというのを、どんな感じなんだろう。僕もどうしても上村さんとかはお会いすることはこういうところとか、行政の席で会うというよりは、大阪のOMSというのですが、扇町ミュージアム・スクエアの映画館で、同じ暗闇の中で会っていたはずで、出てからわかったとか、それから、ここで映画祭をやるというので、こさせてもらって、あっ、こんな無声映画のめずらしい映画を見させてもらえるのかとうことで出会うとか。
 それから、館長さんとお話していて、すごく仏教音楽とかにもお詳しいし、それからジャニーズの話もされるみたいなね、レンジの広い方に会うということで。それでは、じゃ、全国の中で何番とか、そんな印なんか全然つけられるわけじゃないですけれど、かなりユニークであるということが、まず思えるんですよ。
 それは全国でホールはなんぼあるかというと、2、000あるとか言うているんですね。で、毎年100できるとか 言ってるんですけれど、全然リアリティーがなくて。じゃあ中川さんは年間全部のオープニングでバンスリを吹いたら、100回やらなあかんなとかと言ったら、全然そんなことはなくて、全然雰囲気の違うオーケストラの人たちがお忙しかったりする。
 これは、先ほどのお話と全部関係するんですけれど。そういう状況になっているんですけど、本当は好きな人が聴きに行ってるのかと言うとなかなかそうでもない。本当に好きな人が見たり聴いたりするものは、その数とはヘタすると反比例するようになくなっている処において、碧水ホールが、こんなに、まあ、私、大津に今年二月から住んでいまして、大津からでも車がないと、なかなか行きづらい。貴生川まで行ったんですけれど、そこから一駅が歩けなくて。タクシーに乗ったりするんですけれど、というところで、今のクオリティーとかこだわりを持つ。それを、その教育長さんあたりは色々とその街のいろんな人の声を聞かれていますから、心配されながらでも、何となく見守っておられるという現状が、何かすごくいいなあと、だからそれをどういう形で、ある面では町の中のコンセンサスにしながら、だけど、少しこういう個性的なものをなくさいないで、それを広げていかれるのかなということを、まあ、僕はただお祈りしています。
 と言って終ったのではいけないので、何か言わなければならない。

 それで、ものすごく資料をお渡ししまして、レジメと前に渡したものが二つあります。
 いひとつは、中川さんとは全然違うと思うんですけれど、私もこっちへ来てからちょっとヒマになったもんですから、毎月日記を出しています。僕の場合は何も創造したり表現したりする人間ではないんで、創造したり、表現したりする場所に行ってそれを見たり聴いたりする。見たり聴いたりするよりも、どっちかというと見たり聴いたりする人の反応とかがどうだろうかということをウォッチングしたり、あるいはそれをもって来た人の気持ち、特にプロデューサーとか、公共のホールの人、美術館のキュレーターはどういうつもりでこの展覧会をやったのか、このコンサートの順番を考えたのだろうかをちょっと考えるということを個人的に趣味としながら、今はいます。
 で、そんなことに何でなったかというと、はじめの中川さんの、何で坊主になったのかというほど立派じゃないんですけど、2年に1回、3年に1回、全国の自治体と国とを転々としていまして、表面的なことだけで一応全国にはこういう自治体がありまして、今の地方財政状況はこうですということは言えるんですが、ではその一つの町をどうやったら輝かせるのかとか、そんなこと本当にやっている人の前では非常にむなしい仕事を、僕は、やっているじゃないかとずっと思っていました。自治省にいまして。
 だから、そういうところで何かもうちょっと自分の身の丈で出来ることを、ライフワークみたいに出来るものはないのかなと思いましたら、今、言いましたようにホールがポコポコ建っている、オーバーホール状況というのがありまして、碧水ホールもそう言う担っている人とアーティストがホールを信頼しているということを知らないと、オーバーホールのひとつとしてカウントしてしまう。稼働率何ぼとか、何ぼの入り込み数があるかとか、赤字はどうなっているかという実際とは離れた計量的な比較を、文化とかアートとかでしてしまうことになってしまう訳です。
 で、それを、そうならないで、かつ、もうちょっと相対的に自分たちの場所を決めて、ほかの人たちと横につながっていくような連携って、本当にできないんだろうか。皆んなホールネットワークとかですね、書いておられるんです。それは多分いっぱいホールで売れる商品、売るためにホールネットワークをやりましょうとか、そういう方々が熱心であって、本当にホールの担当者がどうやったら一緒になってアーティスト同士の創造的なぶつかり合いとか、そのアーティストが私たちの町の人々とどういう会話をするための場所とか環境とか時間を持ってもらうことができるだろうか、そのための方法は何だろうかということを考えたり、研究したりすることが、ひょっとしたら、僕ができることの一つかなあ。
 つまり公共施設、文化施設の財源措置をやったり、実は金塊の一億円のときの、僕は、自治省企画室のふるさと創生の担当であったんですが(笑)はずかしながら。そんな時に、もう大昔になってしまいましたので忘れたいという気がしています。そういう時にですね、こんなんで地域が考えていますから、自ら考えていますからすばらしいですということだけを、ただ、取りまとめていても何の意味もないんじゃないか。やっぱり、もっとすばらしくしようと思う人達のお世話ができることは何だろうか。と考えた揚げ句にですね、今のちょっと前にやったことが地域のいろんな芸術を伝達する人たち、これはアーツスタッフというか、呼び方がなかなかないんで、学芸員というとそういう資格も皆さんまだ、ですからね。とりあえずカタカナでアーツスタッフと呼んでいるんですけど、そういうホールとか美術ギャラリー、あるいは文学館というのもひとつの、言葉のアートの拠点になっているところも多いんですけど。そう言ういろんなアートの広い意味での伝達者、それが公共の公務員であったり、財団の方であったり、あるいはメセナの非営利的な活動であったり、財団の方であったり、いろんな方がいらっしゃるんですが。そういう方のお世話係、お世話する役みたいなことを、勝手に買って出まして、そういう方を全国から募集と書いて、やりまして、集まってもらって。

