___(笑)あのう、そしたらもうちょっと『萌の朱雀』のことをはなししたいと思うんですけど。劇場公開と言うかたちで映画をつくられたのは初めてですよね?
監督:そうですね、はい。
___今までは、今日の映画とか、プライベート・ムービーという今回の特集で上映する作品は、ほとんどカメラを自分でやって、編集も自分でされて、ほとんどの仕事を自分でされてますよね?
監督:はい。
___で、『萌の朱雀』はたぶんスタッフがたくさんやったと思うんですけれど、なんか、たいへんやったこととかありませんでした?
監督:それはそれは映画をつくるって、ただでさえシンドイことなんですよね。肉体的にもだし、精神的にもが一番なんですけど。で、村で生活をしながら撮ったんですよ、『萌の朱雀』っていうのは。合宿生活をしているので、逃げ場がない(笑)。で、山を降りたらもうやめるということなので、標高600メーターの山の上で、都会暮らしに慣れてる、スタッフが割と若くて、20代がほとんどだったんですよ。そういう若者が村に入り込んで。それでも変わりものが多い(笑)。映画つくってる人って変わりものが多いと思うんですけれど、そういう人たちでさえやっぱり、ちょっと精神的にね、まいった、っていうような状態の中で撮っていたので。たとえば現場でいやなことがあっても、自分の家があれば、そこに帰って、気持ちの安らぎとかを得られると思うんです。自分の好きな音楽聴いたりとか、誰か映画に関係ない人としゃべったりとか、気晴しができると思うんだけど、もう気晴しというのがほとんどない。
___集団生活みたいなものですね、離れたところで。
監督:そうですね。それで準備の段階でもうかなりきつくて、梅雨の時期っていうのはずーっと雨なんですよ。1回雨が降ると、水のはけ口がないというか・・・そこが過疎の進んでいる村で、私たちが借りてた家っていうのは空き家の3軒連なったところだったんで、畑も、言ってみれば荒れてるんですよ。そういう場所だと、住んでいる人が居れば水はけをするために道に畑の方向に、斜めにね、雨道をつくったりするんだけど、そういう水の避け場をつくらずに過ごしていると、もうグチャグチャ、ビチョビチョの状態で。一歩外に出ると美術スタッフなんかがあちこち動きまわらなあかんねんけども、もう精神状態がそんな状態で。足元がグチャグチャで、っていうような。
___その、西吉野村でロケされて、そこでずっと住みながら撮影したっていうことなんですけど、その『萌の朱雀』を撮るきっかけになった出来事って、どういうことやったんですか?
監督:『萌の朱雀』を撮るきっかになったことは、構想上でいうと、つまり、自分の中に現われたきっかけは、やっぱり『かたつもり』を撮って、なんですよね。というのも、『につつまれて』(1994年作品。本企画上映3日目の12月6日に上映)というのをまだこちらで上映していないですけれど、お父さんを探して歩くという映画を撮ったんですね。今回のタイトルにもついているプライベートな、言わば、わたくし的な個人の部分っていうのを、どうして映画という、観客というものがいての場所に持ってくるんだっていうふうに言われると、ちょっと難しいんですが。でも、ただそれをすることで私は自分自身を確立させたかったというか。なんか、私は私で生きているんだけども、世の中にとってみたら私は何もんなんだろうとかね。うーん、誰でもいいんじゃないか、私じゃなくてもいいんじゃないかみたいな。そういう気持ちになることって、たぶんみなさんの中にも1回はあったと思うんですけど、その中で自分を見つけるきっかけになったのは、私は映画だった。で『につつまれて』というお父さん探しの映画だったんです。それを作り上げたあとに、自分を見つけてるわけですから、自分は見つかったと自分では思ってるわけですから、そのとき多少強くなれてるんですよね。うん。
___強く?
監督:うん。自分自身が強くなれてる。
___撮っていくことを重ねてですか?
監督:えぇ。そうです。だから、それまでは自分が弱い。なぜかというと自分が何者かわかってないとか。フラフラしちゃってるとか。強くなれた自分が、周りを見回したときに、なんでもない日常の中にあるおばあちゃんとの生活っていうのがとっても大事なことなんだって思えるんですね。うん。なんか、どっか遠いところのことを憧れだけで目指してたところから、足元の生活自身がすごく重要なんだってことに気付くんですよ。ほんで、おばあちゃんを撮ると。おばあちゃんを撮る中で、おばあちゃんの畑仕事とかそういうことは事件じゃないんですよね。そういうものはニュースにはめったにならない。ある一人のおばあちゃんだけだから。でも私にとってはかけがえのない人なんだと。その部分を映画というもので私が構成して形にしていくことで、スクリーンを通してね、海を越えた表現になっていくんだと。広がりを持つんだということがわかったんですよ。その時に初めて『萌の朱雀』という、もっと大きな映画を撮れるんじゃないかなと。