 先ほどちょっとご紹介のありました、ステージ・ラボという、ステージを実験室でつくるというよりは、リトマス試験紙で色をみるぐらいの感じなんですけど、そういうことを2年位前からやって来ていました。今はちょっとそれから離れています。が、今は県レベルで、この前、高知県の文化財団さん、美術館の中にある財団でして、24日に中川さんが演奏される愛知芸文で一緒に作っている、映像作家の大木さんを育てたところなんですけれど、そこで、県レベルでホールの担当者とか、美術館の人とか文学館の人の研修事業に僕も一緒に皆で考えよう、広報のあり方をどうしたらいいだろうか、そういうワークショップとか、企画の批評の仕方とかをやってきました。
 まあ、そういうことを僕はやっているわけですが、その中で碧水ホールの、こういう風なHVS通信だとかですね、あるいはいろんなミニコミ紙みたいなものを資料として入れていまして、実践的な研修の中で紹介している訳で。
 全ての中で10番とか、そんなじゃなくて。例えばHVS通信の中の、これなんてすごく参考になりますよ。ステージ・ラボの報告書を読んでもらって、桃田のんさんが気になったという方のスタッフの方の文章を読んでもらうと。こういうステージ・ラボをやった時から、ひろがりができたというのは大きいし。そう言う様な演劇の演出家というか、演劇の創作者ですけど、そういう演劇のクリエーターを選んでいくという方が理屈を並べていくことよりも、うまくマッチングして感動してもらって、芸術祭展・京とかにも行ってもらって、桃田さんの話を聞いたという形になって、僕としてはリアクションがあったなぁと。自分のやっていることに思いがけず、碧水ホールのボランティア・スタッフの方が反応してもらったことのうれしさ、みたいなことがあって、多分こういう反応を書いてもらったから、僕らにわかって、勇気づけられることがあって、そんな連鎖反応が楽しくて、今はそう言う形で県に呼ばれて行ったりとか、昨日は上野市のホールに行って、今日はここに来させてもらっているという状況な訳です。

 で、メジャーでないいろんな通信で、こんなのがおもしろいですよというのは、この表情がみえる新鮮なアート情報が(未完成)という、全然未完成なんですけど、ここに通信媒体が書いてあるんで、お役に立つものがあったら、これ興味があるんですと言っていただいたら、また詳しくご紹介出来たりするのかなと思います。
 もうひとつのもっとぶ厚いもので、毎月観たものをつれづれに芸術に遭遇しているという状況のもとでメモを書いていまして、お節介のように書いては皆さんに送っています、みてもらったりしています。かなり固有名詞が出ている客観性のないようなものなんですけど。僕としては知り合いの方を書いていますんで、何か小暮が書いたものにあなたがのっているよといわれても、僕は何となく許してもらえるかなと思うかたちで紹介しています。こういう時に読んでもらって、そこの町のやっていること、おもしろそうだから、ちょっと水口で参考にしたいなあとか、そう言うことがありましたら、身軽にいろんな町にたずねたり、行っていただければ良いのじゃないかと思います。
 
 資料の説明はそんなところで、一応ですね、自分としてそれぞれのこんなにいろんなものが満ち溢れていて、世の中便利になってしまって、音楽でも売れ筋のCDとか、そんなものはすぐに手に入って、これからインターネットとか、衛星放送とか、そんなものバンバン音楽とか聴けるのに、何故ホールに行ってそれも本当におもしろいかどうかと言うのを、外からの評判でなくて自分の耳とか目で感じるということをするのにどんな意味があるんだろう。ということを考えていって、そう言う意味があることをするためにどうしたらいいんだろうと言う、元々のアートということが、私たちの体験の中でどういうものなんだろうと言う事をちょっと反省して書いたものがありまして、それは今日あわててコピーしてもらいました。それに書いたことを少しだけご紹介したいと思います。

 「どうしてわざわざアーツ体験を探すの?」というペーパーなんですけど、今言いましたけど、家の中に色々娯楽が宅配されている訳です。コンビニとして売っている訳です。画集でみればいいし、お芝居観ようとしたって、衛星放送でも最近は夜中にやっています。画集もいっぱいあります。だから、それで良いじゃないかということなんですけど、これについては先ほど中川さんからおっしゃられたとおり、どうも売れ筋だけを受け身でいただいてるんではないか。どうしても、そういうものにさらされている自分がどんどんさびしくなっているじゃないかと疑問に感じてしまうことが多いです。また、そう感じている方が多いんじゃないかと思うんです。
 実は東京も消費はしているですけれども、疑問に思えば、外に出て自分の耳で聴くことは出来る場所はあると思います。ところが地方では疑問に思っても出ていく場所がないということもあります。耳をとおして自然の声を聞いたり、仏門に入って嫉妬心の少ないお坊さんの説教を聞いたり(笑)、今はできない。となると、圧倒的にメジャーだけが、自分たちの外で動いている。自分たちはそれにあわせていろんな義理を果たしていかねばならない。ステップをふまねばいけない、という状況に入っているんじゃないかなぁと思います。
 で、一方ですね、そんなこと言っても、もっともっとおもしろい気楽な楽しみが外にいっぱいあるじゃないかというのも一方にあります。町もそれに結構荷担していまして、今はだいぶなくなりましたけれども、ゴルフ場がいっぱいできたりとか、テーマパークを皆で一生懸命、何か訳もわからないのにオランダの形をしたり、スイスの形をしたりするような、あっ、オランダはちょっと長崎の方がいらっしゃったら、あれかもしれませんが、そう言うのもいっぱいできました。うまく成功している場合もありますけど、えてして余り成功しないで、ゴルフ場と同じようにしんどくなっているとこもあると思います。

 企業として英会話スクールができてみんな通っている。そこで今嫌いだとおっしゃった国際化、僕も国際文化研修所にいながら、国際化というのにはどうもついていけないというなさけない状況ですが。英会話スクールは、もう駅前留学ということで、どんどん商売されていますし、お稽古事もですね。今、子供たちを見てたら、まあ最近は女の子はバイオリンとかね、流行っていますけど、そこまでやらんといかんのかなと思うくらい。小学生でも英語やっておられます。
 一方、もう少し大人になって希望がなくなってしまいますと、いまはもう駅前のパチンコ屋とか、パチンコ屋はすごい大産業状況です。駅を降りてパチンコ屋を通過して、美術館とかホールに行くのはなかなか難しいんではないかと。いつもパチンコ屋は僕たちの強敵だと思って、なかなか中に入る勇気もなく、通り過ぎているんですが。