___じゃあ、その『萌の朱雀』、構想というか、撮ろうとしたのはいつ頃からやったんですか。
監督:そやからね、『かたつもり』撮り終わって4年とかもう95年ぐらいからやから、今からいうと3年程前ぐらいにはもうできてきてますね。
___『萌の朱雀』の役者さんがね、一人だけ職業での役者さんで、あの「ふたりっ子」出てはったおじさんですが。ほかの人は全部村の人やったんですか?
監督:えっとね、お母さん役と栄介役は村の人ではないんですけど、絵描きさんと新聞配達員。
___映画とかお芝居とか出たことがない人?
監督:まったくない。
___まったく?
監督:うん。
___どうやって見つけはったんですか?どうやって出会わはったんですか?
監督:その栄介役の男の子は私の学校時代の生徒(笑)、先生してたときの生徒。ほんで絵描きさんの女の子はお母さん役になるんですけど、いちおうオーディションしてるんですよ。それで申し込んできてくれて、一風変わってた女の子(笑)。ほんで、あとは村の人たちなんで。おばあちゃんとか。まぁおばあちゃんも実はオーディションでね、手紙くれてるんですよ。あとはねぇ、女の子が一番手間取ったんですけど、もうしゃあないと思って、村じゅう歩き回って。
___みちるさん役の人ですか?
監督:そうです、そうです。シンガポール国際映画祭で主演女優賞を貰いやったんですけど(笑)。うん、その子がまったく素人の村の中学生。
___素人に見えませんでしたね。私見て。
監督:そうですか。
___うん。あとから知ったんですよ、そういう事実を。
監督:(笑)そうなんですよ。ビックリしますよね、なんか。
___だから、映画つくるとき、みんなプロやないとあかんとか、けっこう思いがちなんですけど。どうなんでしょうね。そんなん関係ないんでしょうか?
監督:そんなん関係ないと思います。って言っちゃうと、まぁ簡単なんだなって思われるとちょっと違うんですけど。うーん、プロって誰が決めてるかっていうと難しいわけですよね。なんか、タレント事務所にはいればプロかというと、そうでもないやろし。演技の勉強せなあかんねやろかというと、そうじゃないと思うし。それはね、表現の勉強をしなきゃいけないのかっていうのとまったく同じことやと思うし。ようするに、その人間の輝きやと思うんですよ。その人のオリジナル性があるかどうかとか、そのへんのところで人を選んでいく。で、その人と一緒に、ともに映画が作れるかっていうような意識の高さを一緒に話あっていくという中で、彼らっていうのは、(村の人、エキストラで出ている人以外っていうのは)全人生投げ打つぐらいの覚悟であの村に入り込んで合宿とかしてくれてるんで。特に新聞配達してた人とか絵描きしてた人とかは京都と神戸に住んでいたんですけど、一切の家財道具を引き払って。ほんで村に入って、一緒に畑耕してやってくれてたんで。
___共同で食事とかつくって。
監督:そうなんですよね。O-157はやってて、もうたいへんでしたけどもね(笑)。
___それで、『萌の朱雀』ではカメラマンがちゃんといらっしゃって、実際撮影してるときは、自分はもう覗けないわけですよね、カメラを。ちゃんとイメージどおりか、心配なかったですか?
監督:やっぱりありましたよ。
___やっぱり。
監督:うん。これまでが、もう自分が全部やってたからですけど。ただ、こう自分っていうことだけで、音楽に例えると、奏でる音とセッションのように自分が奏でた音に対して響き合ってくれる人が重なり合った音のときの方が、その音同士が昇華していって、いいものになるっていうのとよく似てるんですよ。だから田村さん(田村正毅 たむら まさき/小川紳介監督作品のカメラマンだった人)カメラマンだったんだけど、田村さんの画(え)っていうものがあり、で、私のイメージする画っていうものがあり、そのものがこう、うまく響き合えたときに、私は三角形と言ってるんですけど、対象と、カメラマンの田村さんと、撮りたい世界をつくりあげる私が、三角形を成して、その真ん中らへんの上のほうにある、とある映画っていう、今回だったら『萌の朱雀』といわれる映画のひとつになっていく、みたいなことなんですよ。みんなが響き合って。それはね、絶対ひとりではできないことなんですよね。私がもしカメラをやってたら、あの映画はできなかったと思うし。それはね、カメラマンだけに限らず、美術、照明、音、で音楽、オリジナルつくってくれた人。で、編集ね。そして最後の効果という、そういうすべてのものがいい響きをもってなされないと、どれかに偏っちゃうと・・・うん、なんていうのかな、貧しいというか。
___音楽で言うとバンド演奏みたいな。ソロ演奏じゃない・・・。
監督:そうですね。だからやっぱり、練習をしてやりあげるってことじゃなくって、役者さんもホントにほとんどが素人っていうこともあって、彼らはその一瞬しか見せない表情があるんですよ。それをいかにとらえれるかっていうとこで、ほんま、1秒の勝負みたいなとこもあるし。一瞬のね、挑戦っていうか。
___公開されて、小説出さはりましたよね。
監督:はい。
___もう、だいぶん前に出たんでしたっけ?
監督:初日の前の日やから10月24日に初版が出まして、24日が金曜日やったんですけど、月曜日は第2版がもう増刷かかって、その一週間後には第3版がか増刷かってるんで、うれしいことです。
___なんで小説化を?最初から決まってたんですか?
監督:決まってないです。
___書きたかった・・・。
監督:うーん、書いてみる?って言われて。
___(笑)映画と全然違うんですか?
監督:まぁ、違うと私は思っております。ストーリーは同じなんですけど。私がみちるちゃん、という女の子になって、私がもう1回『萌の朱雀』の世界を生きたんですよ。生きていく中で感じた風とか、景色とか、彼らの言葉とかをもう1回文字で表現したのが小説「萌の朱雀」なんで。
___えーっ、監督がみちるさんになって。うーん、やっぱり、映画観てから読んだほうがいいんですかね。
監督:いや、それはもうねぇ。
___どっちでもいいんですか?
監督:どっちでもいいっす(笑)。