 そういう中で、じゃ、その文化ホールとか劇場、これはたとえば伝統芸能劇場とか、美術館、ギャラリー、それからまあ映画館と書いてますけど。とくに商業映画館もなかなか苦しい状況ですし、公共の映画を上映する場所というのもできているんですけど、なかなか人がはいっていません。そう言うところはどういう違うサービスを出すんだろうかと。それはどういう風な体験を与えるために、私達は劇場を町が、県が持ったとしたらサービスをして、どういう企画をできる人を育て、どういう企画がいいんだろうか、そういうことをすごく考えなければならない、と思うんですね。

 やっぱりこれは僕の個人的思い入れかもしれませんが。それでも、ひょっとしたら子どもが熱がでたら行けないかもしれないのに、前売りチケットを買ったり、関西に来ていますと場所がわからなかったり、かかる時間がわからなくても、地図を探して、その現場に行くのは何でだろう。行ってみてもガッカリする踊りとか、ガッカリするお芝居だとかはある訳です。それでも何で行くんだろうかということをちょっとだけ偉そうにいっぱい書いてみました。これは本当にいろんなところからの受け売りなんですが、そう言う未知なものとかを自分で自覚するということが、自分の再発見になるんかなぁ。それと何かいままでマスコミ的にイメージしてるアーティストと、本当に生き生きと違う人たちとして出会える場になっているのかな。コミュニケーションの気持ちなんかなと。その自分を発見することにもつながるのですが、本当のコミュニケーションをとっている人を目の前に見たときに、そのすごさに感動するのかなと、そんな風に思います。

 それをまあ一応、もう少しわけてみますと、今言いましたように劇場というのは何か。これは太田省吾さんの受け売りで、太田省吾さんのおっしゃっているのも世阿弥の言葉かららしいのですが、「お客さんはお能を観るときに殺されたいから来ているのだ」と世阿弥が言っているようです。いままでずうっと何かが起こることは、もう、プログラムされていると思っているときに、劇場では自分の、そのプログラムされた自分が消えることができる。で、消えた自分がそういう他者に、未知なるものに出会うことができる。そう言うようなものが、すごく芸術体験の根本としてあるじゃないか。それは自分たちの感覚の問題と、みがき方とか体調によって、本当にそんなのに出逢わないことが多いけど、それをいつも求めて劇場に僕は足を運ぶ、コンサート会場に行くんじゃないかと思います。

 次に書いているのは中学の生徒が1994年に杉並区立泉中学校で、学校を夏休みに近代美術館にした体験に基づいて書いている言葉の一節ですが、「美術というのが、芸術というのが、今までは絵だとか彫刻だと思っていた。でも、違うんだと、その美術の基本は石ころひとつ、もの音ひとつに世界をまるごと感じとれる。そういう感覚の回復なんだ。」とその中学生なりに書いていて、これはすごいなと皆で言っていた言葉をそのまま書いています。
 こういうような体験がおきるすごさかなと思います。それから、これは逆にこわいことなんです。自分をためされているんですけど、音楽でもそうですし、アート全般において答が無いということです。楽器は何でつくられているかという答はありますけど、インド音楽は何かと、中川さん今回も余りおっしゃられなかったと思うんですね。聴いて、私らも聴いて、自分たちで何だろうなあ、すごい身体の気持ちよさはなんだろうと思ってそれで終わる。つまりアートは答を強要していないし、押しつけない。だけど何か、いつもその体験自身がもう一回次の時によみがえってくるような、完結しない身体に残っていくという問の連続みたいな、そういうものがなんとなく自分の自由というものを保証してくれているのかなと思います。

 それから4番目に、これはアーティストの方がとくにそうなんですけど、椿昇さんが「やっぱり今のアーティストは孤独に弱い、どうも孤独ということにプラス価値を持っていなくて。孤独に強くなってもらわなくてはいけない。」ということを言っておられます。我々もそうで。すぐに仲間をつくったりしてしまう。ボランティア・スタッフの方が書いておられる「場所に甘えている」とそういうことだと思うんですけど。仲間に、場所に甘えないというか、そういうようなことが、特に孤独につよいアーティストのすごい表現をみていると、私達も何か勇気づけられるものがあるのかなとそんな気がします。
 とくに最近ちょっと読んだ本で、岡本太郎と横尾忠則の本を読んでまして、岡本太郎って目ギョロギョロして、何か変な人だったんですけど、あの人もかなり孤独だったらしくて。そういう彼が書いた初期の1950年代の作品なんか、皆がその時本当にわからなかった、ということを今やっと皆がわかってきたという話でした。アーティストというのはやっぱりあれだけマスコミに出てても、孤独だったんだなぁと、彼の本を読んで思ったりします。
 それから、そういうこともあるんですが、一方でものすごく商業とか時間に追われているアーティストに、すごくゆったりした時間を与えられるようなことが出来るんじゃないか。それとアーティストの方というのは、表現を追求しているとかのときには、お金もうけのためのこととか、そんなことには無頓着で、逆にカリカリされることもあると思うんですけど、例えば音楽家は音楽のことについては本当に子どもよりも子どもで、純粋な方が多いですから、そういう方と作業することによって本当に楽しいことがいっぱい起きる幸せというのは、公共でホールとか美術館というところにいることの楽しみのひとつだと思います。

 あと、今すごく僕が思っているのはホールとか美術館もすごく大事ですし、そこに集まることも大事なんですが、そこから飛び出すこともすごく大事じゃないかと思っています、そうすると、その外の場所を音楽なら音を発見してもらえることもありますし、美術なら、そこを観ることで場所に隠れている姿を映し出してもらったり、あるいはその場所をあばき出してくれたりする。あるいは歴史的なある秘密、暗い部分を告発という形ではなくて、灯してくれることがあるんじゃないかなとそんな風に思ったりします。

 で、最後は、これはなかなか表現が難しいかもしれませんが、個人の問題ではなくて、地域とか都市とか自治体ということを考えた時に、アートが一番お金の多さ、少なさとかあるいは大都市との近さとか遠さとかに関係なく独自にある価値のあるものを創ることができるんではないか。よく都市の価値創造とか、情報発信とか言ってますけど、一番生の音楽の本質的なことをわかっている人が何人かいて、それについて皆でアーティストと仲間になって、信頼関係ができて、そのホールがアーティストに信頼される場になって、アーティストがそこにやって来て、同じ音楽を創っていこうとしていく。
 それの聴き方についていろんな町のお年寄りから子どもから体の不自由な方から、いろんな方が、どうやったら、それを楽しめるかというようなプログラムを開発していくことによって、その町自身の音楽の聴き方に、つまりその町の耳になってしまっている。外から与えられた情報としての耳じゃなくて、その町の耳で、その町の耳をどんなことがあっても独立の価値として生産している。

 そういう町というのは、いろんな音楽祭をやっている所とか、日本でも海外でも少しずつ出来てきていると思うんです。音楽だけじゃなくて、いろんなアートの分野で、そのアートの分野というのはその町の人の耳と目で選んでもらって、このアーティストで何故ずっとやっていくのかと変に考えなくても、そのアーティストをひいきしているんではなくて、そのアーティストと一緒に自分たちが、何かを得たり、感じたり、創っているわけで、アーティストは媒介者ですから、アーティストをもうけさせるためにやっている訳ではないです。又、そのようなことを思っているアーティストはずっとそこにいてくれませんから、ちいさな町は特にいてくれませんから。いてくれる人で、そこでいいなぁと思って、飢え死しない程度の飯があればたぶん気持ちよくその地域とバイブレーションをもっていただければ、やっていただけると思うんです。
 何かことをやるための共同作業の場所、廃止された分校とか、そう言う場所がいくつかあると思うんです。倉庫なんかでも使われていないところとか、を皆で探し出して、すこし掃除をしたり、そういう人は自分で農業やりたい人もいるから、一緒に無農薬農業したり、何かやっていく。そこにはもうアーティストは、接待をしないといけない人たちとか、そういうこともないと思うんですね。一緒に何か地域のおいしいものを食べて、喜んでもらい、例えば音楽というおいしいものを食べさせてもらうという、お互い交流するような、アートと私達の町のいろんな文化とか空気とか、そういうものの対等の、あるいは共同の仲間としてアーティストと地域とが結ばれていく、そういうことが水口にはおきるのとちがうかという風に思っています。

 どういう風にやっていくかについて、僕らも個別に色々試行錯誤されている人を知っているだけです。私も全然わかりませんけど、わからないことを唯々わからないからこわいと思わないで、やっぱりすごいアートはアーティストに、そして私たちができることを町の営みとして、あるいはアーティストと一緒に町とアートとの共同作業をやっていけることを考えて行きたいものだと常々考えています。




